再び英国やぶにらみ第6話 消えゆくジョンブル2010/04/24 06:53

第二次世界大戦で、日本が世界に大きな迷惑を与えたか知らない日本人が主流となってきている今日、最近の報道などを見ていると、戦争責任を中心に問題が広がりつつあるのは遺憾千万であるが、外国を旅する度に、配給物資や芋、すいとんで育った小生にすれば、日本はなぜ自分達の被害をもっと声高に主張しないのか不思議に思う。

負けた国は何も主張出来ないのであれば、なんで講和調印の意味があるのか。 特に七つの海を制覇した英国がこの問題になると、必ず再燃させるのは何故なのか。

フォーグランド戦争の時もそうだが、昔の英国であれば、国の威信にかけて取り戻すのが決議され、国中が一丸でこれに応えた筈で、金銭とか他に及ばす影響などは後の事。 国王を軸に、国の尊厳を全うするのが明治以来、日本が英国を師と仰いだ基本であり、ジョンブル精神の機軸であった。

ところが国会では、早速サッチャーにかみつく議員が続出して、軍事予算に回すなら福祉予算に使うべきで、フォークランドの国益と老人年金が天秤に掛けられる始末で、誠に現実主義を垣間見る事となった。

ところで、やたら駆け出すのは日本人、と云われるが、最近のロンドンの駅の通勤風景を見ると、帰宅の列車の座席を確保しようと、ヒゲの紳士もホームをマラソンしていて、しまらないことおびただしい。

行列好きの国民だけど、列車の席の配列がめちゃくちゃの車両ゆえに、ホームで行列を組めず、以前の青森駅の連絡口みたいな競争を、今日もバディントンやキングスクロスで見かける。

一昔前なら悠然としてジョンブル紳士はホームを駆けることはなかった。 ビジネスでも従来の経営者は、取引先に対して強制したり、ノルマを課すことを恥とした。 ジョンブルには、武士は食わねど高楊枝の気位があった筈。

ところがスローンレンジャーと称するアメリカ型エグゼクティブが台頭してきた現在では、ユダヤ商人が舌を巻く程のがめつさを強制してくる。

温情などさらさらなく、利益をあげれば自分の懐が潤う歩合給契約の重役達がビジネス街を牛耳るのが今時の英国である。

ジョンブル紳士は、人を救うことを知っており、故に人から敬意を持たれた。 あえて人の為にネクタイを結ぶ人種であった。

ダークスーツよりもカントリージャケットをいかにうまく着こなすがが大切なことで、週末は人の和の中に溶け込むことがジョンブルの生きざまとされた。

何代と続いた世襲制度が崩壊し、ビジネス本位の経営が押し寄せた1970年代後半から、働かざる者食うべからずのサッチャービジョンの影響下で、企業の買収、乗っ取り、併合などが拡大し、ジョンブル経営者は次第に締め出されるか退任を追られていった。

かくして、金になるものなら日本の企業でもなんても受け入れ、在英企業として認知し、輸出拡大も図られたが、一部であっても経済協力を仰ぎながら、かたや戦争責任云々は、由緒あるジョンブルなら言えた義理じゃない。

著名な新聞、ザ・タイムスだって、今は乗っ取られて、ジョンブルではない。 メードインジャパンのダンヒルの靴下を買う英国人、そして売る英国人を見ていると、英国のジョンブル精神の薄れ様を確かめる思いで心が痛む。

失業率の高い英国を知る時、利己主義に包まれて、偉大な包容力と尊敬の念で、長い歴史の中に培われてきたジョンブル精神が、消えてゆくのを懸念するのは私だけだろうか。(荒井利治)

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