英国やぶにらみ第1話 クラブと云う名の解決策 ― 2010/04/21 22:15
日本でクラブというと、銀座や北浜の高級バーがまず浮かんでしまうのが普通であり、どぎもを抜かれる程の軍資金が必要である。 金が全てであるからそのかわり階級制度とか、人格には無関係で、どちらかといえば助平の度合あたりが女共の物さしの基準であって、誰でも楽しめる。 英国でもこの手のクラブもないわけではないが、実に多種多様のクラブが存在しており、それぞれの規約、階級、慣行が有り、慣れないと戸惑うことが多い。
まずクラブであるから、当然メンバー制度が確立されているが、条件などがことのほか複雑で、正会員には中々なれないものと思ってよい。 ゴルフクラブなどでも日本人の在住者が申込んでも、やれ推薦者が適当でないとの断りにはじまり、うまく入会をはたすには数年がかかる。 わが日本人の平均的な商社などの滞在期間は3~4年で交代となるので、会員になったとたんに帰国のケースが多く、泣く泣く資格を放棄せざるを得ない。 勿論、会員になれば一生なのが普通であるが、その為には年会費を帰国後もきちんと納めることが必要で、商社マンの悲しさで、再度の赴任の予想などたつ訳がないので継続しないのがほとんどである。
これが英国人の例となると別で、あるクラブの入会を認められると、たとえ海外に赴任しても、生涯会費を納めてメンバーの権利を留保する。 まず、そのメンバーである事でひとつの階級の位置づけとなるからだ。 さらに本人の死後は息子をメンバーとして継続できるし、新会員などの推薦や審査の権利を持つことにつながる。 クラブ員になった以上は、クラブの維持に責任を分かちあう事が最優先課題で、これを形に表わす手段は自分が利用できなくても会費を納め、再び訪れる日を待つ心意気がいるのである。
同好の志の集りでクラブを形成するのが一般的であるが、どうも英国では、クラブとは男の避難場所であるケースが多い。 洋の東西を問わず女共から一時逃げ出したいと思う野郎共がどこにもいるが、英国のクラブを訪れるとその感を強くする。
ロンドンのクラブの一つに釣りに縁がふかいフライ・フィッシャーズ・クラブがある。 すでに200年余りの歴史を誇り、英国内とアメリカ在住の会員で運営されている。 ロンドンでも超一流の場所で、日本大使館にも近いところで毎日会員で賑わう。 二つの食堂、図書館、宿泊施設、談話室、床屋、くつ磨きなど、男のための設備は全て整っているのであるが、女性のためのものはほとんど見られない。 そのうえ大食堂は女性厳禁で立ち入りを認めない。 女性連れの時は、会員でも小食堂を利用することになる。
もう一つ重要なことは酒類の飲料時間である。 英国では法律により、酒場やレストランでは酒類の販売時間が決められていて、いつでも飲めるわけではない。 時間枠を過ぎるとパブからも追出される。 ところがクラブの会員であれば、クラブのバーではいつでも飲めるし、男同志であればなんの気兼ねもないし、飲酒も自由なのである。 勿論、このためにクラブとしての価値もあがろうというものだ。
男がクラブで自衛を決めこむなら、女性はどうかというと、女3人なんとかで、これもまた集ることが好きで、飲んで食べての会合が、ごまんと存在する。 この方はどちらかというと、会費もやすく割カン的な事が多いようで、クラブのように施設をもたないで安直である。 「何とかソサエティー」と名付けるのが一般的で、要は婦人会なのである。 やたら慈善業に類することをタイトルにかかげて、アフターヌーンティーを楽しんでいる。
話が前後するが、クラブがいろいろな形で形成され育った背景には、昔からの複雑な法と、取締まる官憲がいろいろな判断を下しすぎた結果、市民が自衛策として推進したもので、中には理由が判らないクラブもある。 最近でもロンドンでストリップショーを見せるクラブは大半がクラブであり、ギャンブルの出来るカジノなどもそうだ。 夜のとばりとともに、紳士淑女が繰り出す所の多くは会員証が必要で、クラブ員であればその楽しみも倍加する。
それではクラブに所属しない人はどうするかというと、これがいろいろあり、日本からの旅行者でもこの仲間入りが可能だ。 ほとんどのクラブは資金不足で売り上げを伸ばしたいので、臨時会員を受け入れるからだ。 パスポートを提示すれば日本人なら少額の臨時会費を払えばほとんどパスとなる。 金払いの好いカモはウエルカムなのが現実のクラブの顔でもある。
クラブ好きの英国人らしく、エリザベス女王の御用達の業者が集るクラブなどもあり、王族の人々も数10のクラブメンバーになっている。 社交のためには必須の条件なのであるが、こうなると会費だけでも大変ではと、人ごとながら心配になる。 世界の航空会社では個人客クラスをビジネスクラスと呼ぶが、英国航空だけはクラブクラスという。 ここにもクラブ趣向がのぞく。(荒井利治)
Copyright (c) T.Arai, 1986. All rights reserved.
まずクラブであるから、当然メンバー制度が確立されているが、条件などがことのほか複雑で、正会員には中々なれないものと思ってよい。 ゴルフクラブなどでも日本人の在住者が申込んでも、やれ推薦者が適当でないとの断りにはじまり、うまく入会をはたすには数年がかかる。 わが日本人の平均的な商社などの滞在期間は3~4年で交代となるので、会員になったとたんに帰国のケースが多く、泣く泣く資格を放棄せざるを得ない。 勿論、会員になれば一生なのが普通であるが、その為には年会費を帰国後もきちんと納めることが必要で、商社マンの悲しさで、再度の赴任の予想などたつ訳がないので継続しないのがほとんどである。
これが英国人の例となると別で、あるクラブの入会を認められると、たとえ海外に赴任しても、生涯会費を納めてメンバーの権利を留保する。 まず、そのメンバーである事でひとつの階級の位置づけとなるからだ。 さらに本人の死後は息子をメンバーとして継続できるし、新会員などの推薦や審査の権利を持つことにつながる。 クラブ員になった以上は、クラブの維持に責任を分かちあう事が最優先課題で、これを形に表わす手段は自分が利用できなくても会費を納め、再び訪れる日を待つ心意気がいるのである。
同好の志の集りでクラブを形成するのが一般的であるが、どうも英国では、クラブとは男の避難場所であるケースが多い。 洋の東西を問わず女共から一時逃げ出したいと思う野郎共がどこにもいるが、英国のクラブを訪れるとその感を強くする。
ロンドンのクラブの一つに釣りに縁がふかいフライ・フィッシャーズ・クラブがある。 すでに200年余りの歴史を誇り、英国内とアメリカ在住の会員で運営されている。 ロンドンでも超一流の場所で、日本大使館にも近いところで毎日会員で賑わう。 二つの食堂、図書館、宿泊施設、談話室、床屋、くつ磨きなど、男のための設備は全て整っているのであるが、女性のためのものはほとんど見られない。 そのうえ大食堂は女性厳禁で立ち入りを認めない。 女性連れの時は、会員でも小食堂を利用することになる。
もう一つ重要なことは酒類の飲料時間である。 英国では法律により、酒場やレストランでは酒類の販売時間が決められていて、いつでも飲めるわけではない。 時間枠を過ぎるとパブからも追出される。 ところがクラブの会員であれば、クラブのバーではいつでも飲めるし、男同志であればなんの気兼ねもないし、飲酒も自由なのである。 勿論、このためにクラブとしての価値もあがろうというものだ。
男がクラブで自衛を決めこむなら、女性はどうかというと、女3人なんとかで、これもまた集ることが好きで、飲んで食べての会合が、ごまんと存在する。 この方はどちらかというと、会費もやすく割カン的な事が多いようで、クラブのように施設をもたないで安直である。 「何とかソサエティー」と名付けるのが一般的で、要は婦人会なのである。 やたら慈善業に類することをタイトルにかかげて、アフターヌーンティーを楽しんでいる。
話が前後するが、クラブがいろいろな形で形成され育った背景には、昔からの複雑な法と、取締まる官憲がいろいろな判断を下しすぎた結果、市民が自衛策として推進したもので、中には理由が判らないクラブもある。 最近でもロンドンでストリップショーを見せるクラブは大半がクラブであり、ギャンブルの出来るカジノなどもそうだ。 夜のとばりとともに、紳士淑女が繰り出す所の多くは会員証が必要で、クラブ員であればその楽しみも倍加する。
それではクラブに所属しない人はどうするかというと、これがいろいろあり、日本からの旅行者でもこの仲間入りが可能だ。 ほとんどのクラブは資金不足で売り上げを伸ばしたいので、臨時会員を受け入れるからだ。 パスポートを提示すれば日本人なら少額の臨時会費を払えばほとんどパスとなる。 金払いの好いカモはウエルカムなのが現実のクラブの顔でもある。
クラブ好きの英国人らしく、エリザベス女王の御用達の業者が集るクラブなどもあり、王族の人々も数10のクラブメンバーになっている。 社交のためには必須の条件なのであるが、こうなると会費だけでも大変ではと、人ごとながら心配になる。 世界の航空会社では個人客クラスをビジネスクラスと呼ぶが、英国航空だけはクラブクラスという。 ここにもクラブ趣向がのぞく。(荒井利治)
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英国やぶにらみ第2話 行列とイギリス人 ― 2010/04/21 22:22
日本人とドイツ人は行列の嫌いな人種といわれるが、逆に英国の人々は実に行列の好きな国民である。 この習性は、ある意味では階級制度と戦争がもたらしたものとも考えられるが、同時に最も民主主義の原点でもある。 つまり早いものが優先なのである。 日本ではディズニーランドあたりでしか見られない行列柵がいたるところにあり、また、この行列柵の無いところでも、あたかも柵が存在するかのごとく整然と並んで待つ人々に出会うと、妙に感心してしまう。
まず、外国からロンドンのヒースロー空港に着く。 検査は省略してパスポート検査場に入ると、まず最初の行列に出会う。 行列柵は3種で、自国民、英国連邦国民及びEC諸国民、そして其の他大勢組とふりわける。 米国、日本、中近東やアフリカなどと雑多の其の他大勢組の行列は左右に屈折して続くのである。 やっとの思いで行列の先端にたどりつくと、なんと行列コントローラーがいて、審査官への配分作業をしていて、自分勝手に任意の所には行けないようになっている。
英国の主要国内路線には125(ワンツーファイブと呼ぶ)型列車が運行しており、最高速度は200km/時と新幹線並みのスピードで都市間輪送をおこなっている。 ディーゼル客車としては世界一を誇るが、その揺れかたもすごい。 各列車には食堂車とビュッフェが連結されているが、食堂車の方は値段が高いせいもあってもっぱら一等車の旅客用で、ビュッフェの人気が高い。 その為か営業開始とともに客が行列を作り始めて、10分もすると隣の車両まで延々と行列が伸びる。
ウエイターが1人、コックが1人の体制で、トースト、サンドイッチまで作るので時間がかかる事おびただしい。 列車の揺れも手伝って、通路での行列をしながら、座っている旅客とぶつかりあって幾度かのエクスキューズミーを連呼しながら順番を待つ間に列車はロンドンからさらに遠のくのである。 缶ビール1本を手にするのに半時間といった不運にでくわす事もざらだ。
戦争中、とある紳士が行列に出会い、何かの配給であろうと思い列に加わった。 列の先端までたどり付くと、何と妊産婦へのギネスビールの特配であった。 その際、くだんの紳士は配給係と交渉し1杯のビールの獲得に成功。 係は行列した努力を評価したのは勿論だが、くだんの紳士の一言は実にまとを射たものであった。 「……妊婦ではないが予は妊婦を作る種をやどしておる」と。
ギネスの公認記録によれば、ロンドンのセルフリッジ百貨店のセールの為に、302時間40分待った人がいる。 行列の権化というべきか、そんなに待って何を買い求めたかの記録はない。
銀行、航空会社、乗り物、スーパー、公衆便所、キオスク、マクドナルド、サラダバー等々、人が集る所必ず行列が見られるのがイギリスで、日本人から見ると、なぜこんな所まで行列が必要なのか疑問におもうことが多々ある。 しかし、英国の人々にとっては、この形が最高の手段であるとの判断と理解のもとに、今日も黙々と行列に加わるのを日課としての生活を楽しむ。
さて、行列とは何人からなのか。 定義付けをしてみると、英国の多くの人の意見として3人だといわれる。 1人では列は存在しないし、2人はカップルという大前提にたって並びに等しい。 したがって、間が存在する3人から行列は構成されるという。 各種の団体割引も3人からが多い。
形にならない行列が存在するのがロンドンや地方に点在する英国の伝統パブである。 1杯の酒を求めて、時間がくると手近のパブに集るのが英国生活パターンである。 カウンターに横並びの客に対して、中にいるバーテンダーがものの見事にドアを押して入ってきた客の順番をコンピューターの如き正確さで選びだす。 酒を求める側も彼らへの判断力を勘案して、自分の番が来るまでの間、隣客と天気の悪口などで待つのがここでの作法なのだ。
小雨のケンジントン・ハイ・ストリート、ロンドン名物のダブルデッカーバスがゆきかう。 昔ほど厳格ではないが、2階席は座席数だけしか載せないし、1階席は5人までの立席乗車が認められている。 黄昏を前にして、どのバスも満席に近いのかバスストップを通過してしまう。 行列がどんどん伸びてゆき、傘をもたない人々には気の毒なほどで、早くバスがくればと人ごとながら気になる。 やっと来たバスに一部の人が乗り、車掌があと1人OKだという。 ところが、次の行列客はふたり組、その次は家族づれであった。 そうこうしている間に、列の後から1人の若者が割り込み乗車を試みた。 それを見た行列客の多くが、この行為を非難しはじめ若者をバスから引きずり下し、ちょっとしたこぜりあいとなった。 その間にバスの方はあきれて行ってしまったのであるが、行列に対する人々の考え方を垣間みた気がした。
最近このモラルが崩れつつあるのは残念である。(荒井利治)
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まず、外国からロンドンのヒースロー空港に着く。 検査は省略してパスポート検査場に入ると、まず最初の行列に出会う。 行列柵は3種で、自国民、英国連邦国民及びEC諸国民、そして其の他大勢組とふりわける。 米国、日本、中近東やアフリカなどと雑多の其の他大勢組の行列は左右に屈折して続くのである。 やっとの思いで行列の先端にたどりつくと、なんと行列コントローラーがいて、審査官への配分作業をしていて、自分勝手に任意の所には行けないようになっている。
英国の主要国内路線には125(ワンツーファイブと呼ぶ)型列車が運行しており、最高速度は200km/時と新幹線並みのスピードで都市間輪送をおこなっている。 ディーゼル客車としては世界一を誇るが、その揺れかたもすごい。 各列車には食堂車とビュッフェが連結されているが、食堂車の方は値段が高いせいもあってもっぱら一等車の旅客用で、ビュッフェの人気が高い。 その為か営業開始とともに客が行列を作り始めて、10分もすると隣の車両まで延々と行列が伸びる。
ウエイターが1人、コックが1人の体制で、トースト、サンドイッチまで作るので時間がかかる事おびただしい。 列車の揺れも手伝って、通路での行列をしながら、座っている旅客とぶつかりあって幾度かのエクスキューズミーを連呼しながら順番を待つ間に列車はロンドンからさらに遠のくのである。 缶ビール1本を手にするのに半時間といった不運にでくわす事もざらだ。
戦争中、とある紳士が行列に出会い、何かの配給であろうと思い列に加わった。 列の先端までたどり付くと、何と妊産婦へのギネスビールの特配であった。 その際、くだんの紳士は配給係と交渉し1杯のビールの獲得に成功。 係は行列した努力を評価したのは勿論だが、くだんの紳士の一言は実にまとを射たものであった。 「……妊婦ではないが予は妊婦を作る種をやどしておる」と。
ギネスの公認記録によれば、ロンドンのセルフリッジ百貨店のセールの為に、302時間40分待った人がいる。 行列の権化というべきか、そんなに待って何を買い求めたかの記録はない。
銀行、航空会社、乗り物、スーパー、公衆便所、キオスク、マクドナルド、サラダバー等々、人が集る所必ず行列が見られるのがイギリスで、日本人から見ると、なぜこんな所まで行列が必要なのか疑問におもうことが多々ある。 しかし、英国の人々にとっては、この形が最高の手段であるとの判断と理解のもとに、今日も黙々と行列に加わるのを日課としての生活を楽しむ。
さて、行列とは何人からなのか。 定義付けをしてみると、英国の多くの人の意見として3人だといわれる。 1人では列は存在しないし、2人はカップルという大前提にたって並びに等しい。 したがって、間が存在する3人から行列は構成されるという。 各種の団体割引も3人からが多い。
形にならない行列が存在するのがロンドンや地方に点在する英国の伝統パブである。 1杯の酒を求めて、時間がくると手近のパブに集るのが英国生活パターンである。 カウンターに横並びの客に対して、中にいるバーテンダーがものの見事にドアを押して入ってきた客の順番をコンピューターの如き正確さで選びだす。 酒を求める側も彼らへの判断力を勘案して、自分の番が来るまでの間、隣客と天気の悪口などで待つのがここでの作法なのだ。
小雨のケンジントン・ハイ・ストリート、ロンドン名物のダブルデッカーバスがゆきかう。 昔ほど厳格ではないが、2階席は座席数だけしか載せないし、1階席は5人までの立席乗車が認められている。 黄昏を前にして、どのバスも満席に近いのかバスストップを通過してしまう。 行列がどんどん伸びてゆき、傘をもたない人々には気の毒なほどで、早くバスがくればと人ごとながら気になる。 やっと来たバスに一部の人が乗り、車掌があと1人OKだという。 ところが、次の行列客はふたり組、その次は家族づれであった。 そうこうしている間に、列の後から1人の若者が割り込み乗車を試みた。 それを見た行列客の多くが、この行為を非難しはじめ若者をバスから引きずり下し、ちょっとしたこぜりあいとなった。 その間にバスの方はあきれて行ってしまったのであるが、行列に対する人々の考え方を垣間みた気がした。
最近このモラルが崩れつつあるのは残念である。(荒井利治)
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英国やぶにらみ第3話 アウト オブ ボーダー ― 2010/04/21 22:24
日本のように1民族1国家ではとても想像出来ないような考え方と風習が、合衆国やいくつかの民族が連帯して形成された国家では存在し、それぞれのものをかたくなに守ろうとする為に、外から一見すると奇妙に思うことがある。 英国は正式にはイングランド、スコットランド、ウェールズ、及び北アイルランド連合王国であり、四つの国から成り立っている。
元首は現在エリザベス2世であり、連合王国を統括しているが、イングランドの元首でもある。 スコットランドはフィリップ殿下がその長であり、ウェールズは歴代の皇太子が当っているのは周知の事だ。 つまり元首が二重に存在するように見えるのであるが、こうしておかないと国家の統制がとれない程の物議を醸し出す要因が存在するのである。
国家銀行券、つまりお札はポンド通貨をイングランド銀行が発行しているが、日本でいえば日銀にあたり、当然この国ではこれらのお金が通用して当り前である。 ところが今でもスコットランドでは、イングランド銀行券は外国紙幣とおなじ感覚で、独自にスコットランド銀行発行の通貨があり、流通している。 国際的にみれば外貨であり換算レートなどは無い。 つまり、同一価値であるが、スコットランド人からすればイングランドの紙幣を自国通貨として認めがたいのである。
イングランド紙幣はスコットランドでも通用し、買物などが出来る。 受取った方はさっさと自分の銀行に入金して、使う時はスコットランド紙幣で引出す。 ところが逆となると少々面倒である。 一方のイングランド側では、そんなへそまがりの通貨など受とれませんと全て拒否される。 旅行者などでスコットランドに出かけて、釣銭を現地紙幣で受取り、ロンドンに戻って使おうとしても、まず、不可能に近い。 我々から見れば英国はひとつでも、現地ではその違いに驚ろかされる。 ロンドンにあるスコットランド・ロイヤル銀行で両替するのが唯一の手段で、日本に持ちかえってからではまず、日本の銀行でも断られるか、取り立てで相当の日数は覚悟せねばならない。 それ以外の方法としては、英国国鉄の食堂車で使い、釣銭をイングランド通貨で頼むしかない。
スコットランドが通貨でイングランドに対抗しているのにくらベ、ウェールズでは未だに言語で抵抗している。 つまり英語を拒否して、昔ながらのウェルシュ語をつかっているし、一部では学校でも一切英語を使用しない、させないというものだ。 したがって、店の看板から公衆便所の表示まで英語とウェルシュ語で書かれており、一瞬どこに迷いこんだのかと思ったりすることがしばしばある。 それも隣接している隣国?なのだから言語共通の点や類似があるかと考えがちだが、まったく異なっているのだから、単なる方言といったたぐいではないので困る。
ウェールズやスコットランドではイングランドを国境の外(アウトオブボーダー)と呼称し、当然の事としてる。 いうなれば、本州に住む人々が北海道や九州を国外と呼ぶ感じて、日本人には無い感覚である。 勿論北海道は例外で当地の人の中には本州を内地ということがあるが。
そんな感覚の連合王国であるが、これがいざ本当のアウトオブボーダーでいさかいがあると、実に奇妙に一致団結し、事にあたる。 特に国家の威信にかかわる問題ともなるとすごい。 例えばフォークランド紛争がそうで、一丸となってアルゼンチンと戦い、取り戻している。
一件落着後は、またぞろ頑固と意地っぱりが頭をもたげた。 サッチャー首相が持ちだしたフォークランドの恒久領地としての為の空港拡張予算ではスコットランドやウェールズが断固反対を唱えた。 そのあげく、スコットランドからの野次は、やるならイングランドでどうぞときたから、イングランドがいきまいた。 ウェールズでは僻地に滑走路を作る金があるなら、老人年金を増やせと首相にかみついた。 そもそも中央政府がイングランド優先政策をとっていると信じて疑わないスコッッやウェルシュにしてみれば、まずは何にでも反対してから考えるというルールがあるようで、多民族国家とはこんなものかと考えさせられる。 日本人から見れば、英国人全部をイングリッシュといってしまうが、これは一種の禁句で、ブリティッシュと呼称するのが無難である。
夏の終りのスコットランド。 エジンバラて開催される軍楽隊の一大ぺージェントであるミリタリー・タトーには国内をはじめ、カナダ、オーストラリア、香港などの連邦国からも参加する。 スコットランドの真夏の夜を飾るこの行事には、世界各地からの観光客で賑わい、切符の取得には相当早くから予約をしないと入手出来ないし、エジンバラのホテルも満室となる。 各地からの吹奏楽バンドの演奏がくりひろげられて、興奮の度合も高くなってきて、観客がさて、次のバンドの紹介を待っていると、会場いっぱいにアナウンスが告げられた。
「次の外国からの参加バンドはイングランド王室近衛兵音楽隊です………」。(荒井利治)
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元首は現在エリザベス2世であり、連合王国を統括しているが、イングランドの元首でもある。 スコットランドはフィリップ殿下がその長であり、ウェールズは歴代の皇太子が当っているのは周知の事だ。 つまり元首が二重に存在するように見えるのであるが、こうしておかないと国家の統制がとれない程の物議を醸し出す要因が存在するのである。
国家銀行券、つまりお札はポンド通貨をイングランド銀行が発行しているが、日本でいえば日銀にあたり、当然この国ではこれらのお金が通用して当り前である。 ところが今でもスコットランドでは、イングランド銀行券は外国紙幣とおなじ感覚で、独自にスコットランド銀行発行の通貨があり、流通している。 国際的にみれば外貨であり換算レートなどは無い。 つまり、同一価値であるが、スコットランド人からすればイングランドの紙幣を自国通貨として認めがたいのである。
イングランド紙幣はスコットランドでも通用し、買物などが出来る。 受取った方はさっさと自分の銀行に入金して、使う時はスコットランド紙幣で引出す。 ところが逆となると少々面倒である。 一方のイングランド側では、そんなへそまがりの通貨など受とれませんと全て拒否される。 旅行者などでスコットランドに出かけて、釣銭を現地紙幣で受取り、ロンドンに戻って使おうとしても、まず、不可能に近い。 我々から見れば英国はひとつでも、現地ではその違いに驚ろかされる。 ロンドンにあるスコットランド・ロイヤル銀行で両替するのが唯一の手段で、日本に持ちかえってからではまず、日本の銀行でも断られるか、取り立てで相当の日数は覚悟せねばならない。 それ以外の方法としては、英国国鉄の食堂車で使い、釣銭をイングランド通貨で頼むしかない。
スコットランドが通貨でイングランドに対抗しているのにくらベ、ウェールズでは未だに言語で抵抗している。 つまり英語を拒否して、昔ながらのウェルシュ語をつかっているし、一部では学校でも一切英語を使用しない、させないというものだ。 したがって、店の看板から公衆便所の表示まで英語とウェルシュ語で書かれており、一瞬どこに迷いこんだのかと思ったりすることがしばしばある。 それも隣接している隣国?なのだから言語共通の点や類似があるかと考えがちだが、まったく異なっているのだから、単なる方言といったたぐいではないので困る。
ウェールズやスコットランドではイングランドを国境の外(アウトオブボーダー)と呼称し、当然の事としてる。 いうなれば、本州に住む人々が北海道や九州を国外と呼ぶ感じて、日本人には無い感覚である。 勿論北海道は例外で当地の人の中には本州を内地ということがあるが。
そんな感覚の連合王国であるが、これがいざ本当のアウトオブボーダーでいさかいがあると、実に奇妙に一致団結し、事にあたる。 特に国家の威信にかかわる問題ともなるとすごい。 例えばフォークランド紛争がそうで、一丸となってアルゼンチンと戦い、取り戻している。
一件落着後は、またぞろ頑固と意地っぱりが頭をもたげた。 サッチャー首相が持ちだしたフォークランドの恒久領地としての為の空港拡張予算ではスコットランドやウェールズが断固反対を唱えた。 そのあげく、スコットランドからの野次は、やるならイングランドでどうぞときたから、イングランドがいきまいた。 ウェールズでは僻地に滑走路を作る金があるなら、老人年金を増やせと首相にかみついた。 そもそも中央政府がイングランド優先政策をとっていると信じて疑わないスコッッやウェルシュにしてみれば、まずは何にでも反対してから考えるというルールがあるようで、多民族国家とはこんなものかと考えさせられる。 日本人から見れば、英国人全部をイングリッシュといってしまうが、これは一種の禁句で、ブリティッシュと呼称するのが無難である。
夏の終りのスコットランド。 エジンバラて開催される軍楽隊の一大ぺージェントであるミリタリー・タトーには国内をはじめ、カナダ、オーストラリア、香港などの連邦国からも参加する。 スコットランドの真夏の夜を飾るこの行事には、世界各地からの観光客で賑わい、切符の取得には相当早くから予約をしないと入手出来ないし、エジンバラのホテルも満室となる。 各地からの吹奏楽バンドの演奏がくりひろげられて、興奮の度合も高くなってきて、観客がさて、次のバンドの紹介を待っていると、会場いっぱいにアナウンスが告げられた。
「次の外国からの参加バンドはイングランド王室近衛兵音楽隊です………」。(荒井利治)
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英国やぶにらみ第4話 アー ユー オーライ? ― 2010/04/21 22:25
早飯となんとかを良しとする日本人や、ファーストフードをいやがらない米国人から見ると、英国にかぎった訳ではないが、欧州の人々は食事に時間をかけると思う。 ロンドンなどの大都会では、ハンバーガーやスパゲッティレストランが増えつつあるが、これらの客の大部分は、アメリカや日本からの観光客が利用しているわけで、混雑しているからといって英国人に是認されているのではない。 サンドイッチの生れた国なのにいまだにこの食物の評価がいまいちなのである。
最近では訪英回数もふえたので当然ながら友人、知人も増え、彼らとの会食する機会も増えた。 だが、相当の親しみの間係であっても、英国では自宅に招特しての会食は少ない。 ホテルやレストランでの会食がその大半をしめる。 フランスのタイヤ会社の発行するレストランガイドのたぐいは英国でも数種発行されており、客を接待する際などおおいに役立っている。
招特する側ではまず、テーブルの予約からスタートして準備にはいる。 時間が来て同行し、ドアを開けるとまずはバーに直行するのが順序だ。 適当に飲み物を決め注文し、まずは一献するやいなや「アーユーオーライ?」と聞かれる。 つまりその水割りの味についての良し悪しで、つまらん事を聞くわいと思う。 軽く1杯の後にテーブルヘと案内されるが、ロンドンなどの都会は別として、田舎のレストランなどでは、割り当てられるテーブルの位置で招待者がその町でどの程度の階級であるかをほぼ知ることが出来て面白い。 美しい前庭が望める窓に面した席とか、マントルピースの対面位置などのテーブルであれば、招待者はその町では上級であると信じてもよい。 また、その店をひいきにしており、既に多回数のチップを納めている証拠というものだ。 逆に入口近くや暖炉のそばのテーブルに案内された場合は、残念ながらその店や町で不人気な人と判断してあまり間違いない。 暖炉の前でオニオンスープの熱いのを汗をふきふき流し込むのは、どんなに美味でも御馳走ではないではないか。
テーブルに座ると、どでかいメニュー本文と本日の料理長のおすすめメニューが英語の教科書のごとく目の前におかれる。 上客のところには店のウェイター頭かマダムが脇に立ってお天気のあいさつに始まって、おすすめメニューの説明が延々とつづく。 短期滞在者の小生にとってはメニューを解読するだけでも重労働なのに、脇でペチャクチャやられたのでは、さっぱり選定作業がはかどらない。 なんとかスターターにはじまって、アントレ(メインディシュ)を決めて注文すると、そこでまた「アーユーオーライ?」とくる。 注文を聞き了わったんだからさっさと引っ込めばいいのに、マダムのお喋りはどこの誰がサーモンのでかいのを釣ったなどと御機嫌をとりむすぶのに忙しく、こちらは只々呆然で庭の木でも眺めるしか手がない。
メニュー選定を了えてホッとする間もなく、次にワインの指定がある。 普段、ワイン付横メシなど無縁なので、どこの何というワインが良いのか皆目判らない。 蛇足ながら、英国人は世界一きき酒の名人といわれているので、英国人と会食の時は彼らに一任するのが無難である。 適当に頼んでオーダーとなるが、またもや、「アーユーオーライ?」と来た。 いいも悪いもわからねェんだよ俺は。
頼んだスターターの小海老のカクテルをひと口食べたとみるや、かんぱつをいれずに「アーユーオーライ?」が飛んできた。 おいしいと答えると自分が料理したみたいな笑みを浮かべて、ラブリーなどとのたまう。 こちらも同様にまずそうなスープの加減を聞くと、ベリーグッド、ただし塩がおおすぎるときた。 冗談じゃない、塩辛いスープなんて飲めたもんじやないのに。
前菜の皿かたしにきたマダムの会話がひとしきりあって、やっとアントレのステーキが届く。 上等のスコッチビーフだそうで楽しみである。 LPレコードぐらいある皿にステーキが鎮座し、野菜をその上にところせましと盛り上げる。 そんなにじゃがいも食えないからと遠慮すれば又々「アーユーオーライ?」である。 やっと盛り付けが終って食べ始めると再び「アーユーオーライ?」ときた。 都バスの運転手の車庫入れじゃあるまいし、オーライの連続でいささか返事が面倒になってきたので、正直に味、焼き加減などを言ったら、聞いた方がけげんな顔をした。
食事の最初から最後まで、それこそペリエ水にまで「アーユーオーライ?」が付いてくるのが英国式の接待であることに気付くのには時間がかかる。
いつぞや、皿かたしにきたウェーター頭が同じ質問をしてきたので、美味であったがノコギリがあれば最高だ、といったら、二度と我々のテーブルには姿を見せなかった。 聞く方も儀礼だけで、答える側も儀礼に乗っとり、まずくても美味「デリシャス」と応じてこそ伝統的な英国式食事とみたが、いかがなものか。(荒井利治)
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最近では訪英回数もふえたので当然ながら友人、知人も増え、彼らとの会食する機会も増えた。 だが、相当の親しみの間係であっても、英国では自宅に招特しての会食は少ない。 ホテルやレストランでの会食がその大半をしめる。 フランスのタイヤ会社の発行するレストランガイドのたぐいは英国でも数種発行されており、客を接待する際などおおいに役立っている。
招特する側ではまず、テーブルの予約からスタートして準備にはいる。 時間が来て同行し、ドアを開けるとまずはバーに直行するのが順序だ。 適当に飲み物を決め注文し、まずは一献するやいなや「アーユーオーライ?」と聞かれる。 つまりその水割りの味についての良し悪しで、つまらん事を聞くわいと思う。 軽く1杯の後にテーブルヘと案内されるが、ロンドンなどの都会は別として、田舎のレストランなどでは、割り当てられるテーブルの位置で招待者がその町でどの程度の階級であるかをほぼ知ることが出来て面白い。 美しい前庭が望める窓に面した席とか、マントルピースの対面位置などのテーブルであれば、招待者はその町では上級であると信じてもよい。 また、その店をひいきにしており、既に多回数のチップを納めている証拠というものだ。 逆に入口近くや暖炉のそばのテーブルに案内された場合は、残念ながらその店や町で不人気な人と判断してあまり間違いない。 暖炉の前でオニオンスープの熱いのを汗をふきふき流し込むのは、どんなに美味でも御馳走ではないではないか。
テーブルに座ると、どでかいメニュー本文と本日の料理長のおすすめメニューが英語の教科書のごとく目の前におかれる。 上客のところには店のウェイター頭かマダムが脇に立ってお天気のあいさつに始まって、おすすめメニューの説明が延々とつづく。 短期滞在者の小生にとってはメニューを解読するだけでも重労働なのに、脇でペチャクチャやられたのでは、さっぱり選定作業がはかどらない。 なんとかスターターにはじまって、アントレ(メインディシュ)を決めて注文すると、そこでまた「アーユーオーライ?」とくる。 注文を聞き了わったんだからさっさと引っ込めばいいのに、マダムのお喋りはどこの誰がサーモンのでかいのを釣ったなどと御機嫌をとりむすぶのに忙しく、こちらは只々呆然で庭の木でも眺めるしか手がない。
メニュー選定を了えてホッとする間もなく、次にワインの指定がある。 普段、ワイン付横メシなど無縁なので、どこの何というワインが良いのか皆目判らない。 蛇足ながら、英国人は世界一きき酒の名人といわれているので、英国人と会食の時は彼らに一任するのが無難である。 適当に頼んでオーダーとなるが、またもや、「アーユーオーライ?」と来た。 いいも悪いもわからねェんだよ俺は。
頼んだスターターの小海老のカクテルをひと口食べたとみるや、かんぱつをいれずに「アーユーオーライ?」が飛んできた。 おいしいと答えると自分が料理したみたいな笑みを浮かべて、ラブリーなどとのたまう。 こちらも同様にまずそうなスープの加減を聞くと、ベリーグッド、ただし塩がおおすぎるときた。 冗談じゃない、塩辛いスープなんて飲めたもんじやないのに。
前菜の皿かたしにきたマダムの会話がひとしきりあって、やっとアントレのステーキが届く。 上等のスコッチビーフだそうで楽しみである。 LPレコードぐらいある皿にステーキが鎮座し、野菜をその上にところせましと盛り上げる。 そんなにじゃがいも食えないからと遠慮すれば又々「アーユーオーライ?」である。 やっと盛り付けが終って食べ始めると再び「アーユーオーライ?」ときた。 都バスの運転手の車庫入れじゃあるまいし、オーライの連続でいささか返事が面倒になってきたので、正直に味、焼き加減などを言ったら、聞いた方がけげんな顔をした。
食事の最初から最後まで、それこそペリエ水にまで「アーユーオーライ?」が付いてくるのが英国式の接待であることに気付くのには時間がかかる。
いつぞや、皿かたしにきたウェーター頭が同じ質問をしてきたので、美味であったがノコギリがあれば最高だ、といったら、二度と我々のテーブルには姿を見せなかった。 聞く方も儀礼だけで、答える側も儀礼に乗っとり、まずくても美味「デリシャス」と応じてこそ伝統的な英国式食事とみたが、いかがなものか。(荒井利治)
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英国やぶにらみ第5話 世界一の中華料理の街 ― 2010/04/21 22:27
年間400万人の日本人旅行者が世界せましとばかりにかけめぐる。 日本人を除いて、アジアの民でこんなに世界を見聞している民族は少ないと思うし、聞いたこともない。
ところが世界のいたる所に中国人が生活しており、この数は世界では日本人旅行者全部以上であり、中国社会を各地に形成しているのは見事である。 日本食に最も溶け込み類似点も多い中国料理のおかげで、横メシにうんざりした日本人旅行者や海外居住邦人が、世界各地でこの恩恵に浴している事も事実で、中華街を発見してホッとしたなどとよく聞きおよぶ。
最近、よくロンドンの中華料理は、その中でも世界一と聞くが、では、横浜の中華街との違いはどこなのか。 サンフランシスコのチャイナタウンを筆頭に、世界の大都市には必ず中華街がある。 英国ではロンドンのソーホー地区にその一角を保有する。 英国連邦は中国との接点である香港を植民地として永年統括してきており、香港と英国間は両国民とも同一パスポートである。 香港政府は、第2次世界大戦後、政策のひとつとして中国本土からの難民をうけいれる方針をとっている。
巷間、香港での話であるが、中共政府はこの香港の受入政策を利用して、難民にみせかけて数多くのスパイを西側に送りだす事に成功しているともいわれる。 つまり、難民は当然の事ながら無国籍であり、何の保証も約束されてはいないのである。 そこで、香港政府では、難民を受入後、一定期間、収容所に居住させ、期間終了後には香港国籍を有するパスポートを与えており、香港以外の国への出国も可能にしているのである。
つまり、中共のスパイ工作員であっても難民をよそおい、香港に潜入してくれば、後日、西側国民として大手を振っていられる訳で、この話は事実のようだ。 007の御ひざもとのロンドンでも、このために毎年多数の香港パスポートの人々が入国する。
香港の公用語は、英語と広東語となっているが、その大半は広東語しか喋れない中国人である。 この為に、英国に移り住んでも彼らの頼る先は中華街であり、民族意識の強い中国人が何なく受入れてしまう。 このような事情は、スパイの潜入にとって役立っており、英国政府でも中華街については、人口数、不当帯在者などの実態がつかめていないといわれる。
日本で食べる中華料理は、中国人にいわせると中国風日本料理だと断言する。 つまり、香料とか調味材料が異質で、安易に日本にしかない材料を調合してしまう為だとか、さらに、風土がもつ自然の味は島国と大陸ではおのずから違いがあり、かくし味に差がでるのだという。
アメリカ各地の中華街の味はというと、これはまるでアメリカンチャイナと呼んでもいいもので、別の国の料理だと云える。 中華街には、中国人だけでなくフィリピン、ベトナムなど雑多の国民が居住しており、長い間に異質な味を造りあげてしまっている。 その上、食物検疫法による野菜などの輪入制限、中共との非貿易などの為に中華料理の材料の枯渇もあげられる。
ところがロンドンでは、食物検疫の面から見ても輪入制限は極端に少ない。 野菜などについても欧州各地をはじめ、アフリカケニアなどから毎日市場に入荷してくる。 アフリカ各地に移民している中国人農家などが栽培する中国野菜も潤沢にロンドンに供給されており、本場の味作りに役立っている。 アフリカの土壌が中国と似ていることと相まって、いまやアフリカは野菜作りがさかんとも聞く。
中国人と共に多くの移民を送りだしているインド商人がさらにロンドンの中華料理の材料運びに役立っている。 海燕の巣やフカのひれなど、香港の市場を通らずに直接ロンドンに持ち込んでくる。 勿論、多勢の中国料理のコックなどもロンドン中華街では香港などから採用して、店毎に自慢料理を競いあう昨今で、今日では香港や北京とまったく変らない味をロンドンでは楽しむことができる。
ロンドンの中華料理で遺う点といえば、盛り付ける器にずいぶん違いがある。
これは中国や日本では、器をつかってテーブルの上で取り合うが、これが英国人には苦手である。 スープなどもひとり用単位でサービスされるのが普通で、大どんぶりをデンと中央には置かない。 香港では、テーブルクロスがよごれる程、客は味に満足した証拠とされるが、ロンドンにおいては誰もこの作法をしない。
ロンドンの中華料理店に行って、大声でしやべりながら食事していれば、まず日本人か英国にきて間もない香港人あたりとみてl00%当り。 さらに分析すれば、テーブルクロスがきれいならわが同胞、汚なければ中国人と思われたし。
英国人の友人と一夕、ソーホーの劇場にでかける約束をし、軽食を中華料理と決めた。 お互いに好みで、美味の店を云ったら、期せずして同じ店。 英国人も味には中々のものと再評価した。(荒井利治)
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ところが世界のいたる所に中国人が生活しており、この数は世界では日本人旅行者全部以上であり、中国社会を各地に形成しているのは見事である。 日本食に最も溶け込み類似点も多い中国料理のおかげで、横メシにうんざりした日本人旅行者や海外居住邦人が、世界各地でこの恩恵に浴している事も事実で、中華街を発見してホッとしたなどとよく聞きおよぶ。
最近、よくロンドンの中華料理は、その中でも世界一と聞くが、では、横浜の中華街との違いはどこなのか。 サンフランシスコのチャイナタウンを筆頭に、世界の大都市には必ず中華街がある。 英国ではロンドンのソーホー地区にその一角を保有する。 英国連邦は中国との接点である香港を植民地として永年統括してきており、香港と英国間は両国民とも同一パスポートである。 香港政府は、第2次世界大戦後、政策のひとつとして中国本土からの難民をうけいれる方針をとっている。
巷間、香港での話であるが、中共政府はこの香港の受入政策を利用して、難民にみせかけて数多くのスパイを西側に送りだす事に成功しているともいわれる。 つまり、難民は当然の事ながら無国籍であり、何の保証も約束されてはいないのである。 そこで、香港政府では、難民を受入後、一定期間、収容所に居住させ、期間終了後には香港国籍を有するパスポートを与えており、香港以外の国への出国も可能にしているのである。
つまり、中共のスパイ工作員であっても難民をよそおい、香港に潜入してくれば、後日、西側国民として大手を振っていられる訳で、この話は事実のようだ。 007の御ひざもとのロンドンでも、このために毎年多数の香港パスポートの人々が入国する。
香港の公用語は、英語と広東語となっているが、その大半は広東語しか喋れない中国人である。 この為に、英国に移り住んでも彼らの頼る先は中華街であり、民族意識の強い中国人が何なく受入れてしまう。 このような事情は、スパイの潜入にとって役立っており、英国政府でも中華街については、人口数、不当帯在者などの実態がつかめていないといわれる。
日本で食べる中華料理は、中国人にいわせると中国風日本料理だと断言する。 つまり、香料とか調味材料が異質で、安易に日本にしかない材料を調合してしまう為だとか、さらに、風土がもつ自然の味は島国と大陸ではおのずから違いがあり、かくし味に差がでるのだという。
アメリカ各地の中華街の味はというと、これはまるでアメリカンチャイナと呼んでもいいもので、別の国の料理だと云える。 中華街には、中国人だけでなくフィリピン、ベトナムなど雑多の国民が居住しており、長い間に異質な味を造りあげてしまっている。 その上、食物検疫法による野菜などの輪入制限、中共との非貿易などの為に中華料理の材料の枯渇もあげられる。
ところがロンドンでは、食物検疫の面から見ても輪入制限は極端に少ない。 野菜などについても欧州各地をはじめ、アフリカケニアなどから毎日市場に入荷してくる。 アフリカ各地に移民している中国人農家などが栽培する中国野菜も潤沢にロンドンに供給されており、本場の味作りに役立っている。 アフリカの土壌が中国と似ていることと相まって、いまやアフリカは野菜作りがさかんとも聞く。
中国人と共に多くの移民を送りだしているインド商人がさらにロンドンの中華料理の材料運びに役立っている。 海燕の巣やフカのひれなど、香港の市場を通らずに直接ロンドンに持ち込んでくる。 勿論、多勢の中国料理のコックなどもロンドン中華街では香港などから採用して、店毎に自慢料理を競いあう昨今で、今日では香港や北京とまったく変らない味をロンドンでは楽しむことができる。
ロンドンの中華料理で遺う点といえば、盛り付ける器にずいぶん違いがある。
これは中国や日本では、器をつかってテーブルの上で取り合うが、これが英国人には苦手である。 スープなどもひとり用単位でサービスされるのが普通で、大どんぶりをデンと中央には置かない。 香港では、テーブルクロスがよごれる程、客は味に満足した証拠とされるが、ロンドンにおいては誰もこの作法をしない。
ロンドンの中華料理店に行って、大声でしやべりながら食事していれば、まず日本人か英国にきて間もない香港人あたりとみてl00%当り。 さらに分析すれば、テーブルクロスがきれいならわが同胞、汚なければ中国人と思われたし。
英国人の友人と一夕、ソーホーの劇場にでかける約束をし、軽食を中華料理と決めた。 お互いに好みで、美味の店を云ったら、期せずして同じ店。 英国人も味には中々のものと再評価した。(荒井利治)
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英国やぶにらみ第6話 ロイヤルファミリーへの親近感 ― 2010/04/21 22:33
日本の皇室をもってすると、君主自身が国民の前に年中姿を見せていることは余り考えられないので、英国での国民とロイヤルファミリーの関係を知るとびっくりしたり、とまどったりしてしまう。 新聞に毎日のようにダイアナ妃のニュースがあって当然だし、女王だって毎週のウィンザー通いの往復などで、実に気さくに国民の前に姿をお見せになるし、国民は絶対に王室をけなさない。
女王の夫君のフィリップ殿下との出会いはスコットランドでの事で、気軽に声をかけられて只々驚いた。
エジンバラ公といわれるように、殿下はスコットランドの長であり、様々な行事の名誉総裁などをされている。 その中のひとつで、毎年行われる馬車の操縦を競うコンテストに殿下が出場された。 4頭の馬がひく女王の馬車を駆使されるもので、会場でも早くから一番人気で、友人から是非写真を撮ってほしいと希望があり、準備にかかっていた時だ。
遠まきにいるお付き以外誰も見えないので、隣の方がエジンバラ公だなんて思っていなかった。 どこから来たのかなどの質問や、日本人と知るや、先の訪日が楽しかったなどのお言葉を賜った。 まさに感激とはこの事で、英国人でも直接のお話の機会はあまりないよ、とうらやましがられた。
出来上がった写真は比較的よく仕上がって友人に喜ばれたので、殿下にも差し上げようと思いつき、手紙を添えて後日バッキンガム宮殿に送った。
ひと月程経ったある日、差出し人が書いてない航空郵便が我が家に配達され、開封したところ、何とエジンバラ公からの礼状であった。 この話は日本航空に頼まれて、「Winds」誌に後に掲載されたが、以後、英国では友人達からロイヤルフォトグラファーのあだ名をいただく事になった。
仕事の関係先であるアーニックの町は、スコットランドとの境に近いイングランド。 ノーザンバーランド県にあり、領主として11世のノーザンバーランド公が健在である。 英国で3番目の規模をもつ城を所有され、アーニックの町の名所でもあり、夏期には一般公開されている。 公爵は女王陸下のもとで、国賓などの主客接待員などを兼任されている要職にあり、公爵の中でも上位に属する。
ある深秋の夜、アーニック市長主催によるパーティーがアーニック城であって、たまたま帯在していた小生も招待された。 宴たけなわの頃、公爵夫人が臨席され、ダンスの輪に加わった。 ダンスが出来ない悲しさで、ジントニックなどやっていると市長に肩をたたかれた。 公爵夫人が小生を接見するのでついてこいというのだ。
ご挨拶申し上げると逆に、英国製品の輪出に努力していただき感謝している、と御礼を云われて何とも恐縮した。 その上市長が小生のカメラで記念写真をとってくれるとのことで、遠慮せずにカメラに収まったが、こんな例はあまりない名誉なことである。
アーニックの隣町にラズベリーという所があり、町はずれのクラッグサイト地区に、銘銃の発明で知られるアームストロング卿が残した館がある。 卿は大変な日本びいきの人だったようで、館の中の一室を日本の間と冠名されている程。 徳川家ともおつきあいが深く、浮世絵、陶器など日本品が数多く収集され保存してある。 大正年間に、今の天皇陛下が皇太子として訪英された際、館に一週間も滞在され、卿から心温まるもてなしを受けた。 当時、北海に面した古城などの観光、フライ釣り、ドライブなどを堪能されている。
天皇陸下が今日でも、最も楽しい思い出と言われる有名な旅である。
今の明仁皇太子殿下が、英国女王の載冠式に御出列のためにウィルソン号で米国経由で訪英された。 ところが、第二次世界大戦後の英国では、ことのほか対日感情が悪く、不穏の状態であった。 戴冠式の期間は、何とか日本大使館ですごされたが、ロンドンのホテルからは総スカンを食うありさまで、帯在の館に欠く始末であったといわれる。 この時、再び皇太子殿下を温かく迎え入れてくれたのがアームストロング卿で、親子二代で天皇家がお世話になっている場所でわる。
小糠雨がふるクラッグサイトの館は、今ではナショナルトラストの管理下に置かれる主なし館となってしまっているが、往年のままの保存がなされ、一般の閲覧が可能になっている。 小生が訪れた時は、既に公開期間をすぎた冬であったが、知人の世話で特別に閲覧が許された。 この為に、公開時に入るガイドが皆無で、昔の使用人という老女が説明に当ってくれた。
大ホールまで進んでくると、老女はキョロキョロと落ち着かない。 聞くと、何時もの位置にあなたが一番興味のある写真がないとの事、間もなく発見したが、なんと、中央テーブルの真ん中に置かれてあった。 日本人の小生が訪問する事を知った管理部の誰かの好意であったのだろう。 「明仁」と署名された若き日の皇太子の一葉の白黒写真で、当時のご苦労を察して胸があつくなった。 ガイドをしてくれた老女が、当時皇太子のお世話に当ったそうで、帰り際に小冊子と、よろしくの伝言を明仁殿下宛にと託されて当惑したが、帰日後、ぶしつけ乍ら手紙を添えて東宮御所に届けた。 英国での王室との親近感が無遠慮にさせたのかもしれない。 忘れかけていた頃、宮内庁侍従から自宅に電話がきた。 殿下からの御礼と侍従の怠慢を殿下から叱正されたとの報告であった。(荒井利治)
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女王の夫君のフィリップ殿下との出会いはスコットランドでの事で、気軽に声をかけられて只々驚いた。
エジンバラ公といわれるように、殿下はスコットランドの長であり、様々な行事の名誉総裁などをされている。 その中のひとつで、毎年行われる馬車の操縦を競うコンテストに殿下が出場された。 4頭の馬がひく女王の馬車を駆使されるもので、会場でも早くから一番人気で、友人から是非写真を撮ってほしいと希望があり、準備にかかっていた時だ。
遠まきにいるお付き以外誰も見えないので、隣の方がエジンバラ公だなんて思っていなかった。 どこから来たのかなどの質問や、日本人と知るや、先の訪日が楽しかったなどのお言葉を賜った。 まさに感激とはこの事で、英国人でも直接のお話の機会はあまりないよ、とうらやましがられた。
出来上がった写真は比較的よく仕上がって友人に喜ばれたので、殿下にも差し上げようと思いつき、手紙を添えて後日バッキンガム宮殿に送った。
ひと月程経ったある日、差出し人が書いてない航空郵便が我が家に配達され、開封したところ、何とエジンバラ公からの礼状であった。 この話は日本航空に頼まれて、「Winds」誌に後に掲載されたが、以後、英国では友人達からロイヤルフォトグラファーのあだ名をいただく事になった。
仕事の関係先であるアーニックの町は、スコットランドとの境に近いイングランド。 ノーザンバーランド県にあり、領主として11世のノーザンバーランド公が健在である。 英国で3番目の規模をもつ城を所有され、アーニックの町の名所でもあり、夏期には一般公開されている。 公爵は女王陸下のもとで、国賓などの主客接待員などを兼任されている要職にあり、公爵の中でも上位に属する。
ある深秋の夜、アーニック市長主催によるパーティーがアーニック城であって、たまたま帯在していた小生も招待された。 宴たけなわの頃、公爵夫人が臨席され、ダンスの輪に加わった。 ダンスが出来ない悲しさで、ジントニックなどやっていると市長に肩をたたかれた。 公爵夫人が小生を接見するのでついてこいというのだ。
ご挨拶申し上げると逆に、英国製品の輪出に努力していただき感謝している、と御礼を云われて何とも恐縮した。 その上市長が小生のカメラで記念写真をとってくれるとのことで、遠慮せずにカメラに収まったが、こんな例はあまりない名誉なことである。
アーニックの隣町にラズベリーという所があり、町はずれのクラッグサイト地区に、銘銃の発明で知られるアームストロング卿が残した館がある。 卿は大変な日本びいきの人だったようで、館の中の一室を日本の間と冠名されている程。 徳川家ともおつきあいが深く、浮世絵、陶器など日本品が数多く収集され保存してある。 大正年間に、今の天皇陛下が皇太子として訪英された際、館に一週間も滞在され、卿から心温まるもてなしを受けた。 当時、北海に面した古城などの観光、フライ釣り、ドライブなどを堪能されている。
天皇陸下が今日でも、最も楽しい思い出と言われる有名な旅である。
今の明仁皇太子殿下が、英国女王の載冠式に御出列のためにウィルソン号で米国経由で訪英された。 ところが、第二次世界大戦後の英国では、ことのほか対日感情が悪く、不穏の状態であった。 戴冠式の期間は、何とか日本大使館ですごされたが、ロンドンのホテルからは総スカンを食うありさまで、帯在の館に欠く始末であったといわれる。 この時、再び皇太子殿下を温かく迎え入れてくれたのがアームストロング卿で、親子二代で天皇家がお世話になっている場所でわる。
小糠雨がふるクラッグサイトの館は、今ではナショナルトラストの管理下に置かれる主なし館となってしまっているが、往年のままの保存がなされ、一般の閲覧が可能になっている。 小生が訪れた時は、既に公開期間をすぎた冬であったが、知人の世話で特別に閲覧が許された。 この為に、公開時に入るガイドが皆無で、昔の使用人という老女が説明に当ってくれた。
大ホールまで進んでくると、老女はキョロキョロと落ち着かない。 聞くと、何時もの位置にあなたが一番興味のある写真がないとの事、間もなく発見したが、なんと、中央テーブルの真ん中に置かれてあった。 日本人の小生が訪問する事を知った管理部の誰かの好意であったのだろう。 「明仁」と署名された若き日の皇太子の一葉の白黒写真で、当時のご苦労を察して胸があつくなった。 ガイドをしてくれた老女が、当時皇太子のお世話に当ったそうで、帰り際に小冊子と、よろしくの伝言を明仁殿下宛にと託されて当惑したが、帰日後、ぶしつけ乍ら手紙を添えて東宮御所に届けた。 英国での王室との親近感が無遠慮にさせたのかもしれない。 忘れかけていた頃、宮内庁侍従から自宅に電話がきた。 殿下からの御礼と侍従の怠慢を殿下から叱正されたとの報告であった。(荒井利治)
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英国やぶにらみ第7話 日常の当惑 ― 2010/04/21 22:33
日本の近代の風習については、皇室をはじめとして英国からの教えが数々あり、英国を訪れても違和感を持つ比率はヨーロッパより少ない。 車も大陸と違って左側通行だし、汽車旅行にしても、駅のホームそして改札口など、わが国とほぼ同じである。 しかし、滞在してゆくにしたがって、日常の小さな事が全く異っている事に気がつくと妙に当惑してしまう。
まず、どこにでもあるカレンダーだが、日本では週の1日目は日曜日になっているのが普通なのに、英国の力レンダーでは7日目になっている。 ビジネスでもデイトでもそうだが、英国では約束の日の確認の為に必ず何日の何曜日という云いかたをする。 日本人(たぶん小生だけではないと思うのだが)は、この瞬間に強く感じるのは日にちか、曜日のどちらかで、習慣的に憶ぼえないようだ。 この曜日が実は曲者で、例えば火曜日とおぼえこみ、カレンダーの左から3番目にメモを安易にしてしまう。 ところが、日曜日が右端の英国式カレンダーからすると、水確日にメモをしている訳で約束をすっぽかしてしまう。 この失敗を英国人に話したら、おまえがくれるカレンダーは毎年実に美しいが、同じ間違いをしてこりたので、一切メモはしないようにしていると語ってくれた。
日本の国鉄同様に、英国国鉄も赤字が膨大な税金まかないの企業であるが、旅客をバスや飛行機から取り戻す為に、色々な施策を行っている。 日本の運賃制度では、基本料金+特急料金式なので、急がない人は基本料金だけで鈍行を利用すればよい。 ところが英国では、寝合料金と予約座席指定以外は料金制度をとっていないので、鈍行も特急も同じ運賃制である。 したがって列車の運行方式も2都市を結ぶインターシティー型のタイムテーブルが採用されており、自分の目的地行の列車を選びだして利用すれば最も早く目的地に到着出来る。
では、運賃一種制だから簡単だと考えるのは早とちりで、駅員が覚えられない程の割引や特約切符が存在するのでややこしい。 日帰りの旅行だけでも、普通片道、普通往復、日帰り割引、ラッシュ後の日帰り割引、週未日帰り割引、家族日帰り割引、老人日帰り割引、学生日帰り割引、特定2都市間スーパーセーバー、スコットランドセーバーなどなど、実に粗雑で、一車両の旅客が全員異った切符で、違った運賃で旅する感じである。
日本では、週末ともなると、増発や行楽地向け臨時列車が運転され、平日より列車の運転本数が増える。 ところが英国では、平日を100%とすると土曜日は60%前後、日曜日は30%前後しか運転しない。 そのうえ運転所要時間が大幅にかかる。 これはフロッグマンと呼ばれる保線工夫たちが、軌道点検などを日曜日に集中して行う為の安全確保で、運転スピードをおとして運行する。
日曜日にかんしては、英国では国鉄を利用しない方が得策と国民は信じきっているから傑作だ。 つまり時刻は一応あっても守られる保証はなく、当然のごとく遅れるからである。
ある初夏の日曜日のこと、海風に会いたくてロンドンからサザンプトンまで小旅行を試みた。 インターシティーに乗れば1時間15分でサザンプトンのヨットが見られる、と朝9時半の列車を掴まえた。 例によって発車のベルも無く、ウォータール駅を出たまではよかったが、その後やたら停車の連続、そのうちジャンクションにくると、列車は普段とは別の路線にむかって走り出した。 検札にきた車掌に確認しても、この列車はサザンプトン行で、貴下は正しく乗車中である、とそっけない。 そして、とある田舎駅に着いたところ、何とディーゼル機関車の連結を始めた。
ロンドンとサザンプトン区間は電化されており、全て電車が運行しており、現に乗車中の車両も電車のはずなのにと思っていると、今度は非電化路線に迂回運転を始める始末。 何とサザンプトンに着いたのが午後1時15分前であったが、乗客からの文句もなく、みんな黙々と下車していったのにたまげた。
つまり東京から横浜に行くのに、東京、立川、八王子、橋本、茅ヶ崎、藤沢を経由して行ったみたいなもので、東京駅の掲示板にはいつもの通りに、新橋、品川経由と書いてあったら日本ではどうなる事か。
2都市間を結ぶ思想のインターシティー感覚では、途中どこを通ろうと勝手でしょ。
日本の銀行は、大蔵省のバカ役人が、いずれ天下りや老後の非難場所とする意向からか、ガンジガラメの制約のもとに営業しており、営業店舗数なども制限が加えられていて、国民の便利さは二の次である。 ところがロンドンだけでなく、英国の大都市では、角を曲がると銀行の支店にでくわす程のバンク王国である。 警察の派出所ぐらいの違物が多く、いかにも市民の金庫といった感じで気軽に利用できそう。 その上、CDは全部24時間利用可能で、あまり治安の良くなさそうな場所の銀行CDをみていると、人ごとながら盗難にあわねばよいがと感じる。
日本では商店は夜シャッターを下し、灯火を消すが、英国ではシャッターを下さず、道路に面したウインドは明るく照らす。 犯罪があれば、通行人や警察の発見が早いからとのことで、シャッターが下りていては、室内で起きている被害が外から判りにくいとの生活の知恵からである。(荒井利治)
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まず、どこにでもあるカレンダーだが、日本では週の1日目は日曜日になっているのが普通なのに、英国の力レンダーでは7日目になっている。 ビジネスでもデイトでもそうだが、英国では約束の日の確認の為に必ず何日の何曜日という云いかたをする。 日本人(たぶん小生だけではないと思うのだが)は、この瞬間に強く感じるのは日にちか、曜日のどちらかで、習慣的に憶ぼえないようだ。 この曜日が実は曲者で、例えば火曜日とおぼえこみ、カレンダーの左から3番目にメモを安易にしてしまう。 ところが、日曜日が右端の英国式カレンダーからすると、水確日にメモをしている訳で約束をすっぽかしてしまう。 この失敗を英国人に話したら、おまえがくれるカレンダーは毎年実に美しいが、同じ間違いをしてこりたので、一切メモはしないようにしていると語ってくれた。
日本の国鉄同様に、英国国鉄も赤字が膨大な税金まかないの企業であるが、旅客をバスや飛行機から取り戻す為に、色々な施策を行っている。 日本の運賃制度では、基本料金+特急料金式なので、急がない人は基本料金だけで鈍行を利用すればよい。 ところが英国では、寝合料金と予約座席指定以外は料金制度をとっていないので、鈍行も特急も同じ運賃制である。 したがって列車の運行方式も2都市を結ぶインターシティー型のタイムテーブルが採用されており、自分の目的地行の列車を選びだして利用すれば最も早く目的地に到着出来る。
では、運賃一種制だから簡単だと考えるのは早とちりで、駅員が覚えられない程の割引や特約切符が存在するのでややこしい。 日帰りの旅行だけでも、普通片道、普通往復、日帰り割引、ラッシュ後の日帰り割引、週未日帰り割引、家族日帰り割引、老人日帰り割引、学生日帰り割引、特定2都市間スーパーセーバー、スコットランドセーバーなどなど、実に粗雑で、一車両の旅客が全員異った切符で、違った運賃で旅する感じである。
日本では、週末ともなると、増発や行楽地向け臨時列車が運転され、平日より列車の運転本数が増える。 ところが英国では、平日を100%とすると土曜日は60%前後、日曜日は30%前後しか運転しない。 そのうえ運転所要時間が大幅にかかる。 これはフロッグマンと呼ばれる保線工夫たちが、軌道点検などを日曜日に集中して行う為の安全確保で、運転スピードをおとして運行する。
日曜日にかんしては、英国では国鉄を利用しない方が得策と国民は信じきっているから傑作だ。 つまり時刻は一応あっても守られる保証はなく、当然のごとく遅れるからである。
ある初夏の日曜日のこと、海風に会いたくてロンドンからサザンプトンまで小旅行を試みた。 インターシティーに乗れば1時間15分でサザンプトンのヨットが見られる、と朝9時半の列車を掴まえた。 例によって発車のベルも無く、ウォータール駅を出たまではよかったが、その後やたら停車の連続、そのうちジャンクションにくると、列車は普段とは別の路線にむかって走り出した。 検札にきた車掌に確認しても、この列車はサザンプトン行で、貴下は正しく乗車中である、とそっけない。 そして、とある田舎駅に着いたところ、何とディーゼル機関車の連結を始めた。
ロンドンとサザンプトン区間は電化されており、全て電車が運行しており、現に乗車中の車両も電車のはずなのにと思っていると、今度は非電化路線に迂回運転を始める始末。 何とサザンプトンに着いたのが午後1時15分前であったが、乗客からの文句もなく、みんな黙々と下車していったのにたまげた。
つまり東京から横浜に行くのに、東京、立川、八王子、橋本、茅ヶ崎、藤沢を経由して行ったみたいなもので、東京駅の掲示板にはいつもの通りに、新橋、品川経由と書いてあったら日本ではどうなる事か。
2都市間を結ぶ思想のインターシティー感覚では、途中どこを通ろうと勝手でしょ。
日本の銀行は、大蔵省のバカ役人が、いずれ天下りや老後の非難場所とする意向からか、ガンジガラメの制約のもとに営業しており、営業店舗数なども制限が加えられていて、国民の便利さは二の次である。 ところがロンドンだけでなく、英国の大都市では、角を曲がると銀行の支店にでくわす程のバンク王国である。 警察の派出所ぐらいの違物が多く、いかにも市民の金庫といった感じで気軽に利用できそう。 その上、CDは全部24時間利用可能で、あまり治安の良くなさそうな場所の銀行CDをみていると、人ごとながら盗難にあわねばよいがと感じる。
日本では商店は夜シャッターを下し、灯火を消すが、英国ではシャッターを下さず、道路に面したウインドは明るく照らす。 犯罪があれば、通行人や警察の発見が早いからとのことで、シャッターが下りていては、室内で起きている被害が外から判りにくいとの生活の知恵からである。(荒井利治)
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英国やぶにらみ第8話 クレジットカードは万能か? ― 2010/04/21 22:34
いつの頃か、クレジットカードが旅行者にとって便利で、現金と比べて盗難などにあっても安全度が高いとの事で普及しだした。 小生もロンドンのヒルトンホテルで盗難の被害にあってからは、クレジットカードの愛用者になり今日にいたっている。 ホテルでは確かに便利至極で、チェックインの際にカードを提示すれば、まずはその国の言葉を理解出来なくても投宿出来る。
ホテルで盗難にあっても、連中は何の保証もしてくれないし、その上、セキュリティーなどと称するでくの棒が治安を守っているというが、あれはホテルに被害がおきないように守っているのであって、間違っても泊り客の保安の為ではないと考えなければいけない。 小生の経験では、なんとホテル側では警察にも報告しなかった。 つたない外国語で現地の公安に出向き被害状況を話し、保険での保証の為の書類を入手するのに、ずいぶん時間を無駄にせねばならなかった。
日本では宮内庁の御用達、そして英国では王室御用達といった按配で、商人と取引先の間で昔から掛売の制度が普及しており、デパートなどでも、顧客にたいしてはお帳場制と呼ばれるシステムがあり、羽振りがよければ現金など持ちあるく必要がなかった。
また、集金制度が日本には定着しており、江戸時代から広く普及し、単にプラスティックに登録ざれた数字により信用度を評価する制度とは相手を信頼する度合が大いに異なる。
急激に普及しだしたクレジットカードのため、日本ではホテル、レストラン、商店、デパート、そして最近ではペンションや民宿までプラスティックマネーで支払いが出来るようになり、カード会社の宣伝では、カードがないと海外旅行が出来ないように信じ込まされる。
クレジットカード文化は、ご存知のとおりアメリカがその発祥の地で、サンフランシスコなどではヒッピーの露天マーケットまで1枚のプラスティックで支払いがOKだ。 あの国でカードがなかったら生活に事欠くに相違ないが、では英国ではどうだろうか。
勿論、ロンドンのホテルやデパート、レストランなどではほとんどのカードを受けいれ。 したがって、ロンドンだけで仕事が済むビジネスマンやエグゼクティブには便利だが、この国では一旦郊外にでると、風光明媚な田舎風ホテルや各地の町や村の1番の宿ではプラスティックマネーは拒絶にあう。 宿によっては案内に「当ホテルは、お客様にお支払い頂く代金めいっぱいのサービスをするのでクレジットカードはお断りします。」などと、堂々と表示しており、現金優先である。
当然乍ら、クレジットカードはカード会社がなにがしかの手数料を天引するので、実質の収入が目減りする。 それだけではなく、英国では付加価値税(VAT)の制度があり、通常15%を納税する。 小さな宿屋などではその計算も大変でややこしく、その上、クレジット会社の書類に振りまわされてはかなわないという。 さらに、地方のこれらの宿屋では、信用さえあればつけ売りを悦んでうける。 会社の接特などにも利用してもらい思恵を得る事の方が有効か無効かを心配しながら引き受けるカードよりも数倍安全と信じている。
そんな訳で、京都の古い宿屋とおなじで、いちげんの客などは、けんもほろろに断られたりするが、紹介があったり、得意先の接特客などにはなんとも丁重に応対してくれ、帰りがけにサインも要求しないところが英国では多く存在する。
一般市民だってあまりカードは重要でなく、現金が第一で、出かける時も忘れてる。 だいいち、憩いの場所であるパブなどではカードなんか相手にされない。 ポケットに穴があきそうな重い10ペンスを、もったいなさそうにカウンターの上に並べて払うのがブリティッシュというもんだ。
以外に思うかもしれないが、英国人は全て、お金は重いのがベストという思考があって、50ペンスや10ぺンスのあの重さが好きだ。 近年、使用が開始された新20ペンスと1ポンドコインは、不評さくさくで、釣銭で貰うのをいやがる。 こんな思想からしてペラペラのプラスティックマネーには、一種の拒絶反応をもっているように思える。 世の中、金が一番と思いしらされる。
アメリカンエキスプレス、VISAそしてACCESSが英国では代表するクレジットカードであり、いずれの会社もメンバー勧誘に競争がはげしい。 ところが大都市をのぞいては、カードホルダーが少なく、日本や米国のように普及していない。
さらに、不良力ードが内外から多く持ち込まれるロンドンなどでは、少額の買物でもキャッシャーがクレジット会社に連絡をとり、照会、承認の手統きをする。 その為に、例によって出来ている行列がさらに長くなるなど、クレジットカード本来の目的である決済の簡略化、スピードが逆行をはじめており、さらに不人気に拍車をかけている。
ロールスロイスを自家用車とする人に、日本製のクレジットカードと同じサイズの計算器を贈った。 カードと共にご利用下さいと言葉を添えて。 その返事いわく、……クレジットカードを使ったことがないので共に持って歩けぬが、計算器は毎日ポケットに入れて愛用します…と。(荒井利治)
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ホテルで盗難にあっても、連中は何の保証もしてくれないし、その上、セキュリティーなどと称するでくの棒が治安を守っているというが、あれはホテルに被害がおきないように守っているのであって、間違っても泊り客の保安の為ではないと考えなければいけない。 小生の経験では、なんとホテル側では警察にも報告しなかった。 つたない外国語で現地の公安に出向き被害状況を話し、保険での保証の為の書類を入手するのに、ずいぶん時間を無駄にせねばならなかった。
日本では宮内庁の御用達、そして英国では王室御用達といった按配で、商人と取引先の間で昔から掛売の制度が普及しており、デパートなどでも、顧客にたいしてはお帳場制と呼ばれるシステムがあり、羽振りがよければ現金など持ちあるく必要がなかった。
また、集金制度が日本には定着しており、江戸時代から広く普及し、単にプラスティックに登録ざれた数字により信用度を評価する制度とは相手を信頼する度合が大いに異なる。
急激に普及しだしたクレジットカードのため、日本ではホテル、レストラン、商店、デパート、そして最近ではペンションや民宿までプラスティックマネーで支払いが出来るようになり、カード会社の宣伝では、カードがないと海外旅行が出来ないように信じ込まされる。
クレジットカード文化は、ご存知のとおりアメリカがその発祥の地で、サンフランシスコなどではヒッピーの露天マーケットまで1枚のプラスティックで支払いがOKだ。 あの国でカードがなかったら生活に事欠くに相違ないが、では英国ではどうだろうか。
勿論、ロンドンのホテルやデパート、レストランなどではほとんどのカードを受けいれ。 したがって、ロンドンだけで仕事が済むビジネスマンやエグゼクティブには便利だが、この国では一旦郊外にでると、風光明媚な田舎風ホテルや各地の町や村の1番の宿ではプラスティックマネーは拒絶にあう。 宿によっては案内に「当ホテルは、お客様にお支払い頂く代金めいっぱいのサービスをするのでクレジットカードはお断りします。」などと、堂々と表示しており、現金優先である。
当然乍ら、クレジットカードはカード会社がなにがしかの手数料を天引するので、実質の収入が目減りする。 それだけではなく、英国では付加価値税(VAT)の制度があり、通常15%を納税する。 小さな宿屋などではその計算も大変でややこしく、その上、クレジット会社の書類に振りまわされてはかなわないという。 さらに、地方のこれらの宿屋では、信用さえあればつけ売りを悦んでうける。 会社の接特などにも利用してもらい思恵を得る事の方が有効か無効かを心配しながら引き受けるカードよりも数倍安全と信じている。
そんな訳で、京都の古い宿屋とおなじで、いちげんの客などは、けんもほろろに断られたりするが、紹介があったり、得意先の接特客などにはなんとも丁重に応対してくれ、帰りがけにサインも要求しないところが英国では多く存在する。
一般市民だってあまりカードは重要でなく、現金が第一で、出かける時も忘れてる。 だいいち、憩いの場所であるパブなどではカードなんか相手にされない。 ポケットに穴があきそうな重い10ペンスを、もったいなさそうにカウンターの上に並べて払うのがブリティッシュというもんだ。
以外に思うかもしれないが、英国人は全て、お金は重いのがベストという思考があって、50ペンスや10ぺンスのあの重さが好きだ。 近年、使用が開始された新20ペンスと1ポンドコインは、不評さくさくで、釣銭で貰うのをいやがる。 こんな思想からしてペラペラのプラスティックマネーには、一種の拒絶反応をもっているように思える。 世の中、金が一番と思いしらされる。
アメリカンエキスプレス、VISAそしてACCESSが英国では代表するクレジットカードであり、いずれの会社もメンバー勧誘に競争がはげしい。 ところが大都市をのぞいては、カードホルダーが少なく、日本や米国のように普及していない。
さらに、不良力ードが内外から多く持ち込まれるロンドンなどでは、少額の買物でもキャッシャーがクレジット会社に連絡をとり、照会、承認の手統きをする。 その為に、例によって出来ている行列がさらに長くなるなど、クレジットカード本来の目的である決済の簡略化、スピードが逆行をはじめており、さらに不人気に拍車をかけている。
ロールスロイスを自家用車とする人に、日本製のクレジットカードと同じサイズの計算器を贈った。 カードと共にご利用下さいと言葉を添えて。 その返事いわく、……クレジットカードを使ったことがないので共に持って歩けぬが、計算器は毎日ポケットに入れて愛用します…と。(荒井利治)
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英国やぶにらみ第9話 ボーイジョージの容認度 ― 2010/04/21 22:34
ロンドンの低階層住民は、いずれの大都市も同じように、中心部に隣接しているドーナッツ地域がその大半をしめる。 ニューヨークでいえば、南ブロンクスやブルックリン地区であり、ロンドンではテームズの南にあたるクロイドンとホーランドパークから西側のハマースミス地区をさす。 これらの地区には在来の居住者以外に、外国からの移民や出稼ぎの人々が雑居しており、どこの旅行会社もガイドが注意するようにとアドバイスする所である。
ロンドンでその名を世界に知らしめた若者の風俗に、パンクと呼ばれるものがある。 鋲などで飾りつけたレザーブルゾンとレザーパンツ、髪の毛は脱色またはカラー着色をしてモヒカンスタイルに調髪し、ブーツできめたのが男で、どこまで縫ってあるのかとても理解できない布を纏い、乳房がみえそうな期特をもたせる上衣にズボラなパンタロンか、男性とそろいのレザーできめているのが女の子。 へアーたるや、それぞれの頭の上ではサーカス小屋が営業中、といった風情だ。
英国では、ここ10年にわたって失業率が増加しており、最近の失業率は10数パーセントに及ぶといわれる。
ロンドンの国会議事堂の反対側のテームズ川をはさんでのビルに、只今の失業率が表示されているが、こんな国はあまりよそにはない。 勿論、失業保険の制度もあり、職を失っているものはこの恩恵に浴す事ができるが、若者にとって、職が無い為にこの制度も無駄だ。
中高年層も職さがしに必死だから、若者に職をゆずりたがらないし、自己を守るのが精一杯の現状がますます人々を利己主義に変えてしまっているのが現状なのだ。
そんな中だから、若者のうっぷんや生気をはらしてやる手段として、彼等の行動に対して市民は、以外と寛容であるとともに無頓着である点が、パンクファッションやパンクロックなどを生み出した原因でもある。
生れつき階級制度という社会の枠にはめられて、17歳の義務教育を終えるとともに、親元から独立して核家族化してゆく英国では、成長した子供達は自由なのである。
ひとつの例として、田合から出て来ても職にありつけず、ロンドンなどの都会では、これらの青少年のゆきつくところとなると自然にきまってくる。
性風俗についても欧米の今日は、日本とは大さく異なる。 セックスと若者の成長は堅いきずなでむすばれており、パンクの世界にもインスタントカップルが出来上がるのは時間の問題である。 小暴力や金のある者から巻き上げるシステムが自然に存在し、そんな中で又、助けあうのもパンクの世界で生きて行く約束ごとなのだ。 異常セックスの傾倒者たちとパンクは全く異質と考えてよく、日常の市民社会ではあまり弊害にもなっていないようで、我々旅行者などにもバスの乗り降りなどの際や、道を尋ねたりすると驚くほどの親切を示す。
はじめてボーイジョージを知ったのは、ハマースミスのオデオンでの事で、もう何年も前のことだ。 最近のような派手な化粧ではなかったと思うが、そのときはパンクロックを見に来た女の子と信じていたが、あとでロック歌手で男性だと聞かされて、ただそうかと思っただけだった。
ロンドンにいると、あの手の性傾倒者は多くおり、中にはどうしても男性とは思えない人もいるので、別に珍しくはない。 ただ、ボーイジョージの場合、自分から男性と名のり、舞台でも普段の生活でも、あの化粧とスタイルで通しているのが珍しいともいえる。
英国は過去においても、ビートルズを生み、デビットボーイ、ボーイジョージなどが育っているように、音楽、特にロックの分野においては近年、傑出すべき場所である。 ビートルズが誕生後の数年間は、大人から全て攻撃されたが、若者には狂気めいた程の人気となり世界中を席巻した。
ビートルズの時代がおわり、多くの彼らの作品が名曲として評価され、今ではオーケストラまでが演奏するようになって、ロックのビートの中に示されている旋律の繊細な調べや曲の流れに、英国古来のメロディーを感じるのは何故だろうか。
リバプールで生れ育ったビートルズの生家付近には移民の多くが住んでいる。 アフロキューバンのリズムや英領各地からの民には、独特のリズム感があり、ロックのリズムに結びつく。 ロンドンのハマースミス地区も同じようにアフリカや中南米各国の移民が多住する。
こう考えてみると、これらの地区で作られるパンクロックは我々が感じる騒音ではなく、住民にとっては生活のリズム音であり、音楽なのだ。 勿論、現在が混入された合成音楽ではあるが、一脈通ずるものがあり、深夜まで続く演奏会も許容できるのだ。 また、ボーイジョージの化粧は、白人と彼らの障壁をのぞく手段でもあり、同時に彼の存在価値をしめすテクニックではなかろうか。(荒井利治)
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ロンドンでその名を世界に知らしめた若者の風俗に、パンクと呼ばれるものがある。 鋲などで飾りつけたレザーブルゾンとレザーパンツ、髪の毛は脱色またはカラー着色をしてモヒカンスタイルに調髪し、ブーツできめたのが男で、どこまで縫ってあるのかとても理解できない布を纏い、乳房がみえそうな期特をもたせる上衣にズボラなパンタロンか、男性とそろいのレザーできめているのが女の子。 へアーたるや、それぞれの頭の上ではサーカス小屋が営業中、といった風情だ。
英国では、ここ10年にわたって失業率が増加しており、最近の失業率は10数パーセントに及ぶといわれる。
ロンドンの国会議事堂の反対側のテームズ川をはさんでのビルに、只今の失業率が表示されているが、こんな国はあまりよそにはない。 勿論、失業保険の制度もあり、職を失っているものはこの恩恵に浴す事ができるが、若者にとって、職が無い為にこの制度も無駄だ。
中高年層も職さがしに必死だから、若者に職をゆずりたがらないし、自己を守るのが精一杯の現状がますます人々を利己主義に変えてしまっているのが現状なのだ。
そんな中だから、若者のうっぷんや生気をはらしてやる手段として、彼等の行動に対して市民は、以外と寛容であるとともに無頓着である点が、パンクファッションやパンクロックなどを生み出した原因でもある。
生れつき階級制度という社会の枠にはめられて、17歳の義務教育を終えるとともに、親元から独立して核家族化してゆく英国では、成長した子供達は自由なのである。
ひとつの例として、田合から出て来ても職にありつけず、ロンドンなどの都会では、これらの青少年のゆきつくところとなると自然にきまってくる。
性風俗についても欧米の今日は、日本とは大さく異なる。 セックスと若者の成長は堅いきずなでむすばれており、パンクの世界にもインスタントカップルが出来上がるのは時間の問題である。 小暴力や金のある者から巻き上げるシステムが自然に存在し、そんな中で又、助けあうのもパンクの世界で生きて行く約束ごとなのだ。 異常セックスの傾倒者たちとパンクは全く異質と考えてよく、日常の市民社会ではあまり弊害にもなっていないようで、我々旅行者などにもバスの乗り降りなどの際や、道を尋ねたりすると驚くほどの親切を示す。
はじめてボーイジョージを知ったのは、ハマースミスのオデオンでの事で、もう何年も前のことだ。 最近のような派手な化粧ではなかったと思うが、そのときはパンクロックを見に来た女の子と信じていたが、あとでロック歌手で男性だと聞かされて、ただそうかと思っただけだった。
ロンドンにいると、あの手の性傾倒者は多くおり、中にはどうしても男性とは思えない人もいるので、別に珍しくはない。 ただ、ボーイジョージの場合、自分から男性と名のり、舞台でも普段の生活でも、あの化粧とスタイルで通しているのが珍しいともいえる。
英国は過去においても、ビートルズを生み、デビットボーイ、ボーイジョージなどが育っているように、音楽、特にロックの分野においては近年、傑出すべき場所である。 ビートルズが誕生後の数年間は、大人から全て攻撃されたが、若者には狂気めいた程の人気となり世界中を席巻した。
ビートルズの時代がおわり、多くの彼らの作品が名曲として評価され、今ではオーケストラまでが演奏するようになって、ロックのビートの中に示されている旋律の繊細な調べや曲の流れに、英国古来のメロディーを感じるのは何故だろうか。
リバプールで生れ育ったビートルズの生家付近には移民の多くが住んでいる。 アフロキューバンのリズムや英領各地からの民には、独特のリズム感があり、ロックのリズムに結びつく。 ロンドンのハマースミス地区も同じようにアフリカや中南米各国の移民が多住する。
こう考えてみると、これらの地区で作られるパンクロックは我々が感じる騒音ではなく、住民にとっては生活のリズム音であり、音楽なのだ。 勿論、現在が混入された合成音楽ではあるが、一脈通ずるものがあり、深夜まで続く演奏会も許容できるのだ。 また、ボーイジョージの化粧は、白人と彼らの障壁をのぞく手段でもあり、同時に彼の存在価値をしめすテクニックではなかろうか。(荒井利治)
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英国やぶにらみ第10話 盛りつけと飾りつけ ― 2010/04/21 22:34
日本の肉屋の前に立って、食肉を買おうとしたとさ、目の前にあるものは既に包丁がいれられたもので、ステーキなどで希望のサイズを買う時以外、ドでかい肉塊を見ることは少ない。 鶏肉屋では鶏を1羽のままおいてあることが多いが、これとて既に羽根はきれいにとられており、すぐに台所で料理が可能なのが普通である。
普段こんな風景の中で生活していると、ロンドンの肉屋の前に立つと卒倒しかける。 まるで半頭分ぐらいはあると思われる牛肉がところせましと置かれ、その隣には各種の肉類が配置されている。 小錦の腕ぐらいあるハムやソーセージあたりはさほど驚かないが、ウインド側を中心にぶらさげてある小動物となると、まず、日本人なら食欲が減退するか目をそむけたくなる。 うさぎ、雷鳥、きじなどのたぐいが、羽根や毛をつけたままで陳列され売られているからだ。 さらに蛙の足、各種の臓物、舌などが客を待っているが、日本の肉屋ではほとんど感じない血の匂いが充満しているようで、繊細な神経の持主ならいたたまれない。
ロンドンには世界の料理店が競いあう街があり、世界各地から人々が集まり、いろいろな味を楽しむことができる。 最高クラスの料理店にゆくと、時折、このロンドンの肉屋が出張して来たのかと間違えるような飾りつけが入口にしてあり、ビックリする。 つまり兎や野鳥などがドデンと置かれ、当店ではこの新鮮な材料で本日のメニューを作っています、という訳である。
日本では活魚料理店などで鯛や海老などがいけすに入れられ、注文とともに取りだして活造りにして供される。 特に生き造りなどは、まだ海老や鯛が生きており、ピクピク動いたりしているのを食するのだから残酷ではある。 ある外人さんをこの手の料理屋に招待したところ、見ていて震えだしてしまい、食事もそこそこに逃げ帰ってしまった事があり、日本人の残酷さをみた思いがしたといわれて当惑した事件があったが、英国で食肉屋のディスプレーを見る限りにおいては彼らの残忍性も相当なものだと思う。
日本人が目の下1尺の鯛を見た時の食欲と同じものを彼らは2尺の兎に感ずるのであろう、と納得するには随分と時間がかかったが、いまだに食べる気はない。
ただ理解に苦しむ点は、英国国民が世界でも有数の動物愛護国民であることで、犬や猫の愛玩ぶりは世界中でも有名である。 日本の捕鯨にまっさきに反対のノロシを揚げた国でもある。 ところが上流社会では、多くの犬や馬をかって狐狩りや野鳥、猟と動物殺しに懸命なのである。 この矛盾点については誰が答えてくれるのかを私は知らない。
10年前の日本航空ヨーロッパ行きと英国航空ヨーロッパ行きの機内では、空気の匂いがずいぶん違っていて、日本航空の機内のほうが臭くなかった。 ところが近年JALでもBAでも同じ臭さが充満してきて、ロンドンやサンフランシスコの町中にいるようだ。
自説ながら、人の匂い、つまり体臭の違いがそれぞれにあり、欧州人は四ッ足を主として食する為に、消化された匂いは皮膚経由で排出される。 その為に大便の量はアジア人種より少量で糞臭は弱い。 これに対して米食を主体とし、魚類をたんぱく源とする日本人などは皮膚分泌が少なく、排便量が多く匂いが強いとの考えを持っている。
この為に、欧米にとっての香水やオーデコロンの発達は人々の生活の為の消臭剤として不可欠のものであり、機内の空気をにごすまでの匂いとなっていたと思われる。
これに反して日本では、便所が臭いという大問題があり、ナフタリンなどのトイレット用消臭剤が昔から使われているが、オーデコロンなどはたべもの商売では敬遠され、また平均的日本人は体臭も弱く、必要ではなかったのであろう。
ところが最近では、包丁の無い家庭があるほどファーストフードの普及、食生活の肉食化で、欧米とほとんど変化のない時代となった。 そうしたら、とたんに日本航空の機内でも新幹線の車内ても、あのヨーロッパの町かどで感ずる匂いがうまれだして、いまや充満している。 ちなみに、同機内のトイレは昔ほど「お後の臭害」に悩まされない。
銀座のマキシム、六本木のローマレストランなどでは、時々あのロンドンで見た小動物ドデンの盛り付けをするそうだ。 いつの間に日本人が受け入れたのか理解できないでいる昨今である。(荒井利治)
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普段こんな風景の中で生活していると、ロンドンの肉屋の前に立つと卒倒しかける。 まるで半頭分ぐらいはあると思われる牛肉がところせましと置かれ、その隣には各種の肉類が配置されている。 小錦の腕ぐらいあるハムやソーセージあたりはさほど驚かないが、ウインド側を中心にぶらさげてある小動物となると、まず、日本人なら食欲が減退するか目をそむけたくなる。 うさぎ、雷鳥、きじなどのたぐいが、羽根や毛をつけたままで陳列され売られているからだ。 さらに蛙の足、各種の臓物、舌などが客を待っているが、日本の肉屋ではほとんど感じない血の匂いが充満しているようで、繊細な神経の持主ならいたたまれない。
ロンドンには世界の料理店が競いあう街があり、世界各地から人々が集まり、いろいろな味を楽しむことができる。 最高クラスの料理店にゆくと、時折、このロンドンの肉屋が出張して来たのかと間違えるような飾りつけが入口にしてあり、ビックリする。 つまり兎や野鳥などがドデンと置かれ、当店ではこの新鮮な材料で本日のメニューを作っています、という訳である。
日本では活魚料理店などで鯛や海老などがいけすに入れられ、注文とともに取りだして活造りにして供される。 特に生き造りなどは、まだ海老や鯛が生きており、ピクピク動いたりしているのを食するのだから残酷ではある。 ある外人さんをこの手の料理屋に招待したところ、見ていて震えだしてしまい、食事もそこそこに逃げ帰ってしまった事があり、日本人の残酷さをみた思いがしたといわれて当惑した事件があったが、英国で食肉屋のディスプレーを見る限りにおいては彼らの残忍性も相当なものだと思う。
日本人が目の下1尺の鯛を見た時の食欲と同じものを彼らは2尺の兎に感ずるのであろう、と納得するには随分と時間がかかったが、いまだに食べる気はない。
ただ理解に苦しむ点は、英国国民が世界でも有数の動物愛護国民であることで、犬や猫の愛玩ぶりは世界中でも有名である。 日本の捕鯨にまっさきに反対のノロシを揚げた国でもある。 ところが上流社会では、多くの犬や馬をかって狐狩りや野鳥、猟と動物殺しに懸命なのである。 この矛盾点については誰が答えてくれるのかを私は知らない。
10年前の日本航空ヨーロッパ行きと英国航空ヨーロッパ行きの機内では、空気の匂いがずいぶん違っていて、日本航空の機内のほうが臭くなかった。 ところが近年JALでもBAでも同じ臭さが充満してきて、ロンドンやサンフランシスコの町中にいるようだ。
自説ながら、人の匂い、つまり体臭の違いがそれぞれにあり、欧州人は四ッ足を主として食する為に、消化された匂いは皮膚経由で排出される。 その為に大便の量はアジア人種より少量で糞臭は弱い。 これに対して米食を主体とし、魚類をたんぱく源とする日本人などは皮膚分泌が少なく、排便量が多く匂いが強いとの考えを持っている。
この為に、欧米にとっての香水やオーデコロンの発達は人々の生活の為の消臭剤として不可欠のものであり、機内の空気をにごすまでの匂いとなっていたと思われる。
これに反して日本では、便所が臭いという大問題があり、ナフタリンなどのトイレット用消臭剤が昔から使われているが、オーデコロンなどはたべもの商売では敬遠され、また平均的日本人は体臭も弱く、必要ではなかったのであろう。
ところが最近では、包丁の無い家庭があるほどファーストフードの普及、食生活の肉食化で、欧米とほとんど変化のない時代となった。 そうしたら、とたんに日本航空の機内でも新幹線の車内ても、あのヨーロッパの町かどで感ずる匂いがうまれだして、いまや充満している。 ちなみに、同機内のトイレは昔ほど「お後の臭害」に悩まされない。
銀座のマキシム、六本木のローマレストランなどでは、時々あのロンドンで見た小動物ドデンの盛り付けをするそうだ。 いつの間に日本人が受け入れたのか理解できないでいる昨今である。(荒井利治)
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