英国やぶにらみ第31話 屋号、表札、住居表示2010/04/22 23:17

引越の準備の経験は多くの人が持っているが、日本では家財の整理を了えると最後の仕事として表礼を入口に掲げ、やれやれと一息いれる。 日本とは異り英国では、家具付きのアパートやフラット、一軒屋に移転することも多いので、衣類や日用品だけを持って、さっさと引越をすます例もある。 日本の団地のような高層住宅は少なく、日本人と英国人の共通の希望は、猫のひたい程でも庭が欲しいと思うことでかたずけが終ると、早速バラや露地野菜の種を蒔く。

彼らの様子を見ていると、日本のように表礼を準備する気配がなく、その代り長屋では庭や通りに面したウィンドに懸けるカーテンを買う為に、夫帰揃ってデパートなどに出かける事だ。 あれこれ品定めの後、好みのカーテンを購入し、ウインドを飾ると引越は完了となる。 酔って帰った亭主族は、自分で選んだカーテンで我が家を判別する。

次に準備するのは、よほどの貧乏でなければ新しい便箋と封筒である。 ロンドンの有名な文具店で名入りのセットが注文出来れは最高。 ところが出来上がったセットを見ると、住所と電話番号が印刷されているが名前はない。 折角印刷しているのにこれでは手落ちではないか、といぶかるのであるが、その辺が我々と思考感覚がまるで違うのである。 さらに、封筒にいたっては、まったくの無地で、シャレている点は便箋と同じ紙を使って仕上げてある事。 また、ひっそりと裏側に紋章などを刷りこむ事もあるが、住所などの表記はない。

ロンドンなどの都会の片偶のアパートなどに居を構える一般人には使われていないが、ちょっと郊外などに住む人の住所となると、番地の前に不思議な名称が1行書かれている。 これがまともなものばかりではなく、時には「暗夜のカラス亭」とか「とうなすの館」などといった類のものまで存在する。 つまり、日本で「仁左工門」とか「峠酒屋」などと昔呼称した屋号に相当するもので、英国ではいまだに郊外では番地より通りが良いのである。

英国ばかりではないが、欧州では各自のプライバシーをまもる手段として、自分の居場所は、不必要には他人に教えない。 自分の所在は、関係のある人々、友人、そして銀行などに知らせておけばよいのであって、不特定に知られたくないのである。 ロンドンのタクシーが番地と通りの名をいえば、確実にその門前まで行ってくれるが、郵便などについても番地がきちんと書かれていれば確実に届くのは、番地と屋号優先制度のなせるわざで、局側としては宛先人は二の次であり、棲む方の人間は変わるが、番地と建物の屋号は変らないからだ。 番地不完全郵便物は局保管で、一定期間名宛人が局内に掲示されるが、局側から日本のように名宛人を捜さない。

屋号と番地入りの便箋で引越の案内を受けとると、そこに書かれた文面と署名で、誰がどこに移転したのか関係者はすぐに判るのだから、氏名の印刷は不要で、かつプライバシーが守れる。 封筒に差出人の表示がないのは、保安上の問題と、相手にちょっぴり誰からの手紙かしらと思わせるエスプリと思われる。

日本人とは異なり個人小切手を多用する英国ては、商店などへの支払いを郵便で送達することが多い。 少額なので書留などにはいちいちしない。 名宛人式なので一応は安全だが、郵送途上での詐取の危険もあり、有名になればなるほど差出し元は、他人に知られない方が安全策なのである。 思わぬ嬉しい便り、封筒を開ける瞬間の興奮、手紙好きの英国の人々の小さな楽しみは、長い年月の経験から、封書の表記をプレーンにしていったようである。

受話器の向こうでツー、ツーと相手を呼出している。 相手が受話器をはずす音とともに、英国ではモシモシもいわずに自分の電話番号、住所の番地または屋号を云って電話をうける。 けっして会社や団体以外では自分の名前を先には云わないのが普通である。 したがって、自分に関係のない相手や不都合の際は、本人が堂々と居留守を便える。

こんな状況だから、65番地の人が69番地の家に誰が住んでいるのか知らないケースがよくある。 とくに中産階級クラスの都会では、前述のとおり、小さな庭付きに住んでいると、鍵つきの共同庭を使う事もないので隣人との付き合いがない。 新聞などの宅配も少ないので、一人住まいの人が寂しく死に至っても、長い間誰にも判らなかったなどというニュースにも出会う。

新宿付近のマンションに住んでいると聞いてある英国人が、この日本人はどのくらいの富豪かと、おそるおそる訪ねたら、6量2部屋だったという話があるが、英国でのマンションクラスともなると、門を入って芝生の丘陵を越え、池の鴨に見惚れながら車寄せに着く。 執事の出迎えをうけ、30余室のひとつで一服していると、主人がガウンの前をなおしながら、飲み物をすすめてくれる。

これほどの屋敷でも表礼ひとつ無く、名付けられた屋号が「三羽の自鳥邸」などといった案配で、自らマンションなどとは名乗らない。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第30話 女王陛下の……2010/04/22 22:48

王制をしく英国では、日本の宮内庁が設定している御用達と同様の制度があり、歴代のロイヤルファミリーが幅広く指定している。 まずエリザベス女王、エジンバラ公、女王陛下の母君、チャールズ皇太子がそれぞれ各分野で任命される。 昔は王家のファミリー全てが御用達の指定が出来たが、現在では正式に業者ご用指定はこの4名で、女王の姉妹とか子供は指名していない。 ダイアナ妃も同様で、チャールズ皇太子の指定業者を中心に利用されていて、個別指定は出来ない。

呼称ながら、英国では全ての公官庁は女王陛下の何がしと云う。 つまり陛下の政府とか陛下の省庁で、ロンドンに着いて最初にパスポートを確認するのは女王陛下の法務省所轄で、荷物の検査は女王陛下の税関である。

日本にある英国大使館からの手紙などにも、名称は陛下の大使館と印刷されている。 実在していると感違いしそうな程有名な007ことジェームス・ボンドも、英文の著書では、全て陛下の007と記されている。

さて、英国の御用達では、納入する種別により業者が指定される。 日本では宮内庁御用達の看板はあまり効力が無くなったのか、近年、あまり積極的に業者は宜伝していないし、また、宮内庁でも広告などに使用する事はいやがる様だ。 この点英国では、御用達の指定は名誉であると共に、商業宜伝などにフルに活用してよい事になっているので、当該御用達の商品には、王室ファミリー個々の紋章を印刷したり刻印出来、全ての人々が同じ商品を購入してよい。 ただし日本と違うところは、宮内庁のように不特定ではなく、あくまで個人であり、陛下などが逝去されると同時にこの権利は失効してしまう。 また、皇太子が王様になれば、その段階で皇太子御用達は終了し、新たに王からの指定を受けることになる。

英国では、女王陛下が、いうなれば家付きなので、エジンバラ公に比べると数倍の業者を御用達として指定している。 カーペットから家具、台所用品、風呂場に便所、庭園具などの住については全て主人である女王陛下の指定範囲となり、トイレットペーパーまでが女王陛下の紋章を印刷出来る対象である。

さらにカーペットの選択、御用達銀行、時計の修理、クリーニング、写真家、ペンキ屋にはじまる宮殿の保守・管理に関するものも、そのほとんどが女王陸下から指定を受ける。 ほかには2社の煙突掃除会社も勿論含まれる。 女王陛下の煙突掃除といえばハクがつくのかしら?。

衣については、各自が異なる業者を指定するケースも多く、男性と女性の違いもあり、実に多様化していて面白い。 床屋に始まり、パジャマまで業者があるエジンバラ公などの男性用、香水から宝石、妊婦服、そして下着類までの女王用、と限りない程である。

乗馬を始めとして、スポーツ一家の英王室では、釣り具、銃砲、テニスなどの運動用具は、歴代の王室ファミリーからの指定。 中には乗馬服を300年余にわたり納めているロンドンのテーラーも含まれ、この店の中は紋章だらけ。

食の分野となると、御用達の肉屋を筆頭に、紅茶、コーヒー、ビスケット、野菜類、チーズなどの食糧、タバコに酒類、そして忘れてならないものにマッチと爪楊枝の業者といった案配。 その指定範囲のあまりの広さと、人間とはかくも多面と関係があるのかと驚ろかされる。

一国のトップとして君臨する為に多くの外交や交流があり、その為の各種の接待が付随する。 宮殿で催される晩餐会の盛り花を御用達としている者もいるし、その場で演奏される音楽の為のピアノの調律師も歴代指定されている。 勿論、贈り物取り揃え業者も存在している。

変り種として、第一次世界大戦後から戦没兵士の墓にポピーの造花を棒げる風習が生れたが、この為に王室では造花製造業者を御用達にし、今日に至っている。 また、クリスマス用品については、通常の指定業者のほかにクリスマス専用の用品業者が用意されている。

以前にも書いたが、国家予算に計上されるミルクと粥材料の納入専門業者がいるが、これはヴィクトリア女王が設定したもので、その頃から質素をむねとした女王が、贅沢をいましめる意味から、特に朝食用の材料に限り、御用達業者を分離している為とも云われる。 この為にデイリーフードであるソーセージ、マーマレード、パン、バター、蜂蜜、そして鶏卵は、それぞれ御用達業者が別で、この指定制度はエリザベス時代も踏襲されている。

毎年ロンドンにおいて、女王主催の園遊会が開かれ、各界の人々が招待される。 その中に御用達業者も交代で招かれ、女王から丁重なお礼がある。 さらに御用達の業者だけの組織があり、時に応じてパーティーなどを催して意見交換や懇親を図っている。 御用達は約99%英国の業者であるが、唯ひとつ、あまり英国国民が好きでない国のフランスからの輸入品がある。 ブランデーとワインがそれで、この2種のラベルに英国王室のマークが堂々と表示されるのがジョンブル魂としてはなんとも腹立たしい事なのである。 しかし、世界の上流階級や国賓を迎えてのパーティーに自国製のワインともいかず、女王陸下のブランデーはその地位が変らない。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第29話 逆説的安全旅行2010/04/22 22:48

先般、ロンドンのヒースロー空港で、日本人のトランクを専門にねらった窃盗犯のグループが、約70人逮捕された新聞記事を見掛けたが、さようにまで日本人がねらわれる原因はなにか。 年間400万人以上の海外旅行者がいるのであるから研究してよいのではないか。

まず一番にあげられるのが同一スタイル、同一サイズのトランクである。 色こそ違っていても、空港でも判別がしにくいものが多く、自分のトランクを捜し回る日本人が目につく。 その上始末におえないのが、団体旅行に見られるグループツアー会社のドでかい名礼である。 本来ツアー会社が、自分の受持つ団体の荷物の認識の為に付けているのであるが、窃盗する側にすれば、これは盗み易いトランクの目印でもある。

日本の成田空港は設備最新で、荷物を返すベルトコンベアーの距離が短い点で最高。 中間で積みかえなどの必要がなく、人為による中間窃取が出来ない。 しかし、ロンドン・ヒースローの様な拡張、拡張の繰返しで肥大したターミナルでは、航空機から下ろしてから、何度もベルトコンベアーを中継して乗客の待つロビーに出てくる。 その為に中継地点では安易に、グループ化した窃盗犯の暗躍を許す事に繋がっている。

薄暗いベルトコンベアーに乗って運ばれてくる多くの荷物の中で、金目のトランクとして検知しやすいのは、当然大きい名礼と鍵のしっかり付いた日本人の荷物で、最大の目標となるのは当然。 彼らは、日本人が鍵と錠に対して異常なまでに信頼を托していて、貴重品や現金までトランクに入れてしまう弱点を先刻承知で、連中にかかれば電子ロックでも平気で解錠してしまう。

元来、欧米の人々が旅具に施錠するのは、蓋が開かない様にする事と、私物にさわるなといった意思表示でしかなく、錠を信頼していない。

東京新橋にあるホリ鍵店の権威の言だが、日本人ほど錠と鍵の区別が出来ない民族は世界で珍しいそうだ。 ちょっとした錠ひとつに全幅の信頼をおいて安全と思い込む。 しかし錠と鍵は開かなければ意味がない事に、以外と無頓着だそうだ。

過去10余年にわたり、ヒースロー空港に幾度となく世話になっているが、この間、一度も盗難や航空会社に預けた荷物で被害を受けた経験はないが、若干逆手を取った工夫をして、窃盗にあわない方法をとっている。

まず、絶対にハードトランクを使わない。 素材の柔らかいソフトトランクを利用する。 邦人でソフト利用者は少なく、万一荷抜きなどがあればふくらみなどが変わるので、地上職員に即刻通報出来る。

ジャルパックなどの団体旅行らしき名札は全て除去し、逆に空港で手に入る2~3社の航空会社名だけのタグをハンドルなどに付けて、回数旅行者の荷物と印象ずけをする。 錠は出来るだけ付けないで、カバンにある簡易錠前程度しかしない。 間違ってもトランク業者が推薦するベルトなど別につけてはいけない。 預ける荷物は、できれば日本製以外のものを使うと被害が少ない様で、ツルのマークや日章旗のシールなどはダメ。 さらに予防として、ハワイやグアムのシールを貼って英国入りはやめた方が得策。 英国のドロボーは、一目で日本人の旅具と判別する。 ハワイの米国人はJALではこない。

絶対多数として団体旅行人数が多い日本の現状を直視する時、ツアー会社は新しい識別手段を配慮すべきで、即刻、マーク入りの名札ケースはやめてほしいし、添乗員は、不用の際は出来る限り名札をトランクなどからはずす事期を指導すべきではないか。

最近ではロンドンなどでもさすがにJALのマークのショルダーバッグを背員った一団に出会わなくなってきているが、ホテルのロビーでも、店のショーケースの上でも、日本人はやたら手荷物を置いたまま悠然としている。 さらにバッグのチャックが開いたままの風景をよく見掛けるが、なんど教えても直らない。

ルックやジャルパックのバッジをやたら胸につけ、両手に買物袋で、チャックを開けたままでは泥棒を誘発するはずで、日本語だけで海外旅行が出来る制度が定着してきて、ピカデリーを歩いていても用心は筑波万博と同じ感覚とはなさけない。

ロンドンではターミナル駅がそれぞれの目的地向けに別れている。 地方からロンドンにつくとまず、タクシーの世話になるケースが普通で、乗り場は行列となる。 どこからくるのか悪ガキが数人、必ず行列の先頭付近にたむろしていて、タクシーに乗り込むひとの荷物を持ってやったり、ドアを開閉してなにがしかのチップを得ている。 よく見ているとこの連中、全部の人々に同じ様にはしておらず、チップを呉れそうな客をボスらしきガキが選別している。

イギリス人にはまず何もしないが、スコットランドあたりからの田舎者と判るとサービス開始、日本人や韓国人、そして子供連れなどは絶好のカモで、チップが確実らしい。 反対に米国人と中国人は以外とケチと判別してか、米国からの旅行者とみると、よそ見などして知らんふり。 次第に小生の順番が近ずき、ボスガキがカバンを一瞥して子分によそ見を指示した。 カバンには英国航空以外の名礼はなく、ロンドン在住の中国人と聞違えられたらしい。

逆説めくが、今や日本人に見られないことが安全の秘訣?。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第28話 週休三日制?の効用2010/04/22 22:46

日本人相手のロンドンの土産物屋とか、繁華街の一部と駅のキオスク以外、店舗やデパートそしてスーパーマーケットまで、日曜日は全部休んでしまう英国では、一般の主婦ならともかく、サラリーマンなどは、普通真面目に働いていてはショッピングは出来ない事になる。

地方の工場などは、この為に始業を7時30分、終業時間を3時30分として、6時におわるスーパーへの買物時間を見込んでいるケースも多い。 女性も多く就労している現状から、大変合理的と云える。 しかし、ロンドンなどの大都会ともなると、就業時間を勝手に変更も出来ないので、社員同士で時間をやりくりしたり、昼食時間にショッピングを組み込んだりしている様だ。

過去の実績を調べてみて面白い事に気付いた。 英国では対人関係の面談の手段として必ず事前に約束を取り、当日秘書に確認させて会見となるのが普通であるが、月、火、水の3日間が断然多いのである。 マネージャークラスとの約束は木曜日でもなんとかなるが、偉いさんとの木、金曜日のアポイントメントを取り付ける事は至難のわざである。

感ぐるに、英国式では週明けの3日間に1週間の面談をすませ、木曜日には書類の整理などに費やして、夕方早めに仕事を切りあげてデパートなどに買物にでかけるのがノーマルスタイル。 この日に限って大手のデパートや商店は、終業時刻を夜7時か8時迄延長するからである。

金曜日ともなると、重役連中は大事がなければ秘書と連絡を取るだけで、郊外の別荘にカントリージャケットを1着、さっさと出かけてしまう。 ロールスロイスは一斉に郊外をめざすのである。 中堅幹部も仕事は上の空、ストックマーケットがはねる時刻までには夕食のテーブルの予約をすませ、ツバをつけた秘書のお尻を想像するだけとなるから、東洋の野郎との面談など論外だ。

地方から来た連中も、月火水をロンドンのホテルで過ごし、仕事を了えると脱兎のごとくロンドンをあとにする。 列車の揺れに身をまかせ、出張費の計算が終れば、あとはワインに酔いながらのご帰還である。 駅前に止めておいた車を確認して、見る度にそろそろ買換えなければと一瞬思ったりしながら、酒酔運転で家路につくのが木曜日の夜というもの。

したがって、ロンドンを始めとして英国の主要都市では、木金土日のホテル客数が月火水といちじるしく変化をきたす。 週明け満員だったホテルも、木曜日となるとガラガラという訳だ。

商売である以上、ホテルとしても客を確保したいのは当然で、ビジネスマン以外を対象として、格安レートを設定して集客を図っている。 名付けてウイークエンドバーゲンなどがそれで、うまく利用するとビックリする値段で一流ホテルに宿泊出来るし、勿論、出かける前に日本で予約が出来る。

例えば、1泊シングルでロンドンの一流クラスとなると70ポンドぐらいする。 ところが、木曜日から4泊して月曜日の朝チェックアウトするウイークエンドバーゲンでは合計120ポンド、つまり1泊30ポンドである。 そのうえに英国式の朝食が毎日つき、目覚ましのコーヒーまでサービスしてくれて、土曜日の黄昏時には、支配人からシャンバンの振舞いまであった。

日本から年聞50万人ちかい人々が訪英するが、その中には多くの個人ビジネスマンもいるはずで、ロンドンのホテルの高いのに困っていると思うのだが、ほとんどこの格安レートは知らない様で、泊りあわせた日本人は1日70ポンドを払って、週末のロンドンでわびしく過ごしている。

団体客については当然割引レートがあり、また無理な事であるが、日本からの個人客を見ていると、全て会社まかせの人と、ホテルのパンフレットなどに興味を持たず、幹旋業者の言いなりで予約している人だらけで、日本人は裕福だと感心する。

その点、アメリカをはじめとして欧州の人々は、ショッピングのバーゲンだけではなく、ホテルの格安料金などについてもよく研究して旅行している。 そして1泊半の金額で4泊出来るならと、ゆとりのある旅程を組むのが一般である。 ビジネスだからといって1泊基調の日本人型は、そろそろ終りにして--同胞諸君--。 たまにはゆったりロンドン見物といこうではないか。

ちなみにこの週末バーゲンは最近の事ではなく、知る限りにおいて何10年と続いているサービスで、詳細なパンフレットは英文ながら日本でも手にいれる事が出来る。

また、英国におけるビジネスとは、月曜日から木曜日までと理解して以来、こちら側も英国流にアポイントがスムーズに採れるようになった事は云うまでもないが、余暇の利用で英国の見聞を深めることに大いに役立っている。 さらに、ホテルはビジネス客が少ないせいか、ボーイなどまでが顔馴染みとなって、安い料金の時の方がサービスもよい。 バーのピアニストは既に小生の好きな曲も憶えてくれた。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第27話 タクシードライバー英国風2010/04/22 22:46

旅行者にとって、異国でふれる小さな親切は何よりの土産であり、いつまでも心に残る。 8年ほど前の事、仕事も一段落してロンドンの行きつけのホテルに投宿し、郊外の博物館に出かけた。 地理不案内もあって、タクシーで往復するつもりで流しを掴まえ、行き先を告げた。

しばらく走ってから道路脇に車を止めて運転手が話しかけてきた。 要点は、小生が住人なのか旅行者なのかとの質問。 行き先が自分の営業範囲を越える事(これはロンドンタクシーの規則で乗車拒否してよい)、行った先にはタクシーがほとんどこないので帰りはどうするのかと。 その結果、タクシーに待って貰う事にして、往復の車代もチップ込みで15ポンドで話がまとまった。

再び走りだしてから、客室と運転台を仕切る窓を開けて10ポンドと5ポンド紙幣を渡し、途中の有名な場所などの案内を乞うた。 親切な態度で色々の説明を受けながら博物館についた。 するとこの運転手は、渡した紙幣を半分に裂いてその1枚を返してくれ、約束通りここで待つが、貴殿が安心して館内を楽しむ様に札の半分を持って行けというのである。

紙幣を半分に裂き、合符にするロンドンタクシーの心意気に脱帽。 旅行者が往復の車代を渡してしまって逃げられたなどの話をよく見聞きするが、このドライバーはそんな不安をなくしてくれた。

1時間余を費やし、見学を了えて駐車場所に戻ってみると、タクシーはあるのだがドライバーが見当たらない。 庭園の池など眺めていると反対の池で手を振り、小生を呼ぶ人がおり、よく見ると、なんと我がドライバー氏である。 折り畳み椅子に坐り、なんと優雅に小振りのキャンバスに筆を走らせている。 ホテルまでの帰り道のなんとも爽やかな気分は今でも少しも薄れていない。 半分の紙幣とともに、日本から持っていった小物を彼に渡すと大変悦んでくれた。

ロンドンの夏の朝は早い。 若干の寝不足も手伝って朝の列車に乗る時刻が迫っていて、タクシーを拾いキングスクロス駅に向かった。 ところが昨夜のパブで小銭を使いはたして現金は20ポンド紙幣だけで、バラ銭若干といったところ。 なんとかドライバーが釣銭をもっていればよいが、と思いながら駅に横付けされた。

朝の事、案の条釣銭がないという。 構内の売店に行って新聞でも買い、両替をしてくるので待って欲しいと頼んだ。 ところがドライバーが日本人かと聞くので、そうだと答えると、それなら金はいらないという。 俺の弟が神戸に現在住んでいて、きっと奴も日本で助けて貰う事もあるだろうからと。

そんな訳にもいかぬので、ロンドンに戻ってから支払うので連絡先をと尋ねると、その心配無用と走り去った。 巻間いろいろな国で、とかく雲助呼ばわりされるタクシーが多い昨今だが、ロンドンではそんな経験はまだおぼえがない。

ヒースロー空港からロンドンの中心までは約24キロ。 タクシーで行くと15ポンドぐらいの料金である。 昼下がりのターミナルで荷物を受け取りタクシーの客となった。 書類の整理などにかまけているうちに目的地について料金をたずねた。 10%程度のチップを加えて支払うので、頭の計算機が作動準備体制になった。

ところがドライバーの口からでた料金は45ペンスだという。 なぜだと問うと、メーターが故障したらしく動いていない、とガックリしている。 混雑しているロンドンの白昼、時間距離併用メーターなので、18ポンドぐらいにはなっていて不思議でない。 地元人ならジョークなど言いながら適当にすますのだろうが、言葉不便の旅行者ゆえに、そのまま45ペンスともゆかぬ。 そこで15ポンドを取ってくれと出すと、一度は遠慮したが気持良く受取ってくれて、重いトランクをフラットまで運びあげてくれた。 そして2度3度と手を振りながら走り去った。 こちらも随分得をしたのに。

ラジオキャブと呼ばれる無線タクシーが走りだしてからタクシーのリレーを体験した。 ロンドンの北の郊外に出かけた時だ。 最初呼び止めたタクシーに行先を告げると、遠すぎる、と拒否された。 2台目のタクシーは行先を聞くとちょっと待てといって、無線連絡をとりだした。 そのうちOKがでてスタートしたが途中で、1台の止まっているタクシーの後ろに付けると、前に乗り換えろという。 自分の地域は此処までで、この先は前の車が案内するとの事である。 料金を払うとチップの分だけ返してよこして、あなたには不便をかけるのだからチップはいらないと。

乗り換えたタクシーのドライバーは既に無線で前の運転手から聞いているのか、行き先を自分から確認すると一路目的地に向け疾走した。 例によって、帰りの足が心配になったので待って貰う事にした。 用事がすんで再びタクシーの客となったが、タ方のラッシュ時も近ずき、道路が渋滞をはじめた。 ドライバーが、地下鉄の方が安くて早く着くので、と最寄りの駅に付けてくれた。 帰りの料金は断固受け取らなかった。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第26話 信号機とロータリー2010/04/22 22:44

英国の観光ガイドブックや紹介欄でよく指摘される事のひとつに、日本は交通信号がきちんと守られる数少ない国と書かれている。 その上、日本の交差点の信号機にはミュージック付きがあるとして興味深くレポートされている。 では英国の交通信号は一体どうなのか。

まず、信号の切り換え時間であるが、日本に比べて極端に短い時間で変わる。 ロンドンなどの大都市でも、歩行者信号の青の時間はせいぜい15秒程度、自動車用でも20~25秒程度で変わる。 その為か、歩行者は信号が変わるやいなや真剣に道路の横断にかからないと、途中で2階建てバスの攻撃を受ける結果となる。 老人などは道路の中心にある信号機の島などで、1回信号待ちをして横断する。

故郷の空という唱歌はイギリスのものだが、日本の様に悠長に交差点で信号機は演奏しない。 ロンドンは中心部をはじめ旧市内は道路が狭く、朝夕のラッシュアワーには東京に匹敵する交通渋滞をおこす。 車間も前の車とすれすれにノロノロ連転となるが、信号の切り換えが頻繁で信号機の数も少ない為か、日本の様に駐車のごとき待ち時間ではない。

東京をはじめ日本では四つ角があると信号機だが、こんな光景は英国ではまず無い。 英国の街には信号機が1台もないところも多い。 では、交通整理の手段はというと、旧式ロータリーである。 日本でも戦後しばらく各地にあったが、現在ではほとんど見かけなくなった。 それが英国では、今でも信号機より多く設置されていて、効果的に利用されている。

モーターウェイと呼ばれる高速道路が、現在では国内幹線に縦横に走っているが、欧州ではスイスとともに道路建設が一番遅れていた。 その結果整備された道路は、近代技術に支えられた立派なもので、霧の多発する地域ではナトリューム灯をはじめとして、夜間の高遠速走行の配慮がなされている。 ところがインターチェンジにきて最初にとまどうのは、その多くが立体交叉などの設備ではなく、なんとロータリーである。

ロータリーへの進入については右側からの車両が絶対優先権があり、通りすぎる迄待機が義務付けられている。 日本と同じ左側通行なので、慣れてしまえば信号を待つ間のイライラは皆無なのだが、自動車専用道路として建設され、120キロ程度で走行出来るのにインターチェンジごとに減速、減速、停止、進入を繰り返すこの方式の採用を、当然としているふしが見られて興味がわく。

一般道路でもドライブ中に数分毎にロータリーに出食す。 ところが案内標識があまり良く整備されていない田舎町では、ロータリーから出る際に、目的方向を間違える事が多い。 知る限りにおいて、英国人は我々より方向音痴らしく、どの自家用車でも必ずAAまたはRACの地図を備えている。 面白い事には、ほとんどのドライバーはUターンは不得意らしくあまり見かけない。 方向が間違えた事が判ってもそのまま次のロータリーまで行き、再び戻ってきて正しい方向をめざすのである。

考察すれば、信号機であれば方向転換には時間がかかるし、Uターンする程道巾がないが、ロータリーであれば容易に出来る。 この利点を英国では最大に応用し、また信号機による渋滞解消となっているのだとすれば、まさしく読みの深い交通工学ではあるまいか。

また、ロンドンのタクシーをはじめ、プロのドライバーは、一定地域内の地図に精通していないと営業許可が下りないのであるが、斜にかまえて考えると、客の多くが方向音痴ゆえに、そんな規則が存在するのではないかと思ったりする。

信号機の切り換えの際、赤から青に変わる時もオレンジが瞬間点灯する。 日本ではこの方式ではないので、運転手は全部ヤブニラミしながら、交叉している方の信号機に関心が集まりフライングと相成る。 警視庁や県警察と信号機業者の癒着なのか、日本では歩行者信号と名付けた交通妨害は、はなはだしいものがある。 ひとりの人が渡る為にも交通車両を一時であるが止めてしまう。

英国では、こんな歩行者の優先権を主張する信号は誰も認めないし、設置もされていない。 横断歩道にはオレンジの電灯が点滅しているだけで、人が横断している時は車両が一時停止して待つ、という基本原則をつらぬいている。 だれもが自動車も人間も平等という平常心がいきわたっている所以だ。 タ焼け小焼け1曲演奏信号機の世界に暮らしていると、英国はやはり大人の国、と自問自答してしまう。

反面、英国では信号を出来るだけ守らないふしが人々にあり、赤信号でも堂々と横断する人が絶えない。 つまり信号とは車両の整理が前提であって、車がこなければ人間が横断するのは当然という訳で、車両の往来の合間をぬって通り抜けて行く。

そんなロンドンの交差点で信号を忠実に守り、青に変わった事を確認してからのろのろと横断をはじめて、途中で信号が赤になり交差点の中で駆けだしたり、人とぶつかっている連中がいれば、わが音楽信号民族と識別出来る。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第25話 3/4人前 板前の遺産2010/04/22 22:44

ロンドンに日本料理店が登場して20年余になり、今では30~40店がジャパニーズレストランとして商売している。 はじめの頃は、現在の様にグループ旅行が一般化する前の事で、顧客も在英商社の駐在員などが主であった。 ロンドンでも繁華街やメインストリートに面した場所は借りる事が出来ず、まず立地条件で泣かされたという。

現在、にんじんグループとして成長した大屋政子女史経営の最初の店は、オックスフォード通りから北に入った貧民窟街のはずれで開店した。 セルフリッジ百貨店に近い場所であったが、オックスフォード通りから入るには、わずか1メートル弱の通路を抜けねばならず、地元の人でさえその通り名では判らなかった程である。

日本料理店として興味をもってもらう為に、初期のアメリカでも見られたと同様の、前時代的なインテリアでまとめた店であったが、苦労しても英国人の顧客を得るまでには至らなかった。 その上、ロンドンの反日感情は予想以上に厳しいという現実があった。

その後、シティーにも日本料理店をオープンして、金融機関の接待の場として、日本の銀行支店の応援などを受けて、英国人に日本の味を知ってもらう努力が続けられた。

さらに日本人在住者の便宜の為に日本食品店を開業し、カリフォルニアからの米、中国料理店から供給を受けた豆腐、日本から空輪したタクワンまで店頭に用意したそうだ。 今日では、日本の田舎の食料品店顔負けの品揃えとなり、紀文のカマボコもJALのジャンボが運びこむ。

ただ、日本料理店として定着してきたのは、やはりジャルパックなどの団体客が英国を訪れる様になってからで、一般客だけでなく、有名人や芸能人、スポーツマンなども団体客の仲間入りしていた。 彼らも言葉の障害からか、よくパック旅行を利用していた時代である。

ロンドンの繁華街にも日本料理店が増えだした頃、一部であるが、経営者が日本人ではなく、韓国人やユダヤ系の経営の店も誕生して、いくつかの日本料理店では奇妙なメニューもあった。

また、日本からの観光客を当て込んで、いち早くヒルトンホテルがロンドンでホテル内レストランとして日本料理を採用、注目を浴びた。 このヒルトンの戦術は見事に成功し、安定した日本人客を確保、グループ旅行会社の指定ホテルとしても採用された。

ロンドンの日本料理店では、早い時期から勘定書きの中にサービス料金を計上して客に請求したが、これが、チップ制度に弱い日本人旅行者に評判で、チップの苦労から解放された。 現在では、ほとんどの日本料理店でこの方式をとっており、また、通常欧米のレストランで見られる、割当テーブル担当ボーイのシステムをとらず、日本と同じ様に店員であれば誰もが注文をうけたり、マネージャークラスが全てのテーブルを廻り、オーダーを受けたり、料理の説明をしたりして、サービスの違いを英国の人々に感じさせた事が、後年大きく成功に寄与している。

どこの料理店でも最大の問題は、板前の確保にあった。 当初は日本料理店同士で、引き抜き合戦も演じられた。 材料も7000マイル離れた英国と日本では違いがあり、また、全ての材料を築地から輪送出来なかった。 アフリカからの野菜、ヨーロッパからの魚を日本の味に調理するには、本来の日本流の板前には無理も生じて当然であり、予期していた事ながら難題であった。

しかし、日本料理店として営業する以上、なにがしかの形を整える必要にせまられた。 ある経営者の弁だが、当時必要としたのは一人前の板前でもなく、半人前の板前でもなかった。 欲しかったのは四分の三人前の板前であったと。

つまり、一人前では材料が不満で料理を拒否されたり、仕事を嫌った。 逆に半人前では手も足も出なかったのである。 そんな中で、四分の三人前の板前は、入手可能材料を日本流にアレンジして、スコットランドの鮭を刺身に仕上げ、ドーバーのヒラメを薄造りにして商売を盛り上げた。

現在では日本でも供される鮭の刺身だが、昔は虫がいると云われて、刺身としては北海道の冷凍ルイベ以外日本料理では使われなかったし、本来鮭は下賎魚とされていた。 ところが、四分の三人前の板前の多くが、正式労働許可を英国政府から受けていなかった為に、一時期をすぎるとロンドンの板場からほとんど姿を消した。

しかし、彼らの残したロンドン風味日本料理は、確実に伝承されており、経営者の多くは、いまでも高い評価をし、彼らへの感謝の念を持っている。

カリフォルニアに始まり、ニューヨークで人気を得ている最近の寿司ブームを思う時、メニューに載せられたアボカロールなどを見ると、四分の三人前の板前の現在の活躍場所を知る思いだ。

ロンドンの1等地、セント・ジェームス通りに、サントリーレストランが堂々とオープンして早や5年を越える。 英国人が目をみはった値段の高さも、いまでは普通に評価され、半分以上の客は日本人ではない。 ミック・ジャガーをはじめ、芸能人、有名人で連日満員で、予約なしには食事にありつけぬ程の盛況である。

スコットランドのサーモンも、いまでは最古参メニューとして健在だが、板前さんだけは、いまではみんな一人前でないと通用しないほどに日本味が浸透した。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第24話 英国風 おか目八目2010/04/22 22:43

以前にも述べたが、毎時200キロで走る汽車は新幹線の特許ではなく、フランスではTCVが260キロのスピードを誇るし、ライン川にそって走るドイツ国鉄のラインゴールドなども200キロのランナーである。

英国でもディーゼル機関車で走るインターシティーl25は200キロを、ゆとりをもって運転されていてディーゼル動車では世界一である。 フランス国鉄のTGVはトンネルは皆無で、フランスの平地を走る。 新幹線にいたっては全て専用軌道で、ポイントも最新のものが採用されていて踏切などは存在しない。

ところが英国国鉄は全て在来の路線を使用していて、すでに150年の歴史を線路から踏襲し、古くなりすぎたトンネルが陥没したりする事がある幹線も存在している。 勿論、保線管理は整備されていて、現状では200キロ連転の列車が走っている訳だが、日本でいえば、東海道本線にあたる幹線に平面で交又する線路があるのには驚愕する。

両方の路線とも列車が頻発しており、200キロのスピードで運転されているのであるが、その線路に対して十字に踏み切る別の幹線があるのだ。 勿論、充分な信号制御がなされているのであるが、例えばポイントを介して渡るとか、立体交叉にするとか考えることが出来なかったのか理解に苦しんでしまう。

数年前の事だが、この現場で信号待ちをしている交叉列車を見た時はおもわず息をのんだ。 以後いつも注意してその現場を走り抜けるのを見るが、まったく改良の気配はない。

ダイエーでもイトーヨーカ堂でも中に入って特別に買物がなければ、入口に戻ってそのまま出てきても問題はないし、とがめられる事はない。 英国では田舎町のスーパーマーケットでも必ず入口にゲートまたは回転バーがあり、一度入ってしまうとそこからは出られない。 その上、買物がなくてもレジに通ずるカウンターに並び、店員に何も買わない旨を告げないと放免されない。 例によって行列好きな国で、店員も少ないので脇をすり抜ける訳にもゆかず順番待ちをせねばならない。 商品によっては磁気センサーを取付けてあり、防犯の為とはいえ、人を見たら泥棒と思え的発想にウンザリしてしまう。

多国籍人種が生活している英国では言葉のトラブル以外に生活習慣の違いが根強く、人を信用しやすい日本人から見ると、猜疑心の強い国民だとあらためて感じる。 そんな中でこの方式をいち早く採り入れた大手スーパー、マーク・アンド・スペンサーでは万引が激減したそうで、最近ではロンドン空港の免税店もこの方式のカウンターになった事を知り、現実の厳しさを知ったが。

日本には不文律の取り決めとして、冬服、夏服などがあり、真夏に近い頃にミンクの毛皮を一着に及ぶことは、六本木や原宿あたりの連中をのぞけば、まずない。

ここロンドンではその辺がまことにフリーというか、変わっているというのか、理解に苦しむシーンが展開される。 例の浪花名物女史の大屋政子さんが初めてロンドンに日本料理店を出したクリストファープレィスあたりは、当時は貧民窟街であったが、その後、整備され、近くのサウス・モルトン通りなどとともにいまでは先端のファッションストリートになった。

6月の昼さがり、この附近に30分もいると、頭のなかがサイケデリックな感覚となり、季節感が吹っ飛ぶ。 外気温24度、湿度50%、天候ジューンブライドの中でウールのコートのひと、半柚シャツに海水バンツの女、毛皮着用のレディー、丸見え乳房の横字プリントのTシャッに股さけジーンズのネェちやん、鶏頭へアーに皮ジャンバーと皮ズボンにメタル鋲つきのパンクのお兄さん、レインボーヘアーにグリーンの口紅、手足やへその廻りをわざとカギざきにした多色プリントのズボン下風ニットなどなど、2月なのか6月なのか11月なのか判らなくなるのがまともな感覚。 町中を観光して歩く10代の女の子の多くが裸足。 旅行ガイドブックなどに書いてある行儀のよいイギリスなんてどこにも見当たらぬ。

暑いと思うのだが、近衛兵やホースガードの兵隊は真夏でも汗しながらクマの毛皮の帽子を被り、ビキニで歩くネェちゃんを横目で一瞥しているのを見るが、これが英国のユーモアかとひとり合点したくなる。

夏のバーゲンがハロッズで始まると英国の夏は終盤に入り、ほとんどの企業が夏休みになる。 サビルローの仕立て屋もいっせいにセールと称するバーゲンに入り、夏服が格安とのことなので覗いてみた。 こちらの常識からすれば夏服なら当然の事ながら背抜きで、表地も通風の良いものと思っていたが、店の中には夏服と思われる様な商品は皆無である。 店員に尋ずねると目の前の洋服は全都夏服だと云う。

総裏で生地も中層ウーステッドなどで、日本でいう合着相当のものだ。 顔見知りの店員が説明してくれたのだが、本来、日本などでいう夏服はトロピカルウェアーに属し、英国でいう背広には無いものだそうだ。

英国で夏服とは、避暑地などで着用するカントリーウェアの意で、軽量でしわにならない様配慮した服をさす。 合着と名付けた明治のジャパン紳士に敬意を抱く。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第23話 英国テレビ事情2010/04/22 22:43

日本、特に首都圏に居住していると、テレビは朝の6時から深夜まで、それも数多くのチャンネルがあり、生活にとけこんでいる。 朝のニュースは時報とともにスタートして、アナウンサーは秒きざみで日本そして世界の出来事を伝えるのが普通のスタイル。 朝刊の番組表をみれば何時にどのチャンネルでどんなプログラムがあるか判るし、正確にその時刻がくればスタートする。

英国では、日本のNHKにあたる公共チャンネルとしてBBCに2つの局があり、さらにテームズとITVと呼ばれる民間放送2社があり、ロンドンを始めとしてほとんどの地域で視聴出来る。

まず、BBCであるが、BBC1は総合プログラムを中心としたもので、BBC2は教育、教養番組が主体である。 英国BBCは放送の歴史において、世界の主導とされ、情報源の広さにおいても他の追随をゆるさない程の名門であり、日本のNHKとは深いきずなを特つ閣係にある。

BBCの電波は英国だけではなく、連邦各国にも広くリレーされて東南アジアの諸国にも同時に伝達される程である。

ところが、英国のTV番組は2年程前までは朝の放送がなかった。 午前9時頃から始まる2つの番組は、いずれもオープン・ユニバーシティと呼ばれる教育番組で、ニュース番組などは正午過ぎまで皆無であった。

民間放送のITVは歴史も浅いのでさておくが、テームズ局は民間放送としてすでに10年余の歴史を持ち、コマーシャルも多い。 ところが、こちらも朝のプログラムはなく、昼からの放送であったが、BBCのモーニングショーの開始とともに、ほとんど差がない内容と構成のモーニングショーを関始、民公両放送がしのぎをげずる昨今となった。

NHKの朝のモーニングショーもよく似ているが、30分間隔でその日のニュースのへッドラインを繰り返し、その合間をインタビューや音楽でお茶をにごす。 9時追ぎにはモーニングショーは終り、昔と変わらぬ教育番組が主要チャンネルで始まる。 最近は若干進化して文字多重放送を併用しているチャンネルも見られる。

日本人から見ると何とも間の抜けたプログラム構成と思うのであるが、平均的英国人から見ると、朝からTVにしばられる様な生活様式はなく、全く関心を示さない。 亭主は朝の7時はべッドの上でコーヒーか紅茶を飲み、かみさんがベーコンエッグとカリカリトーストを作る間に朝刊を買い求めて、食事の時は新聞はやめなさいと毎日同じ小言を聞き乍ら、朝食はすますものなのである。

かたやサッチャーさんの悪ロ、配管工事のドジな仕上げのグチ、来週のパーティーの洋服選びの事など、とめどないカミさんの話題で英国の朝にTVなどの入り込む余地がありますか。

この辺の事情を各放送局は先刻承知で、視聴率などはなから計算済み。 それでは世界のトップの情報源はどう処理しているかというと、実はモーニングショーで同時に放送しているのである。

英国では文字多重放送システムが非常にすすんでいて、モーニングショーの電波にこのシステムを組みこんでいる。 視聴者側で特殊なアダプターをTVにセットしてリモコン操作により得たい情報を即座に画面に引き出せる。 世界の出来事を始めとして、飛行機のスケジュール、鉄道の予約、運行状況、株式市況、道路情報など驚く程多岐に亘るニュースが一瞬に得られるシステムが存在している。

TVをみごとなまでに個人個人に対応させている訳で、日本の様に全てが同じニュースで過ごすことは無い。 主要文字多重番組は24時間常に最新情報が投入される。

番組の構成についても実にユニークというか、フレキシブルな運用で、新聞に掲載されている番組表の通りに放送が始まるとは限らない。

ニュースが多ければ時間が延長されるのは当然の様で、新間に出ている時刻はおおよそのメドと思った方がよい。 7時のニュースが7時4分から始まったりするが、誰も不思議に思わない。

BBCの番組では、コマーシャルがない代わりに、BBCのマークと地球儀が回る。 正時に近いと地球儀に代わって時計が出てくるが、別に時報の為ではなく、今の時刻と云う訳でテロップに次の番組は間もなく始まると出るだけ。

テームズ局のコマーシャルも日本の様に5秒、15秒といった小刻みではなく、1分もあろうかと思われるCMを流す。 但し、日本の様にCMの時に放送局側で音量を上げないので日本ほど耳ざわりではないし、英国人の好みや食品の種類など判って、異国の者にとって大変参考になる。

ギャンブル好きの国民だけに週末の競馬中継がすごい。 多いときには5~6ヶ所の馬場から多元中継で結果が逐一発表され、まるで競馬TVの感を呈す。 中継番組となると最後まで放送するのが原則なのか、珍らしくウィンブルドンに雷鳴が轟き試合は中断、1時間も延々と雨のテニスコートを写すBBCのTVを見た。 融通のなさに驚いては英国知らずというもので、彼らにはNHKの様に《名曲アルバム》などの代替番組の用意は無いのが普通というもの。(荒井利治)

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英国やぶにらみ第22話 たかがマッチ、されどマッチ2010/04/22 22:42

日本では通常の生活の中で、現在マッチを購入して使用している家庭はまず見かけなくなっている。 銀行をはじめとして郵便局などの公共機関でさえサービスマッチを用意しており、都会で1日すごして、こまめにマッチを集めてくれば、相当のタバコ飲みでも火種に苦労することはない。

ところが英国では、事情が全く異なり、うっかりして100円ライターを忘れて外に出ると、タバコの火にも事欠く。

まず、銀行などではサービスマッチの習慣がないし、嫌煙思想の定着でタバコ飲みが減少している昨今では、手軽に火の寸借ともいかぬ。

英国ではレストランやホテルでもサービスマッチを用意しているところとなると、一流クラスだけで、中流以下のサービス企業では、まずないと思って間違いない。

したがって、パブやタバコ屋でマッチを買うハメになるのであるが、6~7ペンスの代金を払って手にしたマッチを見て、平均的日本人なら遠い昔の故郷をおもいだす。 経木で作られた函に古色蒼然とした絵柄、ざらざらした擦り紙といった案配である。 1本つけてみると強烈な硫黄の匂いがよぎる。 連中の使い方を見ていると、擦った瞬間一度遠ざけて、硫黄の香をちらす。

マッチの側面にあるこすり板も日本でみかける物より荒く、まるで紙やすりの様で、そのかわり摩擦効果抜群である。 いっきに擦るとマッチの当った分だけ線を描く。

ある日本人に云わせると、大正時代のマッチのごとき代物だそうだ。

反面、英国のタバコ愛好家のうち、葉巻やバイプ専門の人も多いので太軸のマッチは必需品でもある。 紙マッチでは燃焼時間が短くバイプなどの火は1本では着火しない。 ライターもパイプ専用のものであればよいが、通常、炎は垂直に出るのでスムーズな着火はむずかしい。 そのうえ、英国の風土も影響していて、紙マッチはすぐにしけてしまうのだという。

紙マッチについては、それ以外に大きなトラブルが過去にあり、英国人は紙マッチをアメリカンといって蔑む風潮が見られて面白い。 さきの大戦中、そして戦後ヤンキー達が大量の紙マッチを持ちこんだ。 当然英国でも使われたが、ポケットから火事がでるケースが続発したのだ。

前にも述べたが、英国人はチップコインを必ず数個ポケットにしのばせており、コインのギザにマッチがすれて着火してしまう事で、発火しにくいマッチが工夫された時代がある。

日本でも戦後一部に見られたが、アメリカのマッチの中には、靴底でも木製の堺囲いでも、こすれば火がつくマッチがあった。 ヤンキーの兵隊達はラッキーストライクの箱の脇にマッチをさして携行していたが、葉巻やパイプの英国紳士は、マッチはいつでも取り出せる様に、利き腕側のポケットに小銭とともに携行し、ポケットファイアーとなった経緯は、習慣の上でのトラブルであった訳だ。

下半身に火がつく様な危険なマッチはその後、英国から敬遠されたのは当然であるが、マッチを着火しにくい様に工夫していく過程を想像すると、なんとなくジョンブル魂を連想させる。

さらに考察すると、マッチの利用度は英国では非常に多面にわたっている。 英国国鉄の列車のテールランプなども灯抽を使ったランプが最近まで実働していたし、家庭だけではなくホテルやレストランなどの暖炉も、今でもマッチで点火して種火をおこす。 マッチが必需品として今でも幅広く使用されている代表国のひとつと言えよう。

タダで入手出来る日本のマッチであるが、わが日本国において明治以来、最も古い物品税課税品目である事を知っている今の若者は少ないと思う。 現在でもマッチは税財源のひとつである。 なにごとによらず、英国渡来の制度を組み入れた明治政府を思うと、英国でも同様の制度が現存していると推察する。 なぜならば、英国では全てのマッチにおおよそのマッチの本数が箱に表示されており、表示のないものは販売出来ない。

貿易摩擦が各国間に大きな問題になってきている昨今であるが、英国ではマッチまで大量に輸入しており、自国生産だけではまにあわない。 勿論、価格の問題もあるが、高級ホテルなどがサービス用に用意するマッチは、ほとんど英国製品ではないといっても過言でない状況だ。

近年、英国製の紙マッチも増え出したが、ほとんどサービス用で、市販は古色蒼然たる大正マッチで、経木の小箱や紙の箱に太軸のマッチがはいった物が大半で、ホテルやレストランの格式に合った印刷やデザインがほどこされた物を見かけ、良い土産ができたとカバンの偶にほうり込むのであるが、よく見ると、本数表示の脇にJAPANと記されていてがく然とする。 ここまで日本が………と。(荒井利治)

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