英国やぶにらみ第21話 煙が目にしみる2010/04/22 22:41

英国は航空機のなかでは嫌煙権の主張が通った中では一番遅い方で、その後、列車やバスなども禁煙席が出来た。 ところが、ひとたびこの制度が拡大しだしてから、最近では空港の待合室、廊下、ホテルのロビー、映画館までも禁煙席が設置されている。

こう書くと、映画館など当然、と日本人は思うのが普通だが、実は英国ほどタバコに対して寛容な国は昔は少なかったのである。

そもそもタバコの普及は、英国の先達がオランダの商人などと広く世界に交易の物件として取り扱ってきたもので、国民は無類のタバコ好きであった。

英国でのタバコの種類を見ても、とてもよその国はかなわない多くのブランドがあり、さらにブレンドの違いも存在する。 バーやレストランで見かけるビール会社などの灰皿の種類を勘案しただけでも、タバコ飲みの人口を把握出来る。

そんな国柄からか、日本の消防法などでは、以前より禁止されている映画館や劇場などでも堂々と喫煙出来たし、現在でも半数の座席では可能なのである。 名物の2階建バスでも2階の後半分の座席は現在でもタバコ飲みの為にある。

つい最近、ロンドンの地下鉄が全面禁煙になり、愛煙家はこれに抗議して法を犯すヤカラは沢山いる。 愛すべきロンドンのアンダーグラウンド(地下鉄)は、その歴史をひもとくと、150年余前の創業時はトンネルの中を蒸気機関車で運転されており、列車自体が煙をはいていた。 排煙装置の設備は、地下トンネルの所々を野天堀として仕上げた。 列車は地下を走るので2等には屋根がなく、雨の日などは地下鉄にのって傘をさしたそうで、愛煙家はタバコの火をどうして守ったのか聞いてみたくなる。

嫌煙の主張がはびこり出したのは、タバコの煙が肺ガンを誘発するとして騒がれだしてからの事であるが、タバコ好きの英国人に云わせると、例によって巧みなジョークで一蹴する。

タバコ飲みの論理では、この嫌煙権を野放しにしておくと、近代国家は破滅するというのである。 つまり税金を最も楽に取り立てる手段である酒とタバコが減産になれば、国家財政を圧迫しかねないという訳である。

この説には若干真実味があり、禁煙者がふえた結果なのか、英国での酒、タバコの値段が箸しく値上げされた。

タバコを例にとると、ロスマンズという名の20本入りが、本国で1ポンド35ペンスもする。 日本円に換算しても460円である。 ちなみに、社会保障が進んでいるといわれるデンマークでは同じものが約590円、日本での輪入販売の価格が290円であり、香港では265円で買える。

そうは思いたくないが、禁煙率に準じてタバコの価格も高くなっているようで興味をひく。

酒についてもロンドンで2年前に1杯160円で飲めたパブのビールが今年は340円になっていて、わずかの間に2倍にはねあがってしまっている。 それでもタバコをやめた連中には、唯一の楽しみであるビールをやめる訳にもいかず、泡の苦味で喉をうるおすのである。 勿論、政府に対しての不満や鬱憤が酒のつまみとなる訳でこれはタダ。

タバコ好きの人々のうちでも上流層ともなると、いまだに既製タバコは口にせず、自分だけの配合をしたオーダーメイドが幅を利かすからすごい。 現在では、なに屋なのか皆目見当がつきにくいダンヒルも、実はタバコの配合を得意としたタバコ屋である。

英国王室御用達は、タバコにも及んでいて、女王陸下用の特別配合タバコを納入する業者もロンドンにあり、2頭立ての馬車でバッキンガム宮殿に配達される。 殺しのライセンスホルダーである007が自分のオーダーの紙巻タバコに2本の金線を入れさせるが、こんな凝り方こそが英国の愛煙家の典型なのである。

こんな状況下でタバコの販売低下が原因なのか、単価の端数を作らない為か、実に英国気質を感じさせる事を発見した。

紙巻タバコの多くは自動販売機によってパブや駅などで簡単に入手できるが、標準の20本パックの箱に必ずしも20本は入っているとは限らない。

つまり、自動販売機の換算能力にあわせて18本入りがあったり21本入りがあって、購入の為の使用可能コインの方が優先する。 50ペンスと10ペンスしか受け付けない販売機に端数を受け入れる能力がないし、釣銭機能を持たないのでタバコの本数の方で調整するのである。

もともと20本入りで作られている紙箱に18本は問題ないのであるが21本入りとなると、時々数本が痛んでいたりするが、彼らは気にする様子もない。

ここ2~3年、英国の友人の間でも禁煙者が増えだしてきて、ひとりで喫煙していると気まずい思いをすることがある。 もともと吸わなかった連中ではないので気にする必要はないといわれるのであるが、ロをそろえていうには、禁煙ではなく休煙中だそうで、そのうち再煙するとの事。 合理主義の連中の事なので、おそらく高すぎるタバコへの抗議禁煙らしい。

やせ我慢しながら意地を貫く連中の姿を見ながらの一服は、やけに煙が目にしみる。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第20話 雲の輝き2010/04/22 22:22

日本の演歌にはよく使われる単語として涙、港、月などがあるが、英国では、ポピラーソングでも唱歌でもよく雲が登場する。

どのの国でもよく目にしたり使われる単語は生活・背景に溶け込んでいると思われるので、英国の雲について若千の考察をしてみる事とした。

フランス絵画の印象派にみられるセザンヌ、ルノアール、モネ、そしてユトリロ、ロートレックなど、いろいろな風景画をみても、背景となる空中空間の雲についてはそれほどリアルな描写がないが、英国の画家の描く作品には、この背景となる空中空間に、さまざまなかたちや色をもつ雲があり、作品全体への影響が大きい。

コンスタブルにしろターナーにせよ彼らの作品を鑑賞する際、背景の雲をフランス絵画的にすると全く無価値になってしまう。 特にターナーの晩年の作品を見ると、彼の全能が雲のイメージの上に成りたっている感すらする。

英国でも特にイングランドとウェールズで多様な雲に出会う。

それに対してスコットランドでは、どちらかというと雲に変化が少ない。 夏場は日本同様の積乱雲などが中心で、夜11時まで暮れない空にある。 反対に冬場はほとんど太陽が出ないに等しい状況で、どんよりした雲に支配されてしまう。

イングランドとウェールズはこれにくらべて気象条件が極端に異なる。 西に大西洋があり、東に北海を持ち、さらに欧州との間にイギリス海峡があり、メキシコをみなもととする親潮の流れが東西の気象に混じりあう。

ウェールズの北の一部をのぞき、両地方には高山が存在せず丘陵地帯が続く。 この為に日本の本州の中心をつらぬくような山脈がないので分水嶺もない。 結果として東西の気象は、イングランドの空でミックスして大西洋側と北海側の気圧の変化の全てが雲となって直視できる。

西から東への気象の動きは北半球の特徴であるが、まるで気象衛星でみる雲の動きそのままを自分で見る事が出来るのはイギリスをおいてない。

上層、中層、下層の雲が風にのり、さまざまな形を作り、その間をぬって太陽がふりそそぐ。 特に中層の雲は気紛で、気流にのって太陽光を弄ぶ様は大スペクタルだ。

ただし、ロンドンはこの美しい雲に出会うのはまれで、本当の雲を見たいと思ったら郊外まで足を延ばさないと無理。 どうゆう訳か都会の雲はどこでも味気ない。

6月のイングランドは1年のハイライト、ジューンブライドと呼ばれる。 1月雪、2月氷、3月強風、4月雨、5月晴れ間、という英国のことわざのとおり、長い悪天候のあとにこの季節となる。

全てが輝きを増す素晴らしい時期で、丘陵の空でも、鱒釣り河川の上空でも思わず立ち尽くす程の雲のページェントに出会うのである。 数世紀前の宗教画やコンスタンブルの描いた干草小屋と牧童たちの絵画そのままの雲だ。

あまりの明るさに寝過ごしたと思って、べッドから飛びだし、時計を覗くと、まだ午前6時前。 窓ごしに外を見渡すと、朝の雲は駆け足だ。 偏光板にあてる光線のような朝の光が部屋をなおさら明るくしている。 午前3時55分が日の出の6月のイングランドであればの事で、朝食までまだ間がある。

ホテルのまわりを散策しながら朝刊を買いに町の本屋に寄り、そして羊の移動する丘陵に目を移すと、わずか数分前にあった平べったい感じの雲は姿を消して、積乱雲が上空一杯にひろがってゆく。 窓寄りのテーブルで、薄いカリカリのトーストを食べていると、さっきの積乱雲はもうなくなってまさに快晴、どこにも雲がない。 9時すぎに迎えの車にゆられて牧草の間を走ってゆくと、ひとつ先の丘陵の上に黒雲がちょっと顔をのぞかせている。 5分もたたないうちに英国ではシャワーと呼ぶ通り雨に遭遇した。

ハイライトは午後5時以後に始まる。 10時まで暮れない夏のイングランドでは、黄昏が長く続く。 太陽は西の水平線の上で沈むのを忘れていて斜光を放射している。 不思議なようだが、1日の内であんなに早く流れて変化しつづけた雲なのに午後7時をすぎる頃からは、ほとんどその動きをやめて休息にはいる。

太陽の光は雲の下から、まるでスポットライトのような効果を与えるので、立体感を増した中空の雲は彫刻のように輝いてそそり立つ。

英国の名曲のひとつに、流れる雲を素材にしたものがあり、ひと昔前にナイトブリッジ・ストリングスの演奏を聞いた事がある。 夕食を了えてのドライブの時、たまたま同じ演奏がカーラジオから流れて、英国の雲の美しさこそ百聞は一見である想いを強くした。

イギリスでは天気の予報と結果に、日照時間と降雨量があろ。 30分ごとに晴、曇り、そして雨があり、日本のように単純ではすまぬ。 雲間の日照をストップウォッチで計り続ける気象官が必要な国だ。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第19話 スローンレンジャー2010/04/22 22:21

英国王室御用達の業者や商人にとって、御用をつとめるのはほんの一部の仕事でしかなく、商売としては多くの上流社会の顧客がなくてはなりたたないし、この看板を利用して観光客など目当てのビジネスも大切である。 斜陽英国通貨が観光客を呼びこむのに成功して、近年はロンドンを始めとして英国中がアメリカなどからのビジターで賑わっている。

英国は古き伝統を愛しながらも、常に世界で一番新しいものを形成するユニークさでも知られるが、1975年、社会評論家のひとりであるピーター・ヨークが云い始めた階級に、スローン・レンジャーという層が出現し、以後、現在ではこの呼び方が上流知識階級として定着しつつある。

現在では、俗に云う爵位を持つ階級が斜陽化しており、絶対数を誇れない。 片やオックスフォードやケンブリッジを優秀な成績で卒業し、一流企業の職についた人々にとって、王室御用達の洋服屋が仕立てた背広を着用し、フォートナム・メースンの紅茶を取りよせタイムズを片手に、かつてネルソン提督の帽子を製作したロックのハットで出勤するのを愛する連中である。

なぜスーン・レンジャーの名がついたかというとこの階級の人々の居住地区からきており、その中心がスローン・スクエアだからで、ロンドンでは高級の下に属する地域である。

周辺は例の三浦なんとかさんが隠れ住んだフルハムロードやキングスロードがあり、ハロッズ百貨店も徒歩の距離。 その上、お互いに余り近所付き合いの好きな連中でないので、プライバシーが保たれる。 余談ながら、その辺を読んで隠れ住んだ三浦さんだとしたらなかなかのロンドン通である。

スローン・レンジャーは頑なに鉄則を守る。 おしゃれではあるが、ロンドンのシチーで通用するファッション以外は絶対に着用しない。 頑固なまでに流行を拒絶し、若者のパンク風俗などにはおくびにでも興味をしめさない。 それでいて、ハードロックなどの音楽には精通したふりなどすることがあるので、不思議といえば不思議。 選ぶ職業にしても、保険業、弁護士、銀行マンそしてハイテク企業の重役あたりがオックス、ブリッジの卒業なら普通で、スノッブな態度はますます高尚志向に拍車をかける。

最近、名付け親のピーター・ヨークの手になる公式スローン・レンジャー・ディクショナリーなるものがロンドンで刊行された。 従前、スローン・レンジャー・ハンドブック及びダイアリーなる本がでており、その第3弾である。 内容を一督してそのスノッブな気質とジョンブル精神に驚いたり敬服したりのものだ。

英国をいくつかに区分してその最初がロンドン。 女性のスローン・レンジャーのための店、男性の店、趣味やスポーツなどの店、水着や下着、骨董、帽子に靴下、スローン・レンジャーの最適な贈り物を揃えた店、寝具、インテリア、家庭用品、あかり、カーペット、画廊、そして食料品、レストラン、パブ、キャンディーショップなど全てを網羅してある。 勿論、偏見と独断のきわみであるが、リストされている店や業者がほとんど王室御用達であること、そして自分たちの居住区に近い郵使番号、又は、地区にある業者が選定されているあたり、彼らの持つ独特の利己主義が見られて面白い。

スローン・レンジャーたちは、2枚のダークカラーの背広を交互に、月曜日から金曜日まで勤めあげ、週末は郊外や田舎のカントリーハウスに行って、バードウォッチングやフライフィッシングで過ごすのが自分たちの階級の生活と信じきっている。

どんなに成功しても、自分の代での上流社会入りは不可能であることは判っており、大企業の社主や社長になる野望ももたないのが普通で、無関心を装っての毎日が続く。 群衆の中では出来るだけ目立たないように努めながら、おれの背広は隣を行くやつよりも上等のへンリーフール仕立てなのだ、とほくそ笑むのが趣味といえば趣味である。

スローン・レンジャーの増加は、はっきりいって貴重でもある。 王室御用達のクラスともなると価格も安くない。 また、オーダーメイドなどが多い為に、観光客もおいそれとは来てくれないし、売れるのはたいした額にはならない。 そんな状況下の今日では、スローン・レンジャーが御用達業者の一番の顧客である事は間違いない。

手元に時を同じくして、王室御用達の店を紹介したロイヤル・ショッピング・ガイドと言う本が届いた。 小生の関係する相手もリストされており、同時にスローン・レンジャーの御用達でもある。 御用を受け承る業者が広域なのに驚いたが、その中になんと煙突掃除や窓拭き職人まで網羅されている。 さすがのピーター・ヨークも彼らは紹介していない。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第18話 みんなで使える個人所有物2010/04/22 22:21

英国王室が保有する財産は莫大なもので、政府を始めとして、国の各分野でも借り入れて使われているが、その全てはとても掴みきれない。 バッキンガム宮殿をはじめとして、7ヵ所の王室が使用する居城、各地の公園などなど、不動産だけでも国家予算に匹敵するものを有す。

セントジェイムス公園の東はずれのアドミラルアーチからバッキンガムに通ずる道路、モールは、国賓の行列をはじめ、1日中通行する馬車が絶えない。 宮殿前のビクトリア女王の銅像と、これを取り巻くロータリー道路、モールの途中からペルメル通りに抜けるセントジェイムパッセージなども一般道路と同じように道路標識があり、信号機も点滅する。

ところがこれらの道路は、実は女王陸下の個人の財産であり、国民の誰でも使用できる王室所有の不動産なのである。

そもそもロンドン市は、現在では中心地の東側になってしまったが、セントポール寺院をとりまくシチーとよばれる地区をさしており、現在でもロンドン市の元標である。 現在の繁華街でもある中心地区をウエストエンドと呼称するのは、このシチーからみて南に位置するので付けられた呼び名である。

このウェストエンドからさらに西側が歴代王室の所有地であり、その面積は壮大なものだ。 しかしながら、その大部分を公園や公共物の為に王室では政府に貸している訳で、一部ではあるが賃貸料も受けとっている。

観光地としても名高いウィンザー城も、王室が一般公開しているので、旅行業者をはじめとして多くの職がなりたっている。 勿論、王室の管理部では、なにがしかの入場料金を徴収しているが、それよりも王室側がぎりぎりの線まで国民の為に立ち入りを認めているから出来る事である。

英国でも多くの爵位を持つ人々の生括は斜陽といわれ、継承した不動産などには容赦なく課税の憂き目にあう。 この為に、城の管理をナショナルトラストに委託し、自分はその城に間借りするものや、観光名所として日中入場料金を稼いで生活の足しにする。 なかには日本のTVコマーシャルにも出てくる公爵もいる程だ。

これとは反対に、個人所有物件を人に使わせたがらないのは市民の方で、以前にも述べたが、町のあちこちに点在する小公園などは必ず施錠してあり、所有者だけのものだ。 デバートの便所なども、出来るだけ客には判らないように存在するとしか思えない。

ロンドン名物の一つにバッキンガム、セントジェイムス宮殿での衛兵交代式が雨天を除き、毎日行われる。 騎馬隊、音楽隊、そして衛兵の列が兵舎である首相官邸脇から宮殿までの約1マイルをパレードするのである。 衛兵の行進はスタートしてから宮殿まで、そして完了するまでの間、女王陸下の土地以外を行進することはない。 つまり、全ては王室の不動産の中である。 国民、観光客など、このセレモニーを観覧するもの全てが、あえていうならば個人所有地に無断侵入している訳である。

日本の皇居前広場ては、商売を目的として写真を撮る事も認めないし、使用も辞さないのとは雲泥の差であり、英国王室の公開の胸襟の大きさに脱帽する。

君臨すれど統治せずの原則とはいささかずれるが、このパレードをはじめとして王室が行う行進、ましてや女王の敷地内では不文律の約東事がある。

それは、いかなる妨害も王室側は辞さないし、これを管理、取り締まるのはロンドン市である行政府と決められている。

したがって、パレードの時間が近ずくと、背高ノッポのロンドンポリスが各所に配置につき、パレード終了までのあいだ交通を遮断したり、見物客の整理にあたる。

近年観光客や通行車両の増加の為に、パレードがくる直前までこれらの流れを遮断せずに采配をふるうのはロンドンポリスの腕の見せどころといえる。

極端な話、パレード中の衛兵のほうは、道路に人がねころんでいたりしても踏みつけていくという。 また、警護中は、不動の姿勢で、語し掛けても応じない。 つまり彼らは女王の兵であり、王に対してのみ忠誠なのである。

遠くからバグパイプまじりのブラスバンドの演奏が聞こえだす頃には、道の両側は観光客であふれる。

最後のバスやタクシーなどが通行するのを見届けると同時に、黒地に白文字で書かれた看板がでる。

「私有地につき通行止め」「私有地に駐車禁止」などと。

女王陛下が国民並みに私有財産を主張する数少い例である。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第17話 公園寸描2010/04/22 22:20

田園都市といわれるロンドンを始めとして英国の主な都市では縁が多く、旅行者にとっても心がなごむ。

近代革命とともに、住宅地域や商工業地区などの線引きがなされ、公害などもあわせて実施された。 戦争、そして大火などの被害をうけたロンドンなどもこの緑化のおかげで人災を防ぐのに役立っている。

英国の人々は、土に対する愛着を非常に強く持つ人種で、長屋などでも必ず小さな裏庭をもち、花や野菜などを作って楽しむ。 ホームパーティーなどで、庭のパセリなどをサラダに節りつけ自慢するのは主婦のお家芸である。

ロンドンなどの大都市のアパートなどでは、区割りの関係などから、裏庭を設置できないケースが多くある。 この為に、隣接する道路に面して、プライベートパークと呼ぶ空間を利用してこれにあてる。 街を散歩していて垣根を巡らした庭を見かけたらこの手のもので、1~2ヵ所に入口があリ施錠してある。 10軒から20軒程度で共同保有するもので、全所有者の合意のもとに、花壇中心とか、テニスコートとか、テラス風などに作られていて、休憩の場として利用される。

公共の公園としては、女王陸下から借用した土地やロンドン市所有の数多くの公園が存在して、市民の憩いの場として提供されている。 日本の多くの公園の様に、24時間通り抜け出来るものは以外と少なく、多くの公園にはゲートがあり、夜間は閉鎖される。 管理事務所が必ずあり、パトロールや清掃が行われている。

通常は、早朝から日没を公開時間としているところが多い。 日本人の早飲み込みで、夜など涼みがてらの散歩や恋人とのランデブーは、日没閉園では不便だろうと考えるが、実は日没時間たるや日本とは大差があり、なんの不便もない。

北緯52度のロンドンが一番西に近い英国は、日本から見ると、カラフトの真ん中あたりになる。 冬は9時近くに陽が登り、午後4時前後にとばりが降りる。 逆に6月ともなると、午前3時半には夜があけ、午後10持まで黄昏が街を包むのである。

したがって、市民の散策には、現在の公園時間帯は生活に即している訳で何の不自由もない。 そのうえ、樹木が多いロンドンの公園では恋人同士のラブコールに絶好で、時間を問わない。

だいいち彼らにあっては、他人の目など眼中にないから、真昼間でも芝生の上でえんえんともつれあうし、誰も気にもとめない。 冬場の寒い公園は、そもそも恋人達には無用だ。

ハイドパークやリージェント公園などは日本の公園の規模にくらべて数倍から数10倍の広さを誇る。 各種の野外スポーツなども出来るし、乗馬なども楽しあるが、騒音について極端なまでに規制がひかれている。 プライベート公園を除いてトランジスタラジオやカセットテープレコーダーは使用禁止である。 蛇足ながらソニーのウオークマンの発明を日本以外で一番喜んだのはロンドン子ではあるまいか。 その証拠には、この規制にかかわらず、最近はイヤホーンの若者がロンドンの公園でもいっぱいである。 しかし、実に馬鹿馬鹿しいのであるが、既存のラジオやテープレコーダーだってイヤホーンで聞けた筈で、ウォークマンの時代まではそれに気ずかなかったロンドンの連中の思考にあきれる。

公園で唯一許されている騒音として、音楽隊の練習や兵役中の訓練がある。 兵舎なども、バッキンガム宮殿の衛兵などは市中にあり、教練場として平日一部を共用している。 観光客や通りすがりの人々は、あのバッキンガムやセントジェイムス宮殿の衛兵のかっこいい交代しか知らないが、時間があれば、この兵隊訓練の見物を勧めする。

ちょび鬚の兵隊違がずっこけたり、上官からしごかれる様は、ソーホーの芝居よりずっと変化に富み楽しいロンドン見物である。 スコットランドのキルトの兵隊が落馬してお尻丸出しなどが見られればなおさら可笑しい。

市民へのお返しとして、ロイヤルアーミー、ネービー、そしてエアホースの音楽隊の演奏が毎休日や土曜日の午後に各公園で行われる。 単に吹奏楽だけではなく、クラシックからワムのヒットまでレパートリーを持つ本格演奏で、全て無料。 お年寄りのためにデッキチェアまで用意される。

椅子といえば、公園にはベンチが付き物であるが、ロンドンの公園では人名を記したベンチが多い。 これはその公園を楽しんだ人々が死去すると、その遺族が故人をしのび、名を刻して公園に寄贈する慣習からきたもので、そのベンチがまた多くの人達にしばしの憩いを提供する心暖まる習慣だ。

軍楽隊の演奏を楽しむ人々の間を、フロックコートの紳士が道り抜けざまくしやみをして、ハンカチで鼻を拭いながら誰に云うともなしにエクスキューズミーといった。 英国紳士はかくのごとくと感心し、さて、くしゃみは騒音かいな?と自問自答した。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第16話 がまんくらべ2010/04/22 22:20

がまんくらべといっても家庭内のことや子供同志のことではなく、英国を斜視していると、国中で我慢くらべをしている感があって興味深い。 サッチャー政権がまずその基本で、並居る野党をけちらしながら、与党とは妥協でもなく全党一致でもなく、がまん比べの状態で党首の立場にある。

政治の党首が女性なら、この国の王も女性であるエリザベス2世が君臨中である。 表面的には女王陸下の内閣であるが、実質権限においては首相の管理下である。

女の世界には、古今東西自分が一番、のプライドがあり、白雪姫に登場してくる魔女は女性の本心の代弁といわれる。女王陛下と女首相の間にも、この辺の微妙なおしゃれについての競合があり、女王の本心は女首相を好んではいないという。

何かにつけてサッチャー首相と女王が同席する行事は多いが、タ刊紙面を中心として、このおしゃれ競争の顛末を面白おかしく報じるし、これがロンドン子のパブでの話題に拍車をかける。 さらに美人の誉れ高いアウトローレディのダイアナ妃が、このがまんくらべに近年参画してきて女王陸下の根くらべにさら拍車がかかってきた。 既におばあちゃんでもあるのに女の性はまだまだ若さと美貌の中におわす女王にとって我慢以外のなにものでもない。

前にも述べたが、英国の失業率は先進国では異常なまでの高率でここ数年推移してきている。 しかし求人広告などは、よく新聞や口入屋(英国には政府の職業安定所は無きにひとしい)に見られる状熊だし、政府では職業訓練教育を拡充して卒業後の就職斡旋をおこなっており、人口の1割もの人々が職業がないわけではない。

つまり職の無い人々は自分に合う職業がないので職に付かないという、我々からみるとジョンブルの根くらべと思えるふしが感じられる。 階級制度からみて、自分の階級に不適当と思えば率先して職にありつこうとせず、非課税で受けとれる失業保険での生活の方を選ぶ。

社会制度の高度化は給与収入に対して高率の税を課するのは日本でも同じであるが、英国の直接源泉税も社会保険税などを含めて高く、実質の収入は失業保険手当とほとんど差がないケースもあり、問題となっている。

NUM(英全国炭坑労組)のストは中止まで丸1年、この間、政府のたび重なる交渉も不調におわり一部の炭坑夫については切り崩し作戦が成功したものの、実質的解決には至っていない。 一時はリビアのカダフィー将軍が援軍についたともいわれたNUMの闘争には、不暁不屈の根くらべとみえるがいかがなものか。

日本でもそうだが、炭坑の近代化は石炭のコストや炭坑の安全管理のためにはやむをえない時代にきている。 わが国のように、深海の底から石炭を掘りだすのではなく、比較的に露天掘りなどが残る英国炭坑であっても、現況の非能率は改善せざるをえない状態なのである。

かの英国の有名紙タイムスも長期にわたるストライキをおこない、崩壊寸前になったことがある。 数年前にやっと復刊したが、いまだに当持のきなくささが残り、ことごどく煙がたつ。

英国の特徴として、ストライキの長期化は最初の主旨よりもがまん比べ、意地くらべとなるのが標準パターンなので、状況が我慢くらべに入ったなと感じる頃、実に見事に支援団体や市民の応援をかちとる事で、その為に警察との争いが激化するので困る。 本来の主張とは別の感情も刺激するさまは、IRAと英国の闘争もそうで、市民の支援参加が争いをかきたてている感がある。

1984年の早春、スコットランドを訪れた。 春とは名のみで、まだ雪が残る渓谷は旅行者にとってきつい。 カレドニアの神水……ウイスキーを片手に暖炉の火で心身を温めたいと思うのは当然の成り行きである。 ところが、わが旅籠ににはウイスキーはあったが、楽しみにしていた暖炉は炭坑ストの為に石炭が配達されず、薪がちょろちょろ燃えているだけで寒いことおびただしい。

同道してくれた友人が、これではかぜをひいてしまうと自宅に招待してくれたので、電気ヒーターのあかあかとした部屋で一夕を過ごした。 彼の説明によると、家庭の暖炉を自宅やホテルに備えている階級、つまり中流階級が我慢くらべ愛好家で、炭坑ストを支援しているのだという。 古きを大切にするのはよいのだが、暖炉で石炭を燃やして過ごすのがひとつのステータスシンボルと信じている連中には、スイッチひとつで暖かくなる石油ヒーターが嫌いなのだと。

ロンドンの規制区域などを除いて、貧乏人や下流階級が、セントラルヒーティングや電気ヒーターを導入しているが、右述の事情なども手伝って、石炭は英国の中流階級ではいまだに必須なのであり、炭坑労組を支援するのも、自分の階級やステータスシンボルの保持の為となると、これはもう我慢くらべも立派なナショナリズムではないか。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第15話 コインサイズとズボンのポケット2010/04/22 22:19

普段チップの習慣のない極東のはずれに暮らしている人間にとって、国が発行する貨幣にたいして、あまリサイズなどには関心を持たないでいるが、英国の様にチップを切り離しては生活出来ない国民は、貨幣のサイズは大変重要な事柄である。

近年世界通貨の価値変動がはげしいので、チップの金額は変ってきているのであるが、英国においてのチップコインは、長い間2シリング貨であった。

これは十進法に改定されてからは10ペンスになったが、チップコインとして引続き愛用されている。

サイズは東京オリンピックの時に日本政府が発行した1000円コインとほぼ同じで、アメリカではケネディーコイン(50セント貨)がこれにあたるサイズと同じである。 日本人から見るとなんとも重いものが、現在の価値にして英10ペンスは日本円の30円弱に相当する。

渡英して、ホテルのドアボーイに1枚、べルボーイに1枚などと、1日に最低10枚程度の10ペンスコインがポケットを出たり入ったりする。

英国政府では、近年、新しい20ペンスと1ポンドの貨幣を発行したが、これが国民から総スカンにあっている。 20ペンスが小型軽量化し、1ポンドは新たにデザインしたもので、サイフに入れても軽いし、ハンディーなのでポケットの中でもかさばらないのだが。

ところが、市民としては別の理由からどうしても受け入れられぬのである。 新20ペンスは軽すぎて、チップとして接受する際に有難味がうすれるというのだ。

受けとる側でも手の平に載った瞬間に、その金額を感知する必要があり、いちいち手のなかを一瞥してからサンキューを発するのはプロの威信にかかわる問題なのである。

差し出す側にたって考察すれば、わずかなチップをわたすのに、手の中で確認してからなどは紳士としての態度にきずが付く。 さりげなく渡す技術こそ一流紳士の作法などというキザ精神からポケットの中に手を入れてコインをさぐり出す。 ところが20ペンスは小さすぎて、ポケットの奥に鎮座してしまい、スマートさに支障をきたすのである。

英国で背広を買いもとめると、その仕上げのすばらしさに、やはり本場はと思ったのは昔のことで、近年では輪入物が氾濫しており、ある程度の金額をださないと日本の既成服よりひどいものもある。 勿論、有名ブランド物は格段の差があるが、紳士物に関して最大のびっくりは、ズボンの両側のポケットが安物をふくめて実に丈夫に出来ていて、日本製品とは段違いである事だ。

ちょっとしたものでも、ポケットの袋の部分については二重縫いをほどこしてあり、その上、千鳥がけがしてある。 さらに、ほかの部分のポケットにくらべて大さく出来ており、ポケットの中で手が動かせる様になっている。 つまり、チップ収納ポケットなのである。

日本語に懐手という言葉があるが、西洋ではズボンのポケットに手を入れるのはチップの準備なのである。 重い10ペンスコインを20枚程度入れても、壊れたり、ほころびたりしないズボンのポケットが、検査標準といわれるマーク&スペンサーの製品管理も、実はチップに由来していると思うと何ともおかしい。

ジーパンも同じで、小型ながら英国製で海水パンツのポケットまで同思考である。 紳士が片手で自慢の鬚をなでながら、ホテルの門の前で反対の手でボーイに渡すチップコインをさがしている姿を想像したら、威厳があるほどユーモラスてある。

ポケットが丈夫である為か、掴みやすい10ペンス貨になごりおしいのかは知らぬが、さらに当分の間、英国では重たいコインをポケットに、の生活が続く。 さらに驚ろかされることは、いまだに2シリング貨幣が健在で市中に流通している。 既にペンス制度になって10年余も経過しているのに、堂々と旧貨幣が使われているところを見ると、単にチップコインとしてよりも、国民に深く染み込んだ貨幣なのであろう。

ポンド通貨の凋落はひどい状況にあるが、英国政府は1ポンド紙幣から1ポンド貨幣への転換を聞始している。 ところが20ペンスの不評を知っているので、あまり軽量にせずに重みを持たせた。 結果として、貨幣が厚くなったり溝をつけたり、文字を彫りこんだりの労作となった。

はたまた、市民のパブでの話題として、新1ポンドにブーイングが登場してくる。 なんとその大半はコインが大きいとの文句だ。 重い10ペンスについてはなにも言わないのに、それより小さい1ポンドは気にいらないのである。

英国人のユーモアなのか、小言好きなのかは判断できないが、それ以外の理由に、新1ポンド貨は落しやすい、ネジ廻しにも使えない役立たず、ころがり易い等等、他国の人間が聞くと、英国人とはなんとものすごい冗談を言う国民と感じてしまう。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第14話 やぶにらみタクシー事情2010/04/22 22:17

馬車の時代から全ての作法を踏襲したと思われる点がロンドンのタクシーに現存していて、客室とドライバーの間には仕切がある。

勿論、馬車時代とは異なり、御者とて運転席という屋根付きのものであるが、日本やアメリカのタクシー運転手の様に背もたれをはさんで客にむかってタバコの火をせがんだりする事は間違ってもない。

極度に制限された運転席と荷物スペースのための助手席(当然ながら椅子は無い)のほかは全て客室にあてられた箱型キャビンで設計されたロンドンのタクシーは、過去30年にわたり変更されていない。 前後に向かいあう5座席で、シルクハットを着用したまま坐れる高さだ。 暖房器の調整ボタン、客室ライトなどは乗客が操作し快適にすごす様になっている。 ガラスの仕切りにより、ほとんど客室の声は運転手には届かないし、こちらからガラスをあけて話しかけない限り目的地に向ってひた走る。 無論、運転手も好き勝手に鼻歌を歌うのもいるし、競馬中離のラジオを楽しむのもいるが、客室には届かない。

日本のタクシーは乗り込んでから行き先を云うが、英国ではこれをやると一種の不法侵入となり、理由の類如何を問わずまずタクシーから断られる。 つまり客の立場とは運転手との輪送契約の締結後に成立する訳で、運転手の了承の後でないと無断侵入となる。 この辺も馬車時代の作法が生きていて、まずタクシーを掴まえたら行き先を告げて、OKがでてから乗車する。 これは単に運転手との約束ではなく、労働協約とか乗車拒否権利の履行などが彼らにある為で、遠距離の乗客ほど嫌われる。 つまり彼らの商売の範囲をこえてのサービスは他地域の同業者の迷惑となり、又、営業妨害ともなりかねないからである。

ロンドンのタクシーで有名な事は、住所を云えば、門前まで確実に送り届けてくれるといわれるが、確かに自分の営業範囲についてはその通りだ。 しかし営業地域外となると、逆にかいもく知らずが多いのも事実だ。

これは営業範囲については厳格なテストがあり、タクシードライバーのライセンスを取得するのに平均でも3年以上の教習が必要で大人の大試練と云える。 取得すれば今度は車両の購入などが待っており、資金的にもある程度ゆとりがないとタクシー運転手にはなれない。

平均してロンドンのタクシードライバーは中流の収入を得ており、生活も中流といわれ、どこかの国に見られる様な雲助ドライバーが居ない。

ここ10年来ロンドンのタクシードライバーはユダヤ人が増えてきている。 金儲けにかけては世界でも有数の民族であるが、同族意識が強い彼らは個人タクシー中心できたタクシー業界を会社組織化したり、無線を装備したラジオキャブなどを誕生させて次第に巨大産業にしつつある。

ロンドンのタクシーには実にユニークな特権を,警視庁が与えている。 目の前から乗り込み、目的地の目前で下車出来るのがタクシーの定義だから、ごく一部の場所以外何処でも停車及び短時間の駐車が認められている。 であるから、道路の真ん中でタクシーを止めても警官から咎められることは無い。 また、一方通行道路を除外してどこでもUターンをすることが可能。 したがって、タクシーの車両はほとんど車体の2倍のスペースがあればUターン出来る様に前輪が設計されており、簡単に小回りしてしまう。 ロンドンでは逆方向に流している空車でも簡単に呼び止めることが出来る訳だ。

タクシーは黒一色ときまっていたが、最近は赤、白、紺、緑など、さまざまな配色のタクシーが増えてきている。 また、車内の補助席の裏にひっそりと出ていた広告が、最近では運転席の仕切板にまで進出してきており、さらには外側車体にまで見られる。 ロンドンのバスの広告は有名だが、タクシーも動く広告塔になりつつある。 ユダヤ商法の順当手段とも言えよう。

ごぞんじの通りユダヤ人にはクリスマスは無い。 彼らの新年は別の時期で9月未頃にある。 毎年この日になるとロンドンの街のタクシーが半減してしまい、とてもタクシーを拾えない。 最近では市民も承知してきて、ユダヤの休日をタクシーホリディーなどと呼称する程だ。 逆に本当のクリスマスにはユダヤ軍団のタクシーはフルに稼働する。 クリスマス前夜からクリスマスの翌日の休日ボクシングディーの間は、タクシー料金は倍額となるからだ。 その上、ロンドン交通局の運営となる2階建てバスも地下鉄も休んでしまうから客ばかり増える。 結果として、2倍の儲けのほかに、チップ収入も多額にのぼるのを彼らは承知の上だ。

いずれにせよ、ロンドンのタクシーは便利で信頼がおけ、市民の足となっているが、市民だけではなく、国会議員にとっても重要な足だ。 日本の様に高額な歳費の無い英国下院議員は、その中でも大顧客で、議会の終了と共にビックベンの脇の通用門のタクシー呼び込みランプが一斉に点灯する。 流しのタクシーはこの合図で議事堂に参集して、議員諸公を夜の町へ送り届けるのである。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第13話 骨董の価格と価値観2010/04/22 22:17

ヨーロッパに出かけて誰でもが興味を持つものの一つに露天市場がある。 英国の首都ロンドンでもこの青空市場が各地にあり賑わっている。 これらの市場は、まずヒッピーやパンクの連中のもの。 多少インチキ臭い名画や似顔絵かきと絵葉書の写し書きに類する絵画、日用雑貨品と食品、そして骨董品を中心としたアンティックマーケットが主流といえる。

まず、ヒッピーやパンクの品々については、その手の人には興味があろうが、一般には用がない。 絵画のたぐいはアメリカ人向けで、日本人や地元の人々にはあまり必要ではない。 それに比べるとアンティックマーケットは、いつも地元の人をふくめて実に熱狂的でその上、おいそれと買わないのでごったがえす。

日本でも京都の東寺の市がよく知られているが、売られている商品を見るとロンドンの方が格段と種類が多いし楽しめる。 上物になると何万ポンドという宝石に始まって、キリとなるとまるでゴミ函から持ってきた様なマッチの空箱までがところ狭しと並べられる。

江戸落語の「道具屋」で売られているたぐいの物も揃っていて、故事来歴が東洋と西洋を置きかえただけなのも面自い。

つまり、骨董屋の親父に質問すると、事細かにクレオパトラの従者が使用していた、だちょうの羽根風扇や、ヘンリー3世の薬箱などが出てくる。 洋銀の製品ともなると、純度、製造年、製造地などが刻印されており、いつの時代のものかを判別出来る様になっているが、露天の親父の手にかかると、ひとつの灰皿が色々な人の所有品になったりして、時間のたつのが気がつかぬ程だ。

数10年前のものと思われる日本の深川製陶の皿などは庶民の骨董として珍重されていて、市場に必ず並べられている。 皿の絵などが適当にかすれていて、なんとなく時代を感じさせるものであれば25~30ポンドの値がつく。 戦前にはよく歳末になると近所の酒屋あたりでくれた徳利で、底に三河屋などと書いてあるものが100ポンドて売られていたのに驚いたりもする。

英国のトワイニング紅茶といえば、日本でもよく知られた銘柄で、商品の中で陶器製のポットに入っているものがある。 随分前の事だが、さる友人からこのポットを土産にと頂いた事があった。 貰ってみたもののたかが紅茶の入れ物であり、勿論紅茶も入っていない。 なんとも馬鹿にされた気持でしぶしぶ持ちかえった。

後日、当人からポットについて、実はあのポットはトワイニング社がある年ほとんど製造出来なかったために、骨董市場においてはトワイニングの限定ポットとして評価され、アンティーク価格が設定されており、普通のポットとちがうという事であった。 たかが紅茶ポットされど紅茶ポットという訳で、英国のもっている骨董にたいしての評価の目を知ったのである。

日本では古物商組合を中心として、業者間で取引するのが通常で、一般のひとがセリに参加出来ないのが普通であるが、英国ではこのセリを商売とした企業があり、誰でも入札に参加が可能である。 クリスティーやサザビーなどは世界中に知られる骨董のセリを連日行っている。

先日も、天皇陛下からウインザー公に昔贈呈された日本の飾りダンスが2億円あまりで落札されたが、これも個人で入札に参加した1アメリカ人が買ったものだ。

古物だから新品より安いと考えるとえらい目にあうのも西洋の骨董で、例えばハンフリー・ボガードが着用したレインコートとコロンボ警部のコートでは、それが同じバーバリーの物であっても中古価格と価値が異なる。 つまり、作られたレーンコートの数、デザインなどを勘案してオリジナリティーを探求した上で骨董としての価値の設定がおこなわれて行くのである。 勿論、全部の骨董がそうではないが、彼らの目ききには相当の知識を持つ人もいる程だ。

過日、英国の古いリールを頼まれて知人につてを求めた。 新品が100ポンドもせずに買えるものなので法外な骨童価格など眼中に無かった。 しばらくしてから返事が来て、品物は見つかったが、本当に買ってもよいのかとの確認を求められた。 なんと驚いたことに4500ポンド。 たった1個の中古リールがである。 さらに追いうちで3日以内に返事をという。 他にも買手が待っているとの事。 比べたくはないが国産車1台と同値ではと、やむなく引き下がった。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第12話 ミルク ミルク ミルク2010/04/22 22:15

英国人は、平均で日本人の約7~8倍のビールを年間に消費するが、ミルクについても相当な量を飲む人種で、英国人は他のヨーロッパの人々と比べてもミルク臭い。 実際若い女性とすれちがう時など、そこはかとなくミルクの匂いが感じられる。

有名な英国の飲物である紅茶はインドからの渡来物であるが、今では英国のものとして知られている。 ブレンドの技術の優れた技術は、英国紅茶として定着してすでに長い歴史を持つまてに至っているのは周知の事である。

日本で喫茶店などの主流はレモンティーであって、ミルクティーについては特にオーダーの際にいわないとレモンティーが当然のようにサービスされる。 これが英国ではティーといえばミルクと紅茶の組み合わせであって、それも日本式に、おちょこに半分ぐらいの量のミルクとは訳が違う。

英国での紅茶の本格的な分量とは、あつあつの紅茶と同量のホットミルク、そして同量の熱湯の3つのポットで供されるのが普通。 各自の好みに合わせて調合する。 熱湯は紅茶が濃すぎた時に薄める為で、たっぷりとミルクを入れる。 さらに、お茶につき物のビスケットにも高比率のミルクが含有されている。 日本などにくらべると脂肪率も高く、ミルクとして換算すると10枚のビスケットに牛乳瓶1本分ぐらいの濃度をもつものもある。

英国では朝食にも紅茶を飲む、と多くの人が思っているが、実はコーヒーの方が多いのが普通であるが、この朝メシの前にベッドの中で目ざましとして紅茶を飲む。

そして10時と3時のティータイム、特に正式には3時のお茶をアフターヌーン・ティーと呼んで、キュウリのサンドイッチなどを添えて楽しむ。 さらに昼食や夕食などでデザートを頼むと、ケーキ、パイ、フルーツサラダに至るまでなみなみとミルクをかけて出される。 つまり全部牛乳漬けになる。

フォートナム・メイスンとかハロッズ百貨店の食品売り場などでは勿論だが、町かどのスーパーマーケットでも最低20種類以上のミルクがデイリーフードとして並んでいるのは壮観で、低脂肪のものから未脱脂の製品、乳児用からダイエット専用ミルク、パッケージもさまざまでその上、保存可能期間が半年近いものまである。

毎年、英国の中心、シェークスピアの生地として知られるストラットフォード・アポン・エイボンの郊外で、ロイヤルショーと呼ぶ催物がある。 正式には英国農業まつりとでも云った方が正しいのであるが、酪農器具、農業機器、農作物などが展示販売され、各種の行事が行われている。

ロイヤルショーと名がついている様に、期間中の1日、女王陸下を始めとして王室一家もおいでになる。

英国は全土の81%が耕作可能の土地を持つきわめて恵まれた国土を有する。 高い山などは少なく、これもスコットランドやウェールズ地方に限られており、イングランドはどこまでも丘陵が続くグリーンスリーブスである。 この為に多くの国土を酪農に利用して家畜の放牧が行われている。 結果としてミルクも際限なく生産されている訳である。

酪農というと日本人が想像するのは、まず北欧4ヵ国。 次にはオランダとスイスといった所で、イギリスをあげる人は少ない。 たとえばチーズであるが、英国産のチーズはその種類の多さや生産量から見ても、北欧とひけをとらないミルク王国なのでわる。

立憲君主国は日本でもそうだが、王室や皇室が存在しており、国家予算として維持の費用が支払われる。 金銭による予算は勿論のことであるが、税金の免除や特典を与えられている。

英国王室には現在285万英ポンド相当額が王室費用として計上されているほか、500万英ポンド相当額の王室所有7城の維持費、さらに総予算950万英ポンドの範囲において王室専用航空機、専用列車、王室用ヨット(勘違いされるといけないので記すが、総トン数が万クラスの超豪華客船の事であって、日本人が考えるヨットとは程遠い)の管理費がある。

英国王室はこれらの政府予算の他に、膨大な土地をはじめとして財産を保有しており、これらの賃貸による収入がある。 下世話な話だが、女王陸下が所有する競争馬も多く、競馬の収入も別途にある。

年貢時代の名残りかもしれないが、これらの予算の他に、実は英国王室に次の2点が現存していて面自い。 1000リットルのミルクと1トンのオートミルがそれで、必ず国家予算組の際に合わせて計上されるのである。(荒井利治)

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