日本における最古のHARDYの代理店2010/05/05 13:21

1937年版のHARDY'S ANGLING GUIDEに見られる日本、中国および極東の代理店として下記の社名と住所が記載されている。

 神戸市神戸海岸通り1 W.M.STRACHAN & CO(AGENCIES)LTD.
 担当者:J.E.MOSS

HARDYでは1800年の終わり頃から、自社製造によるリーダーや、ティペット付きフライの製造を本格化しており、当初はガット素材としてスペインなどから購入していた。 しかし、事業の拡大からシルク素材を採用する事となり、日本から絹の大量購入計画が生まれ、日本との取引先として、同社が選ばれた。

1920年頃からシルクフライラインの製造、さらにシルクを素材としたスピニングラインなどの購入を同社を通じて行うとともに1940年の第2次世界大戦直前まで相当量を購入した。 しかし、日本の代理店を通じてHARDY製品の日本への納入はほとんどHARDY社の記録にはなく、同社はほぼ輸出の為の代理店として存在した様子である。

JIM HARDYの推測では、極東つまり中国、日本などは英国人として当時とらえていたのはすべてまとめての視野であったので、国名表示も適当に表記したのではないかとの事である。

また、戦前に日光中禅寺湖畔に作られた東京フィッシング&ハンティング倶楽部のハンター氏のHARDY製品の所蔵は、本人が直接英国から持ち込んだもので、代理店を経由しての所有ではないとされている。 ただ同氏も貿易商であり、神戸に事務所が存在した事を考慮すると、同代理店を経由して購入した製品も含まれていても不思議ではない。 ちなみに当時、中禅寺湖畔にあったフランス大使館別荘などで使用された釣り具のほとんどは、外交官が自分で赴任の際に持ち込んだもので、当時日本において彼らを満足させられる洋式釣り具は日本には存在しなかった。

東京において当時、これらの商品を英国などから輸入したとすれば2-3の貿易商社で白州次郎氏などが経営していた会社があげられる。 これは元モーガン銀行に勤務していた樺山氏などから得た情報であるが、すでに故人で事実関係が確認出来ない。

戦後の代理店は、栄通商株式会社(大阪)、DODWELL&CO.,(東京)、株式会社スバンを経由後1976-1994の間株式会社アングラーズリサーチ(干葉)である。

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