英国やぶにらみ第38話 洋傘督見2010/04/22 23:23

昔から英国の街の写真などで、紳士が山高帽子に黒背広、そして右手にこうもりは定番とされた。 現実にロンドンのシティーあたりの銀行員、金融業者、そしてスローンレンジャーなどは、今日でもこのスタイルを踏襲しているが、ひと昔前に比べると大幅に減っている。

英国のイングランドを例にとると、平均して、1日に1回雨が降る勘定になる。 しかし、1日中降り続く様な雨ではなく、シャワーと呼ばれる一時雨で、デパートの中にでも逃げ込んで、ミルクたっぷりの紅茶でも味わっていれば、いつの間にか雨は終演となる。

家庭の主婦なども買物に出る時には、傘は買物袋と共に必ず用意して出かける。 驚くかもしれないが、折たたみ式のこうもりが英国に出回ったのはまだ近年のことで、それまでは主人の中古などをとくとくと使用していた。 最近でこそ買物袋に財布とこうもりを入れ、いそいそと出かける主婦が多くなったが、それでも老婦人は絶対に折たたみ式を悦ばず、男性用大型洋傘を徴用している様である。

これには実用として一理あって、買物袋など重くなると、こうもりの納にひょいとひっかけて一休みしたり、ステッキの代用とすることが出来る。 女物の洋傘は荷物のハンガーにはならないので、男物の方が便利で丈夫という訳で、老人の知恵である。

ロンドンに着いて、ピカデリー通りの有名な傘屋で、1本の気にいった洋傘を見つけた。 早速買い込んで雨を待ったが、困果な事に、6月末の好天でその日は雨は降らず、翌日まで持ち越した。 翌朝朝食の後、一服していると、雲と太陽が入り混じる中で雨が降りだした。 新品の洋傘を持って飛出そうとすると、友人が、この雨は傘をさす雨ではないと云う。 辺りを見ると、傘をさして人々が往来している。 さらに友人は、人々を指差しながら、観光客や貧乏人は、やたら少々の雨でも安物傘をさすのであって、貴君の持つような高級英国傘は、やたらさしてはならぬものだと決め付けられた。

英国紳士たるもの一着におよぶ背広なら、サビルローの仕立屋が、カシミヤの素材で入念に仕上げてあり、カシミヤの持つ素質は少々の雨ははじき返す。 その上、戦場の雨にも耐えたバーバリー防水のコートなどは、スぺインの雨だって平気。

ではなんでこうもりを持つのかと尋ねると、これがはっきりせずに、究極の答えは身だしなみ。 つまり、紳士のアクセサリーという事だ。 さらに杖との違いを尋ねると、ステッキはつくものであり、傘は持つものであって、正確にはついてはならぬとキッパリ。 なるほどシティーなどで見かける紳士諸公は、傘の柄を腕にひっかける様にして持っている。

洋傘も最近ではナイロン地が大半で、木綿素材地は激減した。 理由はいろいろあろうが、10年程前までは、ロンドンの地下鉄の構内などに、こうもりの巻き屋がいて、何がしかの日銭でさし了えた傘をきれいに巻いてくれた。 英国には執事(バトラー)スクールがいまでもあって、ここを卒業すると、世界中に就職先があるといわれるが、授業科目の中にも、こうもりの巻き方が必須料目で存在する。 木綿のこうもりをきれいに巻き込むには技術が必要な訳で、日本人には想像もし得ない事である。 逆に「何であるアイデアル」式のスプリング開閉洋傘は彼らには想像出来ぬ事柄と言える。

経験不足ながら、英国と日本の雨には、降り方に微妙な違いがあるようで、英国の雨は縦に降りそそぐ感じで、日本の雨は若干横なぐりが多い様だ。 カラ傘、蛇の目の踏襲からか、日本の洋傘は開いた時の骨組はほとんど水平で、まさしく傘の字の形。 さす時には、雨の来る方角に合わせて使用するのが普通だが、英国の方は、開くと骨組が内側に湾曲する。 スーパーマリオのキノコ型になり、高価な傘ほど電気スタンドのかさを想像させる。 ロートレックやルノアールの絵画に、或る婦人のさす傘を見て、その伝統の違いを発見した思い。

ロールスロイスが雨のクラリッジホテルの正面に着いた。 通転手が急いで洋傘をさしかけて、後部ドアーを開け、主人を玄関までの数歩を送り込む。 運転手が戻ってくる間、ドアーの中を垣間見ると、素敵な彫り物をした柄の傘が座席にあった。 あの傘はいったいいつ使うのだろうか、と疑念を抱いてしまう。

備えあれば憂いなしという言葉があるが、英国での洋傘を見続けてきて、英国紳士の信条のしるしとして、ささない傘が存在する事を知ったのは、ずいぶん後の事であった。

シティーの昼下がりの事だ。 雨になった道路にひとつの車椅子。 ひとりの紳士がビルから出てきて、見事に巻かれた傘を開くと、車椅子の少年に差出した。 開いた傘を見てびっくりしたのは、これまた見事な折りしわで、地が透けている。

自分では1度もさしたことが無い傘に違いない。 見ず知らずの身体障害者の為ならと、この傘を開いた英国紳士、あっぱれな1シーンに胸をうたれた。(荒井利治)

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