3年がかりの大物2010/05/05 12:54

彼があの川に通い始めたのはフライを初めてから3シーズン目のことだった。 最初はあの川へ行く予定ではなかった。 山女魚が釣れていると情報を聞きつけすぐに行くつもりが、残業や休日出勤で3週間も経ってしまっていた。 その間に鮎の解禁日を迎え、目指した川のポイントには友釣りの竿が乱立していた。 上流へ逃げることも出来たが、なぜかその気にならず万一に備え出発前に地図で確認しておいたもう一つの川へ向かった。 決して大きな川ではないが、たまにイワナの大物が出るらしいとの情報はあった。 梅雨の最中なので水量は多かったが、それでも小さい川だった。 途中の橋のあたりから河原に降りポイントにフライを送り込むとすぐに15センチ程のイワナが出た。 草や葦が多い河原で釣りやすい川ではなかったが、300メートル程釣り上るとやや広い場所に出た。 向かい岸の淵はいかにも深そうな水色をしていた。  流心の際にフライを落とすつもりがミスキャストで淵の頭にフライが落ちてしまった。 すかさず小さな魚がライズした。 合わせる気はなかったが反射的に手が動きフッキングしてしまった。やれやれと思いながらラインを取り込み始めたその時、淵の中から大きな魚が現われフッキングしている魚にパクリと食いついた。 1月程前のことだが彼は生れて初めて尺イワナを釣っている。 しかし今、目の前にいるやつは遥かに大きかった。 夢中でラインを取り込んだがその先に魚の姿はなかった。

東北に住んでいるフライマンならみんな近所の川に得意のポイントを持っている。 30分以内で行けるから定刻通り会社が終わった日、あるいは遅番で午後から出勤する日など、ちょっと寄れば一つや二つ釣れる場所である。 彼があの大物に出会った場所は、2時間も高速を走り更に1時間と言う程遠い場所ではなかったが、気軽に行ける程近い川でもなかった。

それから彼のあの川へ行く回数が増えた。休み毎ではないが月に2回は通い始めた。 その年は梅雨が明けた途端に例年になく暑い日が続き、ただでさえ小さい川は河原一面葦原になって竿を出せなくなった。 次の年のシーズンが始まり5月の連休が終わるのを待って通い始めたが、この年も手応えはまるでなかった。 彼がフライを初めて5シーズン目の解禁を迎えた。 今年こそはと思いつつ月2回のペースで通い続けたが、あの大物に出会った鮎の解禁の季節を迎えても姿を見せなかった。 禁漁が近づいた頃2年前に比べればやたらと釣り場でフライマンに会うようになったと思いつつ又あの川へと向かった。 いつもの橋の所から川に降り大物に出会った広い淵まで釣り上ったが、出たのは小さなイワナが3匹だった。 今日は少し粘ろうかと思った頃カタログから抜け出たような連中が下から上がってきた。 彼の太めの竿と明らかにその連中より大きなフライを見て「釣れないでしょう」と声をかけてきた。 腹も減っていたし午後のライズが始まるには相当時間があるので「ええ」と瞹昧な返事をしてその場を立ち去ることにした。 おそらくその連中には田舎のレベルの低いフライマンとしか見えなかったかもしれない。 川の上で竿をしまいながら見ていたら、あの狭い川でダブルフォールをかけまくり、持て余し気味のロングリーダを草にからませ悪戦苦闘していた。 近くのドライブインで朝昼兼用のめしを食べ終わってから車の中で仮眠をとった。 3時頃に目を覚まし現場に戻った時にはだれもいなかった。

あの時と同じように小さな魚がフッキングしてそれに食いつくことは無いだろうからと8番のマドラミノーをリーダに結びポイントにキャストした。 昨日の雨のせいで濁りの入った水が、淵の所で少し薄くなったように感じた瞬間、スッとフライが見えなくなった。

(「釣り東北」未掲載原稿)

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