英国やぶにらみ第34話 ストリート芸術家と作品 ― 2010/04/22 23:20
ロンドンには最高から最低まであるので、どこかに人生の楽しみを見出す事が出来、ロンドンに厭きたものは人生に厭きた事と云われる。 他人から見れば実に奇妙なことであっても、本人がそこに人生への共感があれば良いとの根本理念を知らされるものに、ロンドンではよく出会す。
ペチコートレーン、ポートベロー通りなど、ストリートマーケットと呼ばれる露天市があちこちに立つ。 日本と違い歩行者天国の規制がない場所もあるので、混雑する雑踏の中を車が乗り込んできて、露店の2~3軒がつぶされたりする事があるが、喧嘩になるのは当事者だけで、はたから見ればこれもストリートパーフォーマンスにすぎない。 露天市でまず目につくものは、やたら骨董らしき物件で、商品の内容となるとピンからキリまでと多種多様。 中には皆目見当がつかぬ珍なるものも含まれる。
そして日用品に古着であるが、近年この古着については、やたら日本人が買いあさるという。 原宿族を相手の店などが買付けにきて、まとめ買いをする。 相当の数を買っても古着の単価などしれたものなので、別送品とか自己衣類として持帰ってくれば、成田税関でも課税の対象にならない。 ロンドンの最新ファッションを見聞して、パンク族の情報も得て、持帰った古着を原宿、六本木でさばけば、旅費はほとんど取り返せる。
さて、市の店には果物屋も多い。 アフリカやヨーロッパ各地から輪入されたフルーツが山積みされる。 ダンボールの口を開けただけのものも沢山あって、ケニアとかスペインとか原産地が判る。 そんな混雑のなかでバスカーと呼ばれる芸術家が街頭でいろいろな芸を披露して、なにがしかの金銭を得る。
ハーモニカの演奏、バイオリン、ギター、アコーディオン、ほとんどの連中が数種の楽器をひとりで弾きこなす。 この連中の演奏程度がまた非常に高度なもので、そんじょそこらのオーケストラの団員以上の腕前も沢山いるので驚かされる。 一部ではあるが、レコードやテープを吹き込んだ経験者もいたりして、そんな連中の集金函にはコインも多い。
ロンドン市民の耳の方も中々の評論家で、へたな演秦などにはビタ1文出さぬし、リンゴを噛りながら耳をすます。 コンサートホールの演奏会でロンドンフィルなどでも演奉中にごうごうとブーを出し、演奏を止めさせてしまう実力をもつ市民であれば当然かもしれないが。
バスカーたちの公演会場はストリートマーケットだけではなく、地下鉄乗り換え通路、公園などでもあり、裏辻などもステージとなる。 バイオリンを取り出したあとのケースが集金函で、バイオリンにはロンドンコックニーのシンボルボタンを張り付けてある。 見事にブラームスのハンガリアン舞曲を弾きながら、20ペンスコインを入れたらウィンクを返してきた。
日本では街頭で露天の店を開くには警察の許可やら、ヤーさんの島割りを取ってからなど、ややこしいそうだが、ロンドンでは誰もとがめない様で、警察官でさえバスカーの演奏に聞き惚れている事がある。 どうやら私有地以外ならどこでも店開きが出来る様子で、観光客が集りそうな処では必ずこの連中に出会う。 但し、女王領地は一切バスカーには使用させない。
著名なミュージカルのマイフェアレディーのシーンにロンドンの青果市場が出てくるイライザとヒギンス教授、ピッカリング大佐のはじめての出会いの場所、コベント・ガーデンは、レスタースクェアーやピカデリーに程近い繁華街にある。 勿論、イライザがスペインの雨を習った時代はよかったのだが、今では市中のど真ん中の市場は不便きわまりないし、周辺への異臭問題もあり、ロンドン市では都市計画にもとずき、先年市場を移転した。
日本であれば移転終了と共に建物を壊し近代ガラスビルを建てるのだろうがそこは古さを尊ぶロンドン子、巨大な市場ビルの外壁をプラスター補強し、古色蒼然のまま磨きあげた。 中は全面改修するとともに区割りをして、新しいショッピングモールに生れ変った。 その上、露天空間をバスカーや街頭芸人の公演広場として開放した。
今や、ロンドンにおける新名所のひとつとして観光バスの経由ルートになっているが、ここでは、パントマイム、ストリートオルガンなどのほか、大道芸の典型でもある火吹き男とか、クサリはずし、ジャンピング・ジャックなどの古芸までが再現されている。
露天広場の片隅に、毎日きまって腕前を披露しているチョーク画家がいる。 数百本のカラーチョークが絵の具で絵筆。 まずコイン集めの函をセットして得意のチョークで路上をキャンバスに見立てて作画を始める。
1時間もすると、数10点の作品が仕上がり、まるで彼の個展会場となる。 作品には、風景、花、モザイク風アブストライトなど、見る者が厭きないように実に見事に変化を持たせている。
無情にも、仕上げを待っていたかのように、驟雨が広場を襲い、チョーク絵画は瞬時にして消える。 大道画家は「グランド・フィナーレ!」とどなりながら、観衆の目の前に集金函を突き出した。 ほかのパフォーマンスも大自然が幕を引いたので暫時休憩となった。(荒井利治)
Copyright (c) T.Arai, 1986. All rights reserved.
ペチコートレーン、ポートベロー通りなど、ストリートマーケットと呼ばれる露天市があちこちに立つ。 日本と違い歩行者天国の規制がない場所もあるので、混雑する雑踏の中を車が乗り込んできて、露店の2~3軒がつぶされたりする事があるが、喧嘩になるのは当事者だけで、はたから見ればこれもストリートパーフォーマンスにすぎない。 露天市でまず目につくものは、やたら骨董らしき物件で、商品の内容となるとピンからキリまでと多種多様。 中には皆目見当がつかぬ珍なるものも含まれる。
そして日用品に古着であるが、近年この古着については、やたら日本人が買いあさるという。 原宿族を相手の店などが買付けにきて、まとめ買いをする。 相当の数を買っても古着の単価などしれたものなので、別送品とか自己衣類として持帰ってくれば、成田税関でも課税の対象にならない。 ロンドンの最新ファッションを見聞して、パンク族の情報も得て、持帰った古着を原宿、六本木でさばけば、旅費はほとんど取り返せる。
さて、市の店には果物屋も多い。 アフリカやヨーロッパ各地から輪入されたフルーツが山積みされる。 ダンボールの口を開けただけのものも沢山あって、ケニアとかスペインとか原産地が判る。 そんな混雑のなかでバスカーと呼ばれる芸術家が街頭でいろいろな芸を披露して、なにがしかの金銭を得る。
ハーモニカの演奏、バイオリン、ギター、アコーディオン、ほとんどの連中が数種の楽器をひとりで弾きこなす。 この連中の演奏程度がまた非常に高度なもので、そんじょそこらのオーケストラの団員以上の腕前も沢山いるので驚かされる。 一部ではあるが、レコードやテープを吹き込んだ経験者もいたりして、そんな連中の集金函にはコインも多い。
ロンドン市民の耳の方も中々の評論家で、へたな演秦などにはビタ1文出さぬし、リンゴを噛りながら耳をすます。 コンサートホールの演奏会でロンドンフィルなどでも演奉中にごうごうとブーを出し、演奏を止めさせてしまう実力をもつ市民であれば当然かもしれないが。
バスカーたちの公演会場はストリートマーケットだけではなく、地下鉄乗り換え通路、公園などでもあり、裏辻などもステージとなる。 バイオリンを取り出したあとのケースが集金函で、バイオリンにはロンドンコックニーのシンボルボタンを張り付けてある。 見事にブラームスのハンガリアン舞曲を弾きながら、20ペンスコインを入れたらウィンクを返してきた。
日本では街頭で露天の店を開くには警察の許可やら、ヤーさんの島割りを取ってからなど、ややこしいそうだが、ロンドンでは誰もとがめない様で、警察官でさえバスカーの演奏に聞き惚れている事がある。 どうやら私有地以外ならどこでも店開きが出来る様子で、観光客が集りそうな処では必ずこの連中に出会う。 但し、女王領地は一切バスカーには使用させない。
著名なミュージカルのマイフェアレディーのシーンにロンドンの青果市場が出てくるイライザとヒギンス教授、ピッカリング大佐のはじめての出会いの場所、コベント・ガーデンは、レスタースクェアーやピカデリーに程近い繁華街にある。 勿論、イライザがスペインの雨を習った時代はよかったのだが、今では市中のど真ん中の市場は不便きわまりないし、周辺への異臭問題もあり、ロンドン市では都市計画にもとずき、先年市場を移転した。
日本であれば移転終了と共に建物を壊し近代ガラスビルを建てるのだろうがそこは古さを尊ぶロンドン子、巨大な市場ビルの外壁をプラスター補強し、古色蒼然のまま磨きあげた。 中は全面改修するとともに区割りをして、新しいショッピングモールに生れ変った。 その上、露天空間をバスカーや街頭芸人の公演広場として開放した。
今や、ロンドンにおける新名所のひとつとして観光バスの経由ルートになっているが、ここでは、パントマイム、ストリートオルガンなどのほか、大道芸の典型でもある火吹き男とか、クサリはずし、ジャンピング・ジャックなどの古芸までが再現されている。
露天広場の片隅に、毎日きまって腕前を披露しているチョーク画家がいる。 数百本のカラーチョークが絵の具で絵筆。 まずコイン集めの函をセットして得意のチョークで路上をキャンバスに見立てて作画を始める。
1時間もすると、数10点の作品が仕上がり、まるで彼の個展会場となる。 作品には、風景、花、モザイク風アブストライトなど、見る者が厭きないように実に見事に変化を持たせている。
無情にも、仕上げを待っていたかのように、驟雨が広場を襲い、チョーク絵画は瞬時にして消える。 大道画家は「グランド・フィナーレ!」とどなりながら、観衆の目の前に集金函を突き出した。 ほかのパフォーマンスも大自然が幕を引いたので暫時休憩となった。(荒井利治)
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