英国やぶにらみ第25話 3/4人前 板前の遺産2010/04/22 22:44

ロンドンに日本料理店が登場して20年余になり、今では30~40店がジャパニーズレストランとして商売している。 はじめの頃は、現在の様にグループ旅行が一般化する前の事で、顧客も在英商社の駐在員などが主であった。 ロンドンでも繁華街やメインストリートに面した場所は借りる事が出来ず、まず立地条件で泣かされたという。

現在、にんじんグループとして成長した大屋政子女史経営の最初の店は、オックスフォード通りから北に入った貧民窟街のはずれで開店した。 セルフリッジ百貨店に近い場所であったが、オックスフォード通りから入るには、わずか1メートル弱の通路を抜けねばならず、地元の人でさえその通り名では判らなかった程である。

日本料理店として興味をもってもらう為に、初期のアメリカでも見られたと同様の、前時代的なインテリアでまとめた店であったが、苦労しても英国人の顧客を得るまでには至らなかった。 その上、ロンドンの反日感情は予想以上に厳しいという現実があった。

その後、シティーにも日本料理店をオープンして、金融機関の接待の場として、日本の銀行支店の応援などを受けて、英国人に日本の味を知ってもらう努力が続けられた。

さらに日本人在住者の便宜の為に日本食品店を開業し、カリフォルニアからの米、中国料理店から供給を受けた豆腐、日本から空輪したタクワンまで店頭に用意したそうだ。 今日では、日本の田舎の食料品店顔負けの品揃えとなり、紀文のカマボコもJALのジャンボが運びこむ。

ただ、日本料理店として定着してきたのは、やはりジャルパックなどの団体客が英国を訪れる様になってからで、一般客だけでなく、有名人や芸能人、スポーツマンなども団体客の仲間入りしていた。 彼らも言葉の障害からか、よくパック旅行を利用していた時代である。

ロンドンの繁華街にも日本料理店が増えだした頃、一部であるが、経営者が日本人ではなく、韓国人やユダヤ系の経営の店も誕生して、いくつかの日本料理店では奇妙なメニューもあった。

また、日本からの観光客を当て込んで、いち早くヒルトンホテルがロンドンでホテル内レストランとして日本料理を採用、注目を浴びた。 このヒルトンの戦術は見事に成功し、安定した日本人客を確保、グループ旅行会社の指定ホテルとしても採用された。

ロンドンの日本料理店では、早い時期から勘定書きの中にサービス料金を計上して客に請求したが、これが、チップ制度に弱い日本人旅行者に評判で、チップの苦労から解放された。 現在では、ほとんどの日本料理店でこの方式をとっており、また、通常欧米のレストランで見られる、割当テーブル担当ボーイのシステムをとらず、日本と同じ様に店員であれば誰もが注文をうけたり、マネージャークラスが全てのテーブルを廻り、オーダーを受けたり、料理の説明をしたりして、サービスの違いを英国の人々に感じさせた事が、後年大きく成功に寄与している。

どこの料理店でも最大の問題は、板前の確保にあった。 当初は日本料理店同士で、引き抜き合戦も演じられた。 材料も7000マイル離れた英国と日本では違いがあり、また、全ての材料を築地から輪送出来なかった。 アフリカからの野菜、ヨーロッパからの魚を日本の味に調理するには、本来の日本流の板前には無理も生じて当然であり、予期していた事ながら難題であった。

しかし、日本料理店として営業する以上、なにがしかの形を整える必要にせまられた。 ある経営者の弁だが、当時必要としたのは一人前の板前でもなく、半人前の板前でもなかった。 欲しかったのは四分の三人前の板前であったと。

つまり、一人前では材料が不満で料理を拒否されたり、仕事を嫌った。 逆に半人前では手も足も出なかったのである。 そんな中で、四分の三人前の板前は、入手可能材料を日本流にアレンジして、スコットランドの鮭を刺身に仕上げ、ドーバーのヒラメを薄造りにして商売を盛り上げた。

現在では日本でも供される鮭の刺身だが、昔は虫がいると云われて、刺身としては北海道の冷凍ルイベ以外日本料理では使われなかったし、本来鮭は下賎魚とされていた。 ところが、四分の三人前の板前の多くが、正式労働許可を英国政府から受けていなかった為に、一時期をすぎるとロンドンの板場からほとんど姿を消した。

しかし、彼らの残したロンドン風味日本料理は、確実に伝承されており、経営者の多くは、いまでも高い評価をし、彼らへの感謝の念を持っている。

カリフォルニアに始まり、ニューヨークで人気を得ている最近の寿司ブームを思う時、メニューに載せられたアボカロールなどを見ると、四分の三人前の板前の現在の活躍場所を知る思いだ。

ロンドンの1等地、セント・ジェームス通りに、サントリーレストランが堂々とオープンして早や5年を越える。 英国人が目をみはった値段の高さも、いまでは普通に評価され、半分以上の客は日本人ではない。 ミック・ジャガーをはじめ、芸能人、有名人で連日満員で、予約なしには食事にありつけぬ程の盛況である。

スコットランドのサーモンも、いまでは最古参メニューとして健在だが、板前さんだけは、いまではみんな一人前でないと通用しないほどに日本味が浸透した。(荒井利治)

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