英国やぶにらみ番外編 税関、入国審査お国ぶり2010/04/22 23:28

この新聞(注:「釣具界」のこと)が発刊される頃は新東京国際空港がごったがえする筈で、誰でも同じ思いをもっている場所として、出国や帰国に際していかに早く手短に税関を抜けるか考えるもので、何も禁制品や違反物件を持たなくても寸時ながら愉快な気分が壊される。

そこで長い行列をしながらここ10年来、税関吏などの調べ方をみているうちに、各国によってなんとなくスムーズに通過する方法をいくつか見付けて、以来、独断と偏見でこれを用いているが、その結果、小生は1度のトラブルもない。 ただ出迎えが来ないうちにロビーに出てしまって相手を戸惑わせる事もあるのが難点でもあるのだが。 自宅が千棄の為に成田空港に到着してから、入国審査、荷物検査を受けて45分後に自宅でお茶を飲んだのが目下の記録。

さて、米国についていえば日本以上に厳しい審査が待っていて、最近でこそロスアンゼルスの空港が若干、日本人については簡単にすませてくれる事が多いが、平均して時間がかかる。 最近ではニューヨークやシカゴ、そしてサンフランシスコなどほとんどがノンストップの直行便でフライト時間が長いし、規則により入国審査は国際旅客については最初の米国内寄港空港で行われる。

あのでかい国であるアメリカでも国際空港となると日本からの便はいくつかの空港に限られ、東南アジアや中近東、そして日本人が一ヶ所に集中することになる。 外国からの入国に対して未だにビザを要求していながら米国では、さらに到着時、ブラックリストの照合などで1人1人確認している為に、最低でもバスポートに判を貰うのに1時間程度はざらで、行列に慣れない日本人には苦痛である。

米国でもヨーロッパでも同じだが、中東印度、東南アジア系の女性の後に並んだら悲劇で、いつ自分の番がくるかわからない。

国内接続便や日本からのフライト機がさらに国内に連絡している場合でも、航空会社では2時間以上入国審査、税関空港では休憩するのが常で、彼らも米国税関のスローぶりを承知している。 それでも慣れない多くの旅行者は接続便に乗り遅れる事が多い。 米国では、時間がくれば客を待たず出発するのが普通で、航空王国アメリカは意味のない出発遅れは管制などに嫌われ、シカゴやニューヨークでは飛べなくなってしまうからだ。

解決策としては、多少行列が長くてもヨーロッパの人らしい連中か日本人だけの後にならぶのが結局、早く順番がくる。

問題は誰がヨーロッパ人か見分ける必要がある訳だが、これは意外と簡単で、カバンなどについている航空会社のタグや、ついているチッキ札が欧州の航空会社であれば、まず間違いない。 第一、アメリカ人審査デスクが別なので我々の列にまぎれこむ事は無い。

まれだが、審査場内に先任の事務官がいて、日本人と判ると誰もいなくなったアメリカ国籍カウンターに回してくれる事がある。 期待は出来ないが、判りやすくパスポートをちらつかせているのが意外とコツ。

ロスアンゼルスの税関が少し早くなった理由は、オリンピックを契機に空港の施設拡張をおこない、人別審査に税関が入国審査官との連携プレーが具体化した為と思われる。

最近の経験だが、以前は税関申告書類を入国審査官が見せろと要求する事はなく、入国後、税関吏に提出したのだが、審査を受けて簡単な質問の後、審査官が税関申告書に何か記入し入国許可となった。 税関申告書を受け取り、ターンテーブルから荷物を持って税関カウンターにいったところ、書類を一瞥しただけでフリーパス。 持ち物の検査もない。

ところが、ひとつ脇のカウンターではヤーサン風のお兄さんがトランクの中をひっくりかえして調べられている。 どうも入国審査官が書類上に何か暗号めいたものを書き付けてリレーしているようで、隣の列ではサリーを一着に及んだ女性が別室につれていかれた。

米国の外地でも、本土の税関と入国審査は同様だが、日本人に寛大で早いのはグアムとハワイで、こと邦人に限っては本土の半分以下の時間ですむ。 特に個人ででかけても審査の際にはルックなどの団体の尻か、その前に飛び込む。 しやべれる英語は何を質問されても『バケーション・ワン・ウィーク』としかいわない団体を数こなしている審査官や税関吏は菊のご紋章のパスポートを見て擦印の上、そのまま返してよこすし、ゴロゴロサムソナイトのトランクご一行様を入国させてしまう。

最近では、英語をしやべる日本人も多いが、経済不況などもあって飛行機利用についても割り引き運賃の航空券を購入して旅をするビジネスマンも多い。

ところが、この割り引き切符はもともと団体航空券の切り売りだから、到着までは本来の団体客と呉越同舟なので、添乗員の旗についていけば、面倒もかからずに米国の土を踏める。 一旦空港を出れば、もう団体バッジは不要となる。 その上、日本に戻る分の航空券はその場でくれるので、帰国の際には個々に空港でチェックインするだけの簡単さ。

ただ、恐れいるのは、ポーターではなく航空会社の連中までがタクシーなどをおりた空港カウンターの外で預ける荷物の取り扱いにチップを要求する。 1ドル紙幣をちらつかせていると、手早くチェックイン出来るがなんとなく腹立たしい。 勿論、中まで持ち込んで搭乗券と引換る際に預ければチップは不要なのだが。

商品の見本など、日本人ビジネスマンは欧米のセールスマンの様に小振りに梱包するのが苦手で、つい大きなトランクを使用するので、とかく税関でトラブルとなる。

ところが団体の場合は、ほとんど帰りの土産用スペースを用意して出掛けるのでみんなデカいトランクが普通。 税関だってついついお目こぼしといった例が多い。

そんな訳で、米国本土に行かれる時には、時間の余裕があれば、ハワイで入国手続を済ませてしまうのが一番で、税関の連中もカタことながら日本語を理解する人が多く、ラクラク検査で済む。 以後の旅程は全て国内線となるので勿論、税関もない。

旅行を終えると、入国した際にパスポートにつけられた半券を米国から出発の際、航空会社がチェックインと同時に回収して税関に送付してくれるので、出国に際しては税関吏も姿を見せぬ。

ただし、免税品を機内に持ち込む前に、待合室などで開けてチェックなどしていると、免税店の職員が血相をかえて飛んできて、ホチキスで封印し直し怒られる。 酒類なども、各搭乗ゲートの脇で手渡す以外は、旅客の搭乗機に直前に搭載されて、成田など日本の空港で初めて受け取れる。

米国空港では、到着旅客については国内、国際と分けられているが、出発にはまったく区分がなくJAL東京行きの隣のゲートからシカゴやホノルル行きも飛び立つので、国内の旅客が免税品を手中に出来ない様に免税店職員が必死の監視を続けている。

欧州のなかでは空港の税関は簡単で、入国審査で時間がかかる事もあるが、アメリカ同様にインド人や焼きすぎたトーストの様な色をした顔の人々の列に紛れ混まなければ、預けた荷物を受け取り、矢印に沿って歩いて行くと税関は気がつかぬまま外に出てしまう。

英国などでは、自己申告制度として、赤(要申告)と緑(申告物件なし)の2ヶ所の通路が有り、該当する通路を抜ける。 挙動不審などがあれば税関吏によびとめられるが、日本人はほとんどフリーパスである。

日本では考えられないが、英国での日本からの団体旅行者は現地案内ガイドがポーターを呼んで全員の荷物を一括運搬して税関通路を通過してしまう。 税関の方も又、買い物客が高額輸入品をもっている訳はないので無言。 団体トランク引っ張りノイズが無いだけましと言うものである。

欧州でも、個人旅行でのコツは、俺は日本人である、と税関を抜けるまではわかる様にしておくと、質間を受けない。 だから税関通路を出るまでの間、パスポートを片手に持っているのが一番。 そのかわり税関を出たらすぐしまう事。 そのまま持っていると自タクやへんな客引きの餌食になってしまう。

フランスでは昨年のテロ事件の横行が原因で外国からの入国者についてビザの取得を義務づけたが、査証さえ得ていれば、審査はさほど問題ではない。 官吏はフランス語で質間してくるが、例によって『ホリディー・ワンウィーク』で判ってくれる。 この方法はホンコンでも通用する。

近年流入する東南アジアからの出稼ぎなどの防止の意味もあって、ホンコンへの観光入国者は帰りの航空券を携行することが必須条件とされている。 さらに滞在許可以内にフラィトが予約されている事が必要である。

ここでも日本からの団体については盛大歓迎で他のアジア諸国の国民よりは審査も簡単である。 ただ、1人づつブラックリストと照合されるので気分は上々とはいかないが。

荷物が戻ってくる間、ターン・テーブル越しに税関の検査の様子を見ていると、何となくうるさそうな官吏とチョロそうなのがわかる。 荷物を受けとってから、とにかくそのうるさそうなカウンターにゆくのがコツで、見え易い様にパスポートを差し出しながら、「こんにちわ、わたしは日本人、申告なし」と一気に言う。 ホンコンでは、入国審査や税関の役人に女性も多いが、出来る限り女性とチョロそうな男性職員をさけるのが得策のようだ。

絶対にトランクなどは下におかず、税関吏の目の前にドスンとおくのがテクニック。 ほとんどがホンコンなまリの『OK,OK』でパスとなる。 立ち去る前に、持っていたパスポートをカバンなどにきちんとその場で仕舞ってから堂々と出ればオシマイ。

ホンコンのお隣、マカオにいたってはさらに簡略で、ホンコンから高速船で到着すると、桟橋の端で入国審査があり、黙ってパスポートをだせば、ポンとスタンプしておわり。 日本人と香港人は95%以上が日帰り賭博にきたのであるから、税関などあって無いがごとし。 ホンコンに戻っての税関は酒類、タバコの2点を持っていなければ、トコロテン式にそのまま通り抜けて一件落着。

スイスのチューリッヒ空港では、EC諸国の人々は日本の国鉄の改礼口で定期券を見せる感じで入国審査を終わる。 日本人などは一応、パスポートをみて、かたことの日本語であいさつまでしてくれてスタンプも押さない。 つまり、後日、パスポートをみたってスイスに行ってきた事を証明が出来ないことになる。

デンマークでは、EC以外からの旅行者については捺印してくれるが、最近、英国でも出国スタンプは省略され一瞥するだけ。

同じ東南アジアでもシンガポールは、ホンコン、グアムと並ぶ自由港で、一部のものをのぞいては全て免税。 市内でも同じなので、買い物天国である。

飛行機がチャンギ空港に着いて、入国審査場にゆくまでの間に、世界でも少ない免税店があり、ウイスキーやタバコが購入出来る。

通常出国のみ免税店がある国が多いので、東京を発つ時に免税タバコを買ったりするが、シンガポールについては機内持ち込みなどせずに着いてから買えばよい。

日本人については入国審査官はまず質間もせずに、スタンプを押して返してくれる。 インド社会が強いこの国では、審査官の中にもターバンをしている官吏もいて、着いた途端からエスニックな気分に浸れる。 英国文化の残るお国柄ゆえか、税関も英国式でカウンターもなく自動ドアーを進んだらもう外で、出迎えの人が溢れる。

さて、日本の成田であるが、以前の羽田時代に比べれば格段スマートとなり、スピードも速くなっている。 出掛ける時に2000円もふんだくる空港だから、当然といえば当然だが、日本人の帰国審査は平均1分以内、預けた荷物が戻りだすのが15分以内と世界の空港でも最も速い。 ところが、税関の審査の行列は運が悪いと30分はかかる。

世界に年間400万人以上が旅に出るが、その多くが成田を通過するのだから、混むのは当然なのであるが、税関にくるといつも日本人の姑息さを見る思いで腹立たしくなる。

旅行者は何とか税関をごまかして通り抜けようと考えるらしく、税関吏と一戦となるケースが多すぎるのである。

ひどい例では、Tシャツの上に毛皮のコートを着用して、日本から持っていったふりで税関を通り抜けようとする女性までいる。 税関でなくったって、ハワイからの旅行者の衣類に毛皮など不要と判るのに、女の大胆さというか、馬鹿さかげんに果れてしまう。 多額の費用を掛けて外国を旅して、土産も充分に買い込んだのなら何故、きちんと税金を払おうとしないのだろか。

現在日本国が容認している免税額は、成人1人について酒類3本、タバコ200本、香水2オンス、そしてそのほかに10万円までの商品購入について無税で持ち込める。 これは世界中でも破格の高額で、米国では酒類1リットルとタバコ、個人使用分の香水少量と100ドル以内の買い物である。

外国を離れると、機内の乗客に対して税関申告書が配布される。 免税以内の所持者については日本の税関ではロ頭でも申告出来、記載の必要はない。

例によって回りの乗客の中にはごまかし作業をする者もいて、ひどいのになるとスチュワーデスなどに脱税の知恵を求めたりする馬鹿までいる。

その他、禁制品であるポルノ雑誌などの処分にそわそわしている客もいて、日本への到着2時間前ごろの機内の雰囲気は一時的にすこぶる悪い。

ジャンボ機に残されるボルノ雑誌は平均数10冊で、座席と機内の隙間や、トイレットの紙タオルを措てる箱で、ひどい時には便器の中に投げ込む例もある。

新人類の新婚フライトには特に大量の置き捨てポルノが有り、JALの1機内から200冊近いピンク本が出たこともある。

スチュワーデスの報告によると、これらの雑誌を機内に持ち込んでくるのは新婚組の男性ではなく女性に多いというが、確認はしていない。

大安から6日後の日本航空ホノルル発の便に一度乗り合わせてみると判るのだが、通路という通路には土産がはみだして歩行困難直前の状態。 これ以外に下の賃物室にもコンテナーぎっしりの土産物。新婦はポルノでためいきついて、新郎はアメリカ横断ウルトラクイズのぺーパーテストのごとき税関申告、まずどうみても通常な雰囲気ではない。

性格からか小生は、日本に帰国の際には免税枠内であっても、必ず申告書を書き提出する事にしている。 貰い物を含めて全て書き込む。 数100円程度のものでも記載して、合計額の欄には1物品1万円以内のものは加算しない。 日本の免税の鷹揚さには驚く程で、種別が異なるもので購入価格が1万円以内であれば10万円の枠に加える必要がない。

つまり、異なる物品で9000円の物を20種購入しても、課税対象金額はゼロであり、1銭も税金を払う必要がないのである。 書き込んだ申告書、パスポート、そして1万円以上の買い物の領収書を添えて、毎回、税関職員に挨拶をしながら渡す。 彼らはプロであり、虚偽については一瞬にして見抜く。 過去開港いらい5年余り成田の空港の税関をいくたびも通過したが、正しい申告をしていることが判ってもらえるのか、一度も所持品の検査をされていない。 一部の国の税関や入国審査を経験して、日本の税関をスマートに通過出来ない者はどこの国でもスマートにはゆかないのではないかと思う。 言葉に不自由な国では、なんとか無事に済まそうと祈る気持の邦人なのに、言葉が判る自国では、なんとか脱税をと思案にくれる人種を世界はどう受け止めるのだろうか。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第40話 冠婚葬祭の違い2010/04/22 23:25

婚礼の衣裳に大枚を払い、キャバレーのショーみたいな豪華な披露宴、そして英語の出来ない2人の海外へのハネムーン。 定着化してしまった日本式結婚儀式は海外にも知られていて、英国でもときどき質問を受ける。 一応の説明をすると、なぜそこまで両親が面倒を見なくてはいけないのか、引出物とはどういう意味なのか、など設問をあびる結果となる。

英国では高校に相当する学校が終るのが18歳で、一応親の教育義務が解かれ、大学進学などは本人の意向で両親の援助を受ける。 日本ほど大学進学率は高くなく、就職したり親元を離れて独立の道を歩きだす。 つまり核家族化のスタートとなる訳で、自立出来ればとんと親元には寄り付かない。

英国の青年には歴史に培われた独立心が強いのか、失業率が高い現実の為か、昨今、海外に出稼ぎに出る者が増えている。 昔の植民地である現在の連邦国へ、多数の若者は流出して職に就いている。 さらに、荒んだ英国の大都会より環境もよいので、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドなどへ渡った後、移民してしまうケースも多い。 そして愛に芽生え、恋に育つのが彼らのプログラムである。

英国に住んでいても海外にいても、緒婚式は両親に立ち合って貰いたいのはいずれも同じ。 教会での式をすませてから、友人、親族、親戚などを呼んで披露宴を取りおこなう。 箪笥、冷蔵庫など所帯道具1式をトラックで新居に、などといった慣習はなく、披露宴も会費制か、新郎新婦の負担でささやかにすます。 参列した者は、披露宴の食事代金程度の金品を彼らにプレゼントするだけ。 親威など近しいものが、花束や陶器のひとつも添える程度である。

両親が贈る新婚家庭へのプレゼントとしては、一番ポピュラーなものが陶器皿2枚、コーヒーカップ2組。 彼らにあらかじめほしい柄や、メーカーを聞いて用意する。 英国では著名な陶器としてボーンチャイナと呼ばれるものがあり、歴史をもつ多くの業者がある。 たとえばロイヤルドルトンなど、100年を越える同一柄を商っている。

皿とコーヒーカップでスタートした新婚カップルは、自分の必要範囲で同一柄の陶器を買い足して、家族が増えるにつれて陶器も増えてゆく。 勿論破損もするので補充も必要になるが、何年先でもメーカーが同じデザィンの物を揃えているので調達できる。 食器戸棚に陶器が増えてゆくのは、新婚以来の彼らの歴史の証でもある。

生きることの本来の悦びはまず自分たちが作る---。 英国伝来の継承を強く知らされた。

鎮守様の祭みたいな風習は洋の東西を問わず行われる。 わた飴などの祭特有の露店菓子なども同じで、子供たちの行列ができる。 神輿はないが、パレードや古式に則ったコスチュームに着飾った行列など、英国の祭は飽きることがない。 特に感じるのは、祭の時の人々の生きる悦び、そして親切さである。 普段はとっつきにくい連中までが、外来の日本人に対して歓迎してくれる。

東洋人に対する英国の人々は、例の不幸な戦争後の一時期をのぞいては、他の国の人々より寛容に感ずるが、これは香港などでの植民地での付き合いが継承されているのかもしれない。

実年から老年への1年は早い。 家財に囲まれて充実した生活の或る日、突然に神の加護に見放される時が訪れる。 友人の1人が、定年を待たずに退職した後床に伏した。 回復する事なくある日、地に帰った。 英国からテレックスで連絡をうけ、早速、弔電と花を届けた。 しばらくしてから夫人から丁重な返礼の手紙をいただいた。 後日英国を訪れた際、葬儀の様子を聞く機会があり、あまりの簡潔さに驚いた。

日本の通夜に相当するものはなく、医節の死亡の確認後納棺され、家族の手で教会に安置された。 教会での葬儀の後墓地に移され埋葬、参列した者はそのまま帰宅して終り。 その後は、夫人が日曜毎に墓地へ花を棒げる程度で、親戚などもほとんど見舞う事をせず、逆に、夫人が追悼に専念出来る様に、周りでは関知しないようにつとめている感じ。 葬儀も近親者などで、日本のように隣近所などの参列はほとんどない。 日本からの弔電、献花は、ことのほか夫人に感激を与えた。

残された者にとって一番先に手掛ける事は、今住んでいる場所を維持できるや否やで、家族がいる間に協議する。 ほとんど核家族なので、主人が逝去すれば残されるのは夫人1人。 子供の誰かに引き取られるか、そのまま現住居に残るか、または適当な場所に移転するかである。

郊外や地方では買物なども車で出かけなければならないので、老人にとっては不便で、大きな家は維持費用も馬鹿にならない。 近親者にも知らせる事なく、ひっそりと移転してしまい、以後消息知れずといったケースも多いそうだ。 小生の経験ケースでは、半年近く経ってから1枚のカードが届いて、住居移転の知らせを受けた。 従兄弟にあたる英国の友人がそれを聞いて、我々の過去の交友の深さに驚いた。 因みに、我々の間は単にビジネスの友。 普通では夫人から以後の住所など知らせてこないのがあたりまえ。

英国人の根底をのぞいて生きている事、生きていく時の悦びへの賛歌、反対に死に対しての黙視の礼など。

英国をやぶにらんで10年の足跡は、日本の慣習との大きな違いを知る事が出来た。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第39話 なにがなんでもホリデー2010/04/22 23:24

日本の労働基準法でも、年次有給休暇の定めがあり、1年を通じて6日を最低初年とし、20日間まで設定されている。 現実には週休2日制が普及しつつあり、休暇全部の消化は中々難しいので、多くの企業などでは翌年に繰越して、それでも消化できない分については、日給ベースで買上げ処理しているのが普通。 ところが、英国では、10年も勤めると、年間の有給休暇が1ヶ月以上あり、日本のように繰越買上げなどあり得ないので、なにがなんでも休暇を消化せねばならぬ。

英国とのビジネスで、最初の時は様子が判らないので、やみくもにコンタクトするが、商用で相手を訪れて判る事は、こちらがバイヤーであっても、重役全員と会える事はまず無い。 必ず誰かはホリデーをとっていて、数回にわたって訪問しても、一度も面接する事がないなどたびたびである。

勿論、大臣でも連れて行けばそんな事はないのだろうが。 日本政府でも、首脳会談の打ち合わせでも相手の休暇日程を聞いて日程を組む程で、日本人の様に、オレが日本からわざわざ出向くのだから待っていて当然、などと考えるのは日本儀礼で、国際慣習では通用しない。

逆に付き合いも深くなると、先方から自分の休暇日程を知らせてきて、その前後にビジネスを、と希望してくる。 相手と家族ぐるみの付き合いともなると、接待を合めてプランをたててくれる。 例えば5日間をビジネス訪問期間とすると、最初の3日間を会社の所在する町に滞在、仕事をすませる。 残りの2日間は、彼らの予定したホリデーの場所に同行して、休息をとりながらビジネスの残りもかたずける。 6日目にこちらはロンドンに戻るが、彼らはその日からフルにホリデーを満喫出来るという訳で、こちらが同道中は仕事であり、彼らのホリデーには含まれない。

英国では夏と冬の日照時間が極端に違う為に、夏の太陽をこよなく愛す。 夏のホリデーの為の準備は、最低半年前に始めて、海外などに出かける場合には、ホテルや飛行機の予約もすましてしまう。 国内旅行ではキャラバン(トレーラーハウスの車で、自家用車に連結してゆく1LK)に装備を整え、キャンプ地などに出かけてしまう。 動物愛護のお国柄ゆえに、犬、猫なども後都座席を占拠するのは当然。 まごまごしているとこちらの席が確保出来ない。

海外などに出かける際にも、犬、猫、馬などのエサの世話役を確保するか、日数分のエサを予めセットして出かける。 ところが、亭主が旅先でホリデーをエンジョイしていても、カミさんは犬猫を見る度に自分のぺットを案じるので頭痛の種だ。

優秀な会社社長及び重役の秘書とは、その条件に、休暇中の彼らに替わっていかに事務処理をするかにかかっており、休暇期間は社長を代行して決済まで行う権限を持たすところが多い。 また、儀礼的には女王陛下でも、休暇中の臣下を追跡することはないとされる。

休暇先から朝晩電話で連絡をとったり、号令ひとつで休暇を繰り上げて、いそいそと職場に戻ってしまう日本人とはまったく違うし、故に日本人はエコノミックアニマルの称号を受けたのではあるまいか。 また、秘書の方も休暇先の上司に助けを求めたり、ホリデー先を他人に漏らす様な行為は、無能と判定されて職場を失う要因となる。 つまり、日本人から見ると高慢で付き合いにくい秘書は、彼らにとっては有能と相成る。 最もそれ以上となると、愛嬌や態度はこの上なくよくてチャーミングな秘書もいて、丸めこまれるのであるが。

日本では通勤定期券、住宅手当補助、昼食補助など、本来の労働に支払う賃金にサブ的な援助が通例となっていて、定期券などは、通用期間中に休暇が入っていても、3ヶ月とか6ヶ月分の纏め買いをする。 どっちにしても会社が払うのであるから構わない訳だ。 ところが英国ではそんな制度はほとんどなく、全て自己負担が普通で、その上通勤定期の割引率が少ない。 ホリデーを取るのにもこの辺を計算に入れて、定期券の通用切れをホリデーの初日にしたりして抜け目がない。

会社でも商店でも、マネージャーの最も煩雑な仕事は、従業負から申請されるホリデーの配分で、どこのマネージャーオフィスでも大きなカレンダーを壁にはり、従業員のホリデー割り付けを書き込んである。 日本の様に、仕事の具合をみて休暇を取ろうなどという愛社精神は存在せず、申告された日程は、極力希望日に許可せねばならないしくみなので、調整には苦労が付きまとう。 その上、1年分の休暇申請を出されるので、年中誰かがホリデーを取っている緒果になってしまう。

産業革命に始まる英国の歴史は、常に先進を目指しているが、技術の進歩は抜群でも、オートメーション化とベルトコンベアーシステムにおいては、採用している企業が他国にくらべて極端に低率である。 これはホリデー優先の従業員をシステム化配置しても、休まれては全作業が止まって非能率。 ホリデーが多いのに更に買物や医者通いなどで欠勤率は非常に高く、経営者はお手あげなのだ。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第38話 洋傘督見2010/04/22 23:23

昔から英国の街の写真などで、紳士が山高帽子に黒背広、そして右手にこうもりは定番とされた。 現実にロンドンのシティーあたりの銀行員、金融業者、そしてスローンレンジャーなどは、今日でもこのスタイルを踏襲しているが、ひと昔前に比べると大幅に減っている。

英国のイングランドを例にとると、平均して、1日に1回雨が降る勘定になる。 しかし、1日中降り続く様な雨ではなく、シャワーと呼ばれる一時雨で、デパートの中にでも逃げ込んで、ミルクたっぷりの紅茶でも味わっていれば、いつの間にか雨は終演となる。

家庭の主婦なども買物に出る時には、傘は買物袋と共に必ず用意して出かける。 驚くかもしれないが、折たたみ式のこうもりが英国に出回ったのはまだ近年のことで、それまでは主人の中古などをとくとくと使用していた。 最近でこそ買物袋に財布とこうもりを入れ、いそいそと出かける主婦が多くなったが、それでも老婦人は絶対に折たたみ式を悦ばず、男性用大型洋傘を徴用している様である。

これには実用として一理あって、買物袋など重くなると、こうもりの納にひょいとひっかけて一休みしたり、ステッキの代用とすることが出来る。 女物の洋傘は荷物のハンガーにはならないので、男物の方が便利で丈夫という訳で、老人の知恵である。

ロンドンに着いて、ピカデリー通りの有名な傘屋で、1本の気にいった洋傘を見つけた。 早速買い込んで雨を待ったが、困果な事に、6月末の好天でその日は雨は降らず、翌日まで持ち越した。 翌朝朝食の後、一服していると、雲と太陽が入り混じる中で雨が降りだした。 新品の洋傘を持って飛出そうとすると、友人が、この雨は傘をさす雨ではないと云う。 辺りを見ると、傘をさして人々が往来している。 さらに友人は、人々を指差しながら、観光客や貧乏人は、やたら少々の雨でも安物傘をさすのであって、貴君の持つような高級英国傘は、やたらさしてはならぬものだと決め付けられた。

英国紳士たるもの一着におよぶ背広なら、サビルローの仕立屋が、カシミヤの素材で入念に仕上げてあり、カシミヤの持つ素質は少々の雨ははじき返す。 その上、戦場の雨にも耐えたバーバリー防水のコートなどは、スぺインの雨だって平気。

ではなんでこうもりを持つのかと尋ねると、これがはっきりせずに、究極の答えは身だしなみ。 つまり、紳士のアクセサリーという事だ。 さらに杖との違いを尋ねると、ステッキはつくものであり、傘は持つものであって、正確にはついてはならぬとキッパリ。 なるほどシティーなどで見かける紳士諸公は、傘の柄を腕にひっかける様にして持っている。

洋傘も最近ではナイロン地が大半で、木綿素材地は激減した。 理由はいろいろあろうが、10年程前までは、ロンドンの地下鉄の構内などに、こうもりの巻き屋がいて、何がしかの日銭でさし了えた傘をきれいに巻いてくれた。 英国には執事(バトラー)スクールがいまでもあって、ここを卒業すると、世界中に就職先があるといわれるが、授業科目の中にも、こうもりの巻き方が必須料目で存在する。 木綿のこうもりをきれいに巻き込むには技術が必要な訳で、日本人には想像もし得ない事である。 逆に「何であるアイデアル」式のスプリング開閉洋傘は彼らには想像出来ぬ事柄と言える。

経験不足ながら、英国と日本の雨には、降り方に微妙な違いがあるようで、英国の雨は縦に降りそそぐ感じで、日本の雨は若干横なぐりが多い様だ。 カラ傘、蛇の目の踏襲からか、日本の洋傘は開いた時の骨組はほとんど水平で、まさしく傘の字の形。 さす時には、雨の来る方角に合わせて使用するのが普通だが、英国の方は、開くと骨組が内側に湾曲する。 スーパーマリオのキノコ型になり、高価な傘ほど電気スタンドのかさを想像させる。 ロートレックやルノアールの絵画に、或る婦人のさす傘を見て、その伝統の違いを発見した思い。

ロールスロイスが雨のクラリッジホテルの正面に着いた。 通転手が急いで洋傘をさしかけて、後部ドアーを開け、主人を玄関までの数歩を送り込む。 運転手が戻ってくる間、ドアーの中を垣間見ると、素敵な彫り物をした柄の傘が座席にあった。 あの傘はいったいいつ使うのだろうか、と疑念を抱いてしまう。

備えあれば憂いなしという言葉があるが、英国での洋傘を見続けてきて、英国紳士の信条のしるしとして、ささない傘が存在する事を知ったのは、ずいぶん後の事であった。

シティーの昼下がりの事だ。 雨になった道路にひとつの車椅子。 ひとりの紳士がビルから出てきて、見事に巻かれた傘を開くと、車椅子の少年に差出した。 開いた傘を見てびっくりしたのは、これまた見事な折りしわで、地が透けている。

自分では1度もさしたことが無い傘に違いない。 見ず知らずの身体障害者の為ならと、この傘を開いた英国紳士、あっぱれな1シーンに胸をうたれた。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第37話 英国観音様事情2010/04/22 23:23

なにしろ、台湾やバンコックあたりを目指す日本人の航空旅客の中には、その道の斬り込み決死隊みたいな連中が必ずいて、団体の添乗員は、この手配の案配が大変らしい。 わが同胞が陽とすると、英国紳士は陰で、表面はネクタイの吊しモデル然だが、その道のつわ者でもある。

さて、世界で一番古い職業といわれる娼婦については、このロンドンでも、現在も立派に存在する。 パリやアメリカとの比較は出来ないが、英国では数段階に分類されるこの手の女性が存在する。

代表として上玉は、例のブロビューム事件に発展したロンドンの、アメリカや日本大使館付近メイフェアー地区に居住している娼婦で、1回のお相手代金何100ポンドのくち。 接触には、人ずての紹介でないとむずかしく、上流階級の社交術にも精通しており、王室のパーティーに同伴してもひけをとらない美貌と、とんがり鼻を武器としているモデルくずれも混じる。 つまりいい女の見本でもある。

その下となると、午後5時を過ぎると、ロンドンの一流ホテルのロビーに陣をとり、団体客のあいだをぬって交渉をはじめる定食型娼婦。 客の部屋でも、近くのホテルあたりでも、交渉次第で業務をいとなむ。

やたらに客の部屋で接触を要求する娼帰は要注意で、あとで持ち金全部が無くなったりする。 ホテルの中でも、バーで接近してくるのは、ロビーにくらべるとしつこいので困る。 うまく断るには、適当な酒を1杯おごって、今夜は駄目と逃げるのがコツで、アラブのおじさんのしつこくて下手な値切り交渉のように罵声を受けないで済む。

同じメイフェアー地区の娼婦でも不精組がいて、一流連中が住んでいる中に、女名前の表礼を出している連中がそれで、普通女名の表札などない町なので目立つ。 聞くところによると、この手の女性は昼間客をとり、夜には別の仕事をしたり、プレイボーイクラブなどのバーガールなどが含まれるそうで、淫乱の部類が混じる。 さらにさがってコベントガーデンの街娼なども商売繁昌とのこと。

日本でも大人のおもちゃ屋などが流行っているが、ロンドンでもこの手の商売がすごい。 ポルノ雑誌をはじめ、まか不思議な器具、薬品、衛生具など、はでな着板とネオンの中は昼下がりから沢山の客で賑わう。

日本人サイズとは格段なので実感にとぼしく、腕が入りそうなコンドームには吹き出したくなる。 客の方も、ひやかしや、一寸見がおもで、実際にはそんなに買わない。 商品?を見ていると英国製品は以外に少なく、米国、日本、韓国、西独、香港など、セックス産業の国際協調に驚くのであるが、どんな顔をして税関や業者が通関手続きをしているのか興味をひく。

ホラーショー、ロックなど、若者に人気の女装傾倒族やパンク族が、資金欲しさのシビヤーな売春ルートが存在している。 ディスコなどで取り引きがされ、相棒が鶏冠へアーの女を一時の金の為に売る。 女の方も、パンクでいい顔の彼氏にあいそをつかされない為に、他人との一夜を平然と共にする。 こんな事態を見ていながら素知らぬ顔をしていなければならない事情の一端に、2ケタの失業率がある。 この現状は、ビートルズ発祥の地リバプールではさらにひどいと云われる。

これらの事は実は表面の事で、水面下にこそロンドンの好色横綱の面目がある。 たとえば無数に存在する会員制のクラブなどでは色事にこと欠かない。 バーやレストランでは当然のごとくライブショーが全裸で上演され、セックスインターコースの実演など、観光客にはまったく知られずに楽しめるロンドンの夜である。 その上公然と、登録会員であればギャンブルも公認されていて、カジノでは毎夜ポンドやドルが飛び交い、灰色のロンドンのビル群の中は実はピンクに染まる。

女性の下着は紳士の為にデザインされると云われるが、長い年月にわたりアンダーウエアーの分野では、英国が世界の冠たる地位を守り続けている。 新素材の採用、カッティング、セクシャル感覚など、総合的に他国は太刀打ち出来ない程だ。 日本でも近年、シルバーローズなど一部のブランドが知られてきたが、輪入されるのは商品ではなくカタログが主で、スケベ紳士にとってはカタログの商品は買わず、スケスケランジェリーのモデルを鑑賞する為とかで、メーカーはぼやきっぱなし。 でも6畳2間のアパートではとてもカミさんには着せられる下着ではないみたい。

JTBかジャルパックの日本人が数名、ドイツの出稼ぎアンチャンやロンドンさえ出てきたスコッチなど数10名が、目を輝かして待つロンドンのレイモンドレビューバー。 バーと云っても飲み屋ではなく有名なストリップ。 全てが観音様御開帳で、男女組合せのショーも含まれる。

ポールレイモンドは英国のヘフナーで、ポルノ誌をはじめセックス産業で巨大な富を得た。 彼と話をする機会があって聞いたのだが、日本人は彼にとって重要な顧客だと云う。 ちなみに、このストリップ小屋は、英、仏、独、そして日本語で開演、休息などの案内がある。 さすが東の横綱と敬服。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第36話 ネバー オン サンデー2010/04/22 23:22

英国の国教として独自のキリスト教があり、マザーグースなどの幼児誌などでも、日曜日には教会に出かけて祈りを捧げると思っている人が日本ではいまでも多い。 ところが、実際に英国にいってみて判るのであるが、特別な日とかクリスマスをのぞいてはまず、教会に出かける人などほとんどいない。 充分に朝寝を楽しみサンヨーかトシバ(東芝)製のコーヒーメーカーで、ベッドサイドでコーヒーを沸かして、ベッドの中でゆっくりと味わう。 核家族化している家庭では老若を問わずカップル単位の生活なので、日曜日の朝食はまずカットしてしまう。

普段は11時半から開く昼のパブは、日曜日に限って11時、と開店が早目。 ホテルのレストランも同様で、朝食と昼食を兼ねたブランチを提供する。 ロンドンなどの有名なホテルでも日曜日となると、家族中でブランチをとりにくる客の為に、泊り客の数の数倍の量を用意する。 ベッドでコーヒーを飲んだだけなので客の食欲も旺盛で、ビュッフェスタイルの料理が見るみるうちになくなってゆく。

日本やホンコンなど日曜日に商店が開いていて、ショッピングが出来るのならいいのだが、英国の主婦にとって日曜日の朝・昼の台所仕事は、ネバー・オン・サンデーと云う訳だ。 日曜営業労働法案を国会に提出したら、サッチャーさんが先頭に立って廃案にしてしまった国柄ゆえに、台所雑務がない日曜日のブランチの満腹を消化するのには、当然乍ら代案が必要となる。

観光客でもっている都市ロンドンとも云われるのに、日曜日は博物館や美術館は、そのほとんどが午後だけ開館するので不思議に思われるが、市民にすれば、月曜日から土曜日まで観光客はいつでも来られるのであるから、日曜日ぐらいは自分達の生活にあわせてオープンして当然と考えている。

つまり、館側の人も市民も、ブランチのあとに楽しんだり、管理したりできる時間帯にセットして腹ごなしをしている訳で、観光客はネバー・オン・サンデーといったところ。

公園の催し物も同様に午後からの開催で、午前中は老人とハトが支配する。 国鉄やロンドンの地下鉄なども日曜日の午前は運転回数が激減して、10分以上も次の電車を待つのが普通。

ロンドンの状況に驚いていては英国にはとてもついてゆけない。 イングランドでは規制がないが、スコットランドでは、なんと日曜日には釣りが法律で禁止されている。 休息日には殺生したりせずにゆっくり休めというのか、ゆとりある日曜日の釣りはご法度である。

英国第二のスポーツと云われる釣りではあるが、その中でもサーモンフィッシングはフライ釣りが主流である。 英国の代表的なサーモンリバー「テイ川」での典型的なスケジュールを紹介すると、日曜日に目的地の釣り宿に投宿して、主人のアレンジしてくれたギリー(助手)に紹介される。 釣具を持ってこなければ手配を頼み、翌朝の出発時間や最近の釣り場での釣果などを聞いてその日はやすむ。 まだ夏なのに木枯しの様な風の音が気になって、羊を数えたくなる。

月曜日から金曜日までは、ただひたすらに釣りに明け暮れる。 一日に何度となく変化するスコットランドの天候もめげず、立ちこみ、ボート、岸辺からのキャストなどサーモンへの挑戦である。 ギリーは最良の釣りが楽しめる様に、フライのセットからバックラッシュの糸解きまで注意を怠らない。 その上、ランチバスケットを開ける前に、ジントニックを主人好みにサービス出来ないと一人前として評価されない厳しさだ。

金曜日の午後、釣れたサーモンを好みの方法に宿に注文する。 スモークにして持帰る者、ハクセイに仕上げる者、宿屋に売却してしまう者などで、売った代金はギリーヘのチップの足しにもする。 季節の再会を約してギリーに1杯のビターを振舞い、自分でもジントニックのおかわりをする頃には疲れがドットでる。

土曜日の昼前、遅い朝会をすませて宿をあとにする。 トランクにはスモークされたサーモンが土産。 日曜日は釣りが出来ないスコットランドとのお別れとなる。 ひつじに注意の交通標識を見ながら、いくつかの山越えを了えるとエジンバラが近い。 さらにドライブで南下すること2時間、スコットランドとイングランドの国境を示す看板に出会い、ツイード川を渡りきると丘陵地帯のイングランドとなる。

英国の暗黒の歴史は毒殺の歴史といわれる。 これは多くの河川をもちながら、飲み水に不足した為で、領主は自分の領地に貯水池を作り、水の安全を知る手段として魚を放ち水を管理した。 魚が浮きあがる事態となれば、水に毒をもられた証拠となった。

山のないイングランドの夕方ともなると、今でも貯水他にはエサ釣りの人々でにぎあう。 イングランドでは日曜にも釣りが出来るので、黄昏時、しばし釣り糸をたれてと思っても、釣具屋が休みでエサも買えず、結局、フリのビジターは簡単には釣りも楽しめない。 やはりここでもネバー・オン・サンデーである。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第35話 混乱言語英国やぶにらみ第三世代2010/04/22 23:21

英国の人々は普段、ヨーロッパ大陸の言語の異る人との交流が頻繁であったり、片言であっても、けっして礼を欠く様なそぶりは見せないし、かみくだく様にゆっくり話をあわせてくれるなどの配慮を示す。

ところが、相手がアメリカン言語を多用すると、極端に不快感を示したり、後になってあれはカーボーイよ、と耳打ちしたりする。 そこには誇り高き英語を、勝手に作り換えた異端者の言語にたいしての所作を許さない一面が現存する。

基本的にヨーロッパ人は、米国人を見下す素質を心のどこかに持っていて、何かにつけてはアメリカを小馬鹿にしたり、話題の種にする。 我々日本人が、一般に米語にふれる様になったのは、そのほとんどが戦後の進駐軍にはじまるもので、それ以前はなかったといえる。

明治政府は開国とともに、日本の政府高官などを英国に派遺して、以来第二次世界大戦までは、英国からの影響を受けた英語が輪入されたのである。 ところが進駐軍にはじまる戦後の英語は、じつは米語であって、けっして正当英語ではなかったので、以後40年、2ケ国を機軸とする言語が、混乱使用するはめとなった。 自分では気がついていないのであるが、英国人の耳には、米語と英語をミックスして使用している現在の日本人をどう見ているのか、気にかかる昨今である。

いったい、英語と米話はどこが違うのか。 ロンドンの著名書店に出向き、資料でもと思ったら、ピカデリー通りの土産店で、すごい小冊子をみつけた。 ポケットにはいる小さなもので、英語/スコットランド語、英語/ウェールズ語、そして英語/米語の辞書である。

英国々内でも言語が異なる国であるので当然なのであろうが、日本で東京語/九州語、関西語/東北語の辞典なんてものを金田一先生も作っていないので、早連、英語/米語の辞書を買ってみた。 宿に戻って数頁をみてゆくうちに、英国人が瞬時にしてアメリカ人と見抜く事をあらためて納得するとともに、英話と米語ではこんなにも単語や使いかたが違うのかと唖然とした。

さらに、わが日本人が教え、使い、信じている言葉が、なんともめちゃくちゃに米、英語をミックスしており、平然と行使している現状は、後年禍根を残すのではと懸念する程である。

言葉の乱れは世界中で問題にされている。 さらに、外来単語を転用、自国語にしてしまう傾向が近年さかんでフランスのミッテランが国内の看板、広告などに、英語の使用を禁じる法律を施行したが、効果の方はいまいちである。 日本ではさらに悪のりして、新聞、雑誌などが外来語を短縮してしまう。 マスコミとかテレビとかもそうで、軽率人間は、逆に英国でも通用すると思ってしまうので、余計始末に困る。

アメリカで使われる単語で、アパートメント(貸部屋)、バッゲージ(小荷物)、キャンデーショップ(菓子屋)、フレンチフライ(ポテトプライ)、ガス(ガソリン)、パッケージ(小包)、メール(郵便)、リザーべーション(予約)、ムービーシアター(映画館)、ワン・ウェイ・ティケット(片道切符)などは、英国では、フラット、ラゲージ、スイートショップかコンフェクショナー、チップス、ペトロ、パーセル、ポスト、ブック、シネマ、シングルティケットという具合になる。

英国で通常使用されている単話から例をとると、バンクノート(紙幣)、シティーセンター(繁華街)、ダイナモ(自動車用の発電器)、フーバー(電気掃除器)、テレフォーンキオスク(電話ボックス)、ニート(ウィスキーなどの飲み方)、スパナー(工具)、スイスロール(ケーキ)、バン(自動車の1種類)などがあるが、これが大西洋のかなたではビル、ダウンタウン、ジェネレーター、バキュームクリーナー、テレフォンブース、ストレイト、モンキーレンチ、ジェリーロール、デリバリートラックとなるのである。

これだけの単語の中でも判る様に、英語または米語ではまったく違うものが存在し、日本では単に英話として両方の単語を混乱使用している事がわかる。 面白いのは郵便ポストという日本語で、英国では郵便の意をポストと云うから、直訳するとポストポストという事になる。 米語と英語という範囲のなかでさえ敵視するのだから、もし日本の英語化が現状のまま進んでいくと、ミックス、短縮した日本英語は、混乱言語第三世代を創造する危険を感じる。

英国のヒースローの入国審査で、旅券をだして許可を受けるのだが、滞在日数と目的の質問がある。 日本からの団体旅行客を、近年大手の旅行会社では、現地の日本人ガイドを到着ゲートまで出迎えさせる様にしている。 日本からの出発前にレクチャーしても17時間の疲れが、暗記した英語の答えを忘れさすので、到着後、しかるべき模範回答をインスタント講義で入国審査前にやっている。

目的はホリディー(観光休暇)、滞在はワンウイーク(1週間)と暗記させる。 10日であっても、面倒なのでほとんどワンウィークで統一。 これがハワイのホノルルの入国審査の時は、目的はバケーション、つまりホリディーが英語で、バケーションは米語である。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第34話 ストリート芸術家と作品2010/04/22 23:20

ロンドンには最高から最低まであるので、どこかに人生の楽しみを見出す事が出来、ロンドンに厭きたものは人生に厭きた事と云われる。 他人から見れば実に奇妙なことであっても、本人がそこに人生への共感があれば良いとの根本理念を知らされるものに、ロンドンではよく出会す。

ペチコートレーン、ポートベロー通りなど、ストリートマーケットと呼ばれる露天市があちこちに立つ。 日本と違い歩行者天国の規制がない場所もあるので、混雑する雑踏の中を車が乗り込んできて、露店の2~3軒がつぶされたりする事があるが、喧嘩になるのは当事者だけで、はたから見ればこれもストリートパーフォーマンスにすぎない。 露天市でまず目につくものは、やたら骨董らしき物件で、商品の内容となるとピンからキリまでと多種多様。 中には皆目見当がつかぬ珍なるものも含まれる。

そして日用品に古着であるが、近年この古着については、やたら日本人が買いあさるという。 原宿族を相手の店などが買付けにきて、まとめ買いをする。 相当の数を買っても古着の単価などしれたものなので、別送品とか自己衣類として持帰ってくれば、成田税関でも課税の対象にならない。 ロンドンの最新ファッションを見聞して、パンク族の情報も得て、持帰った古着を原宿、六本木でさばけば、旅費はほとんど取り返せる。

さて、市の店には果物屋も多い。 アフリカやヨーロッパ各地から輪入されたフルーツが山積みされる。 ダンボールの口を開けただけのものも沢山あって、ケニアとかスペインとか原産地が判る。 そんな混雑のなかでバスカーと呼ばれる芸術家が街頭でいろいろな芸を披露して、なにがしかの金銭を得る。

ハーモニカの演奏、バイオリン、ギター、アコーディオン、ほとんどの連中が数種の楽器をひとりで弾きこなす。 この連中の演奏程度がまた非常に高度なもので、そんじょそこらのオーケストラの団員以上の腕前も沢山いるので驚かされる。 一部ではあるが、レコードやテープを吹き込んだ経験者もいたりして、そんな連中の集金函にはコインも多い。

ロンドン市民の耳の方も中々の評論家で、へたな演秦などにはビタ1文出さぬし、リンゴを噛りながら耳をすます。 コンサートホールの演奏会でロンドンフィルなどでも演奉中にごうごうとブーを出し、演奏を止めさせてしまう実力をもつ市民であれば当然かもしれないが。

バスカーたちの公演会場はストリートマーケットだけではなく、地下鉄乗り換え通路、公園などでもあり、裏辻などもステージとなる。 バイオリンを取り出したあとのケースが集金函で、バイオリンにはロンドンコックニーのシンボルボタンを張り付けてある。 見事にブラームスのハンガリアン舞曲を弾きながら、20ペンスコインを入れたらウィンクを返してきた。

日本では街頭で露天の店を開くには警察の許可やら、ヤーさんの島割りを取ってからなど、ややこしいそうだが、ロンドンでは誰もとがめない様で、警察官でさえバスカーの演奏に聞き惚れている事がある。 どうやら私有地以外ならどこでも店開きが出来る様子で、観光客が集りそうな処では必ずこの連中に出会う。 但し、女王領地は一切バスカーには使用させない。

著名なミュージカルのマイフェアレディーのシーンにロンドンの青果市場が出てくるイライザとヒギンス教授、ピッカリング大佐のはじめての出会いの場所、コベント・ガーデンは、レスタースクェアーやピカデリーに程近い繁華街にある。 勿論、イライザがスペインの雨を習った時代はよかったのだが、今では市中のど真ん中の市場は不便きわまりないし、周辺への異臭問題もあり、ロンドン市では都市計画にもとずき、先年市場を移転した。

日本であれば移転終了と共に建物を壊し近代ガラスビルを建てるのだろうがそこは古さを尊ぶロンドン子、巨大な市場ビルの外壁をプラスター補強し、古色蒼然のまま磨きあげた。 中は全面改修するとともに区割りをして、新しいショッピングモールに生れ変った。 その上、露天空間をバスカーや街頭芸人の公演広場として開放した。

今や、ロンドンにおける新名所のひとつとして観光バスの経由ルートになっているが、ここでは、パントマイム、ストリートオルガンなどのほか、大道芸の典型でもある火吹き男とか、クサリはずし、ジャンピング・ジャックなどの古芸までが再現されている。

露天広場の片隅に、毎日きまって腕前を披露しているチョーク画家がいる。 数百本のカラーチョークが絵の具で絵筆。 まずコイン集めの函をセットして得意のチョークで路上をキャンバスに見立てて作画を始める。

1時間もすると、数10点の作品が仕上がり、まるで彼の個展会場となる。 作品には、風景、花、モザイク風アブストライトなど、見る者が厭きないように実に見事に変化を持たせている。

無情にも、仕上げを待っていたかのように、驟雨が広場を襲い、チョーク絵画は瞬時にして消える。 大道画家は「グランド・フィナーレ!」とどなりながら、観衆の目の前に集金函を突き出した。 ほかのパフォーマンスも大自然が幕を引いたので暫時休憩となった。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第33話 御用達風ボタンとリボン2010/04/22 23:18

何と云ってもロンドン名物をあげるとバッキンガム宮殿、ウィンザー城、そしてセントジェームス宮殿での衛兵交代の儀式である。 春から秋までは毎日、冬は隔日、午前11時30分から、女王陛下がいれば実行される。 ロンドンの観光協会名誉総裁?としてよい程で、女王陛下をはじめとして王室の人々の協力は、少なくとも20%、ポンド通貨下落の防止の役にたっているともいわれる。

凋落の途を続ける今日の英国にとって、米国をはじめとする観光客の落としてゆく歳入は大きな部分を示す。 女王陛下は出来る限り保有する財産を公開しており、また供用に付しておられる。 公園しかり、城内の部分もそうだ。 さらに一部の近衛兵についても観光者の為に作業をふりわけ、ロンドンを訪れる人々の楽しい思い出作りに配慮されている。

例えば、バッキンガム宮殿から1キロあまり離れて騎馬連隊の本部があり、交代式には1個師団が制服着用で騎馬によるパレードを行う。 彼らの着用する制服はリボンなどの装飾品一式で19ポンド(22kg)にもなる。 同時に騎馬連隊本都の門前に同じ服装で乗馬した2名の衛兵を1時間交代で職務につける。

これが観光客の為のロイヤルサービスで、客の中には馬にさわる者あり、リボンをひっぱる子供、衛兵と並んで記念写真をとる者ありで、衛兵にとっては戦以上の激務となる。 さらに数名の他の衛兵を庭先に配置して、旅の思い出作りのサービスとしている。

騎馬連隊は赤ぶさ付きの金属へルメット、黒色ジャケットに純自ズボン、金属裂防弾チョッキにホワイトたすき、サーベルに長靴の制服で、カッコよさでは衛兵の中ではダントッである。 平均22~25歳の隊員のほとんどは世襲でしめられており、一般の子息は入隊の可能性がないといわれるエリート集団である。 これに対して、熊の帽子に真っ赤ジャケットの衛兵は、歩兵師団から構成されている。

英国はご承知のとおり連邦なので、警護にあたる歩兵師団は、交代毎に派遺してくる師団が異なる。 基本の制服は同じであるが、現在王室を警護している連隊は、5方面からの派遺隊である。 しかし、よく制服をみると、前面の金ボタンの配列が微妙に異なり、出身地方が識別出来る。

まず、グレナディアーとよばれる近衛兵第一連隊で、専ら王室警護の為に組織された師団であり、フロントボタンの配列は8個を均等につけてある。 コールドストリーム師団は、イングランド隊で、ボタンは10個、ふたつづつを5段に配列してある。 スコットランドの衛兵は3個づつの3段で合計9個のボタン、北アイルラン師団は、4個2段で8個の金ボタン。 ウェールズ派遺隊の制服は、中間にすきをとった5個2段になっていて判りやすい。

衛兵交代式自体は、バッキンガム宮殿の表庭で挙行されるが、その前後には宮殿までの歩兵パレードがあり、軍楽隊が先導する。 イングランド、ウェールズそして北アイルランド軍は、離れていると吹奏楽で奏でられる曲名が判らないと判別しにくい。 彼らの演奏する曲目のなかには、必ず出身地の民謡、童謡が編曲されているからだ。

それにひきかえ、スコットランドの軍楽隊は絢爛豪華である。 数10人のバグパイパーを先頭に、全員が古式ゆかしいキルトを着用してのパレードで、スコットランド隊の先導を勤める。 日本人の多くが文部省唱歌として口吟んできたメロディーが一番よく演奏されるのもこの軍楽隊の時で、中にはテッキリ日本の唱歌とおもっていたものが、実はかの地の民謡であったことを知る機会でもある。

宮殿の衛兵は不動の姿勢で警護にあたると聞かされているが、彼らも人の子。 ある機会に長時間にわたり観察してみた。 不動に近い姿勢を保持しているのは、実は数分単位で、疲れてくると捧げ銃のスタイルで門前を歩行して、また元に戻ることを練り返して疲れをとる。 約1時間で次の衛兵と交代して休憩にはいる。

この状態は午前8時から午後9時までで、その前後と深夜は鉄砲担いで宮殿周辺をぶらぶらして、警官などとも立ち話しにふけっており、けっして24時間不動の姿勢ではないことが判ったときは妙にうれしかった。

あるパレードの際、警護にあたっていた衛兵が疲労からバッタリ倒れた。 交通整理にあたっている巡査数人の脇での事だ。 しかし、警察の連中は誰も助けず素知らぬ顔。 しばらくして同僚の衛兵がきずき、やっと救助された。 あとで聞いた話だが、警官と衛兵の間は所轄が異なり、軍隊に対して地方自沿体からは要請がない限り、援助をしてはいけないのだそうで、どうやら石頭はどこの国にもいることを知らされた。

国家非常事態宜言中以外、女王陸下が絶対宮殿から外出できない時間がある。 それは衛兵交代式の行なわれている間で、なぜならこの間は衛兵が女王を警護出来ないから。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第32話 アカ 赤 あか2010/04/22 23:17

昔、日本のザレ歌に「郵便ポストの赤いのも、お猿の尻が赤いのも…」などと云った文句があったが、ロンドンにきてふと思い出した。 なにしろ、街中に赤の色彩が多用されているからだ。 まず、ユニオンジャックのあか、ごぞんじのとおりイングランドの十文字のアカ、北アイルランドのXラインあか、そしてスコットランドの青地に自抜きXラィン組合わせで出来ているのであるが赤色の面積が多い。 官公庁をはじめとしてオミヤゲ屋までがこの旗を掲げており、やたらアカ色好き国民である。 公衆電話ボックスも、一部の国際電話ボックスを除いて全部が赤。 日本の郵政省が明治以来真似ている郵便ポストは両国ともアカ色が基準である。

ロンドンをはじめとして、主要英国都市の交通機関のバスは、そのほとんどが赤色に塗装されている。 郊外行きのものはグリーンなどがあるが、町中を走るものは広告を抱いた赤バスである。 地下鉄のシンボマークもアカで出来ていて、何処が地下鉄の入口なのか、遠くからも判別出来る。

緑の国とも呼ばれる英国は、春から秋にいたる期間、国中がみどりに染まる。 公園の樹木はむせかえる程のみどりを作りだす。 郊外の丘陵地帯は、グラスの絨毯を敷詰めた様に輝く。 そんな風景の中に現れるアカ色の美しさの認識度合は、他の色にくらべると格段上で、英国のデザイナーやプランナーの赤色採用の尺度を知らされる。

赤色の効用は、長い冬の期間についても明瞭度に変りなく、明確に判別出来る。 日照時間が極度にかわり、どんよりとした日中が終日支配する。 建造物なども古色蒼然としている中を、唯一ブライトレッドのバスがアクセントをつける。

衛兵交代で有名なバッキンガム宮殿やセント・ジェームス宮殿などの衛兵たちも10月の声を聞くと、春までグレイのオーバーコートと熊の毛の帽子の制服にかわりアカくなる。 夕暮れなどは、なんとなくドブネズミ色で生気にかける。 冬が近づくと狩猟のシーズンで、郊外で多くの狩りに出会う。

この乗馬服がブライトレッドが多く、周辺や自然のカラーとそぐわないし、獲物に警戒を与えてしまうのではないかと心配するのは間違いで、もともとキツネ狩りなどは猟大などに追跡させ、本人は後方から追うので、ア力色のジャケットは猟犬に主人の位置を知らせる認織色としての度合が強く、また、他の狩人に獲物と間違えて誤射されないよう保護する為のものである。

かつて世界の七つの海を制覇した大英帝国は、多くの退役軍人を生んだ。 当時第二次世界大戦の従軍兵士であった人々も、今は年金で暮すのが大半。 しかし、老人パワーは中々のもので、昔の活躍ぶりを今も誇っているかのごとく、機会をみてはパレードなどに参加してくる。

これが又、真っ赤の上着に勲章を胸一杯にさげ、退役時の階級腕章、襟章などを並べ立てる。 遠くから見ていても目立つアカだから、その人数にびっくりしてパレードに近づいてみると、なかには入れ歯のないフガフガじいさんや、赤い制服も実はシミだらけであったりして、アカは遠くから見るに限るなぁと感じたりもする。

反対にセント・ジェームス公園やリージェント公園での軍楽隊のコンサートには必ず最前列に退役軍人の姿がみられ、写真愛好家の為に、緑の中でひときわすばらしい被写体の役目をはたしてくれる貴重な存在でもあるのだが。

本来、警戒の色として赤は多方面で使われてきており、また、情熱をあらわす色彩として評価されているが、英国人ほど一般に上手にこなしている国民は少ないのではあるまいか。

我が国の国旗は赤と白で構成されており、紅白の引き幕などは、このカラーコーディネートを採用している感じを持つが、英国でも同じようにデザインの基礎に赤とスコットランドブルーを念頭におく。 だがイングランドの優勢作用のせいか、やたらアカの色彩が目立つようだ。

英国の中でスコットランドは北に位置すろ。神の水とも呼ばれる清水や湧き水と、自然の冷気と湿度が世界に知られるウィスキーを生み出しているのは有名で、あとはタータンチェックや、ハリスツイード、カシミヤセーターなどがあげられる。 カシミヤセーターなどは本来、アジアのカシミール高原の羊毛で、英国産ではない。 現に、中国の国華商業公司なども中国産のカシミヤセーターを、香港などで販売しているが、染色がまるで下手で、毛質のツヤまでなくしてしまっている。

その点、赤色にかけては何10種と染め分けられるスコットランドの技術は、タータンを始めとして、カシミヤの染色を見事なまでに仕上げる。 ウィスキーを作りだす神水が、湯のしにはじまり、脱脂作業、染色、すすぎの全工程に微妙な役目を果たす。

現実に世界の服飾界において、カシミヤの赤色について最高の色合いを出せるのは、スコットランドだけといわれる。 英国の有名なアカ嫌いは、首相のサッチャーさんで、国鉄赤字、予算赤字、へリコプター会社の赤字が原因の閣僚とのトラブルなど、おそらく女王陸下のアカいバラも、しゃくの種やもしれぬ。(荒井利治)

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