抜粋やぶにらみ続編 もういくつ寝ると2010/04/24 07:38

紐育からの便が約一時間の延着で出発もそれなりに遅れるらしい。 既に成田空港は墨汁色の空で、星もでていない。 今日は霜月の最後、明日からは師走の誘導路を往来するジャンボジェットの衝突防止灯だけが、動き回る。 ファーストクラスラウンジには世界に旅立ついろいろの国の人々はそれぞれの思いで、出発便の案内を待っている。 セルフサービスのバーに足しげく通う人は、いかにもアメリカ人らしく飲みっぷりも大胆だ。 だれも見ていないCNNのニュースラインのアナウンサーは例によって早口言葉、でもニュース種は無限らしく、ヘッドラインは賑やかである。 香港の子供の名付け親になっているので、ひとあし早いクリスマスギフトを届ける空の旅だ。
もう一杯ビールでもと立ちかけた途端、香港行きの搭乗案内があり数名の待ち合い客が席を立った。 小生も後に続き夜間飛行の客となった。 幸いにも隣席は空席で香港までのフライトはゆっくり過ごせる様子でホッとする。 お喋り好きなアメリカのオバさんなどと同席になると、とてもゆっくりなどしておれぬ。 悪い習慣で未だに禁煙が出来ずスモーキング席を占拠するのが通常であるが、こんなオバさんが隣だと早くタバコをやめないといけないと自戒の念に浸ってしまう。 喫煙量だけではなくどうして灰を灰皿にキチンと始未出来ないのか理解に苦しむし、またちゃんと消さないので煙りがいぶる。 これは喫煙者にも大変に迷惑な事なのに、全然判ってくれない。 その上孫がどこに住んでいているとか、親の仕付けがどうとかまくし立てられても、こちらにはまったく関係がなく、迷惑が肥大するだけ。

一時間遅れで成田を出た香港行きは三宅島を過ぎるとシートベルトサインも消えた。 乗務員が中央のサービステーブルに花を飾りグラスを並べる。 ドンペリニョンをお代わりする頃には、食事のサービスとなるのが通例で、夕食は液体中心の小生にとってはちょっと重荷の時間になる。 香港までは約五時間のフライトだから三時間はゆっくり飲みたいのが本音の小生だから、ついつい食事はスケッチをすませるとお返しして主力はドンぺリさんになってしまう。 乗務員もそつがなく最後には瓶ごと隣席に置いてくれたりする。
シャンパンクーラーを軽くシートベルトで押さえて、平手神酒を気取るひとときこそ飲ん平馬鹿にとってファーストクラスフライトというもの。

香港の人々は宵っ張りで、十二時近い時間なのに、まだ各家とも煌々と明かりが灯っているアパート群をかすめる様に滑走路に向けてカーブが始まる。 考えてみれば屋根裏をジャンボジェットが三分間隔で飛び越されるのだから、寝てもいられまい。 テニスコートに主翼の端が引っ掛からないのが不思議な様な一瞬、機体は水平を取り戻しドドンと接地、『皆様当機はただ今香港啓徳空港に到着しました』と相成る。
この香港空港には、ファーストだろうが、エコノミーだろうが、出入国手統きにまったく差別がないと言ってよい。 ロンドンなどのファストーレンなど勿論ない。 従って搭乗機の扉が開くや脱兎のごとく入国審査場にいかないと延々と続く行列に加わる事になる。 すいているゲートは香港住民用で誰もいなくても融通性には疎い。

その上なぜこんなに時間がと思う位パスポートチェックに時間を掛ける。 でも隣の審査官とはそんな作業の間にも、無駄話をしている官吏がいたりする。
第一幕の入国審査の後は第二幕の手荷物受け取りであるが、ひとつの回転台に二~三の便の荷物が乗っかって出てくるので、繁雑極まりなく時間がかかる。 航空会社にコネのある乗客などは別途に係員が荷物を運んできたりしているが、一般は唯々待つのみである。 優先タグを成田で付けるが、あまりこの空港では効果はない。 税関審査だけは日本人には寛大でほぼフリーパスで通過出来るのが利点といえば利点だ。
無愛想であまり英語など出来ないタクシーに淘られて九龍半島の先端、チム・シャ・ツイのホテルに着いたのは十二時も半分過ぎた頃であったが、ホテルの受付にはいまだに到着客が右往左往、あと七ヵ月で中国に返還される東洋の真珠と呼ばれる街に着いた。

一九九七年六月三十日、英国は九十九年の租借期限が終了し、香港島、周辺小島、九龍半島及び新界地区を中国政府に返還する。 当初の租借はビクトリアと呼称した香港島および周辺小島および九龍半島のボーダーストリートまでの地域であったが、後年人口の増加などと啓徳空港などの開港により現在の地区までの租借となった。 数年前に破壊された九龍城と呼ばれた貧民窟ビルは、中国からの逃亡者の隠れ家などにもなったが、同ビルは当初旧中国側に位置していた関係もあって奇妙な治外法権が存在していたとも言われ、香港政府も安易には破壊出来なかった事情がある。
この英国植民時代の終焉を迎え、現在多くの変化が香港に起こっている。 過日問題となった尖閣列島問題も香港住民の一部が、中国返還の忠誠を見せかける為のプロパガンダであったとも言われている。 現実に二十年前に同様な問題が起きた時は、香港住民は日本に味方した事実がある。 つまり香港の市民は天安門事件の際に示した中国への抗議の動きは今や得策でないと理解し転換を図っていると思われる。

アジアそして世界の観光拠点として、香港は急速な発展を遂げている。 事業税なども他国に比べて大幅に低率で推移しており、世界からの投資が盛んである。 しかし六月三十日に向けて撤退に踏み切る企業も多く、今後異様な展開も考えられる。 あれほどホテル不足といわれながら中心部の有名ホテル『ヒルトン』が営業をやめた。 しかしシャングリラなどアジア系のホテルは拡大しており、日本のニッコーも現在客室の半分を閉鎖して改築を進めるなど逆方向を目指している。
十一月の中旬から二月の旧正月まで、特にチム・シャ・ツイ・イーストと呼ばれる新開発地域ではクリスマス及び旧正月を祝う電飾で賑わう。 ところが今年はこれにも異変がおきており、英国系のビルはシンプルなものか、電飾皆無のものまで出た。 逆に中国系のビルの飾り付けは豪華になっている。
香港のショッピングは従来小さな店を冷やかして、値切りながら買い物を楽しんだものだが最近は大資本が大型店を開設し、中小企業が消滅しつつある。 レコードやCDなどミュージック商品はコピー物もあったが、小さな店が多かった。 ところが最近は外資系列の大型店が事業を延ばし、中小店舗は店をたたんでしまった例が多い。
三越、伊勢丹など日本のデパートの支店も店舗を閉めた。 家賃の高騰はとても払えるものではない程、急激に上昇している。 ホテルを閉鎖して事務所ビルに改装しているものもあり、このほうが効率がよいとされる。 八坪程度の雑居オフィスで平均家賃が月十五万円もするそうで、東京より高い。

公共料金を年三回上げたのは今までなかった、香港に長年出掛けているが、地下鉄の運賃など大幅に値上げされた。 香港駅から九龍半島にわたる一駅の利用が今では八ドル五十セントもする。 春先は六ドルだった。 スターフェリーも一ドル二十セントからいっきに二ドルになるなど現地人もびっくりである。 タバコ一箱がいまや二十八ドル、ちなみに日本では同一のものが十六ドル五十セントで買える。
香港といえば飲茶が有名で、朝の五時から営業する店があるほど、現地の人々に愛されている。 ひとり三十ドルもあれば、腹一杯になったが、先日九龍のある店で大人二人、子供二人で、お茶と点心で三百八十ドル請求された。 現地の人と行ったのだからボラれた訳ではなく、これ程物価が上がっているのには、驚かされた。

香港島の中心、中環地区にそびえる中国銀行は日本の熊谷組が施工したビルだが周囲を威圧する巨大建造物である。 従来香港銀行券(通貨)は英国系の二銀行が発行していたが二年前からは中国銀行香港支店も発行を始め、現在では相当の比率を持つ様になった。 既に英国系の二銀行では銀行券の発行を手控えている様子で、六月三十日までには、さらに中国銀行の紙幣が増える模様。 勿論兌換券ではないので、中国返還後も英国系紙幣は流通するのであるが、中国としては、基本的にに六月三十日をメドに多岐の変更完了を望んでいる感じで逆に英国の考え方はその日以後変換していくとの基本的概念の違いが見え隠れしている。

一つの例であるが英国系航空会社キャセイ・パシフィックは返還後も英国企業でありたいと願ったが、最終的に中国と英国の両資本の会社として存続する事になった。 勿論これにより香港新空港開港後もホームベースとしての位置は確保されたが、もし英国系を主張すれば当然飛行回数制限など、中国政府からのパンチを受ける事になったと推察する。
日本のワールド企業のヤオハンも現在中国との接近を図りながら将来を模索している。
香港の国会にあたる行政院では議員の多くを親中派に置き換えが進んでいると聞く。 我々旅行客が垣間見る表の香港はいつも喧騒の中で動いているが、裏面の動きの方が相当に先行している様子が判りかけた。

香港のパブ・マッドドッグの土産にラグビーシャツがある。 昨年までは英国のライオンの紋章などがデザインされたもので、観光客がよく購入していた。 今回気が付いたがこのラグビーシャツのデザインが五星紅旗に変わっており、香港商人の目ざとさを知った。 一九九七を立派に営業に生かしている。

電脳といえばコンピューター、香港では携帯電話と電脳は今一番の人気で、ソフト類の海賊版も後をたたない。 またレーザーディスクは置き場所を取り、保管にも場所はいるので、普及しているのはビデオCD、海賊版なら二~三十ドルで米国映画、中文字幕が購入出来る。
この手のソフトは、映画だけでなく、軟らか物と云われるポルノ系列ものも多い。 香港は公式には日本と同様にヘアヌードが限度なのが、実際には相当ワイセツな物まで黙認されていた。 ワンチャイと呼ばれる地区に六階までを使用した電脳市場があり、一○○店以上が集結している場所がある。 ペントハウスやプレイボーイの商標のビデオCDがあふれていて、現地の人は米国直輪入のポルノコピー版を入手していた。 ところが最近警察などの臨検がきびしくなり、これらの店は次々に閉鎖を余儀なくされている。 一説によるとこの取り締まりは中国政府に顔色を窺う香港政庁の姿勢のひとつとも言われている。 一方人工衛星を利用した電視多チャンネルテレビの基地が香港にあり、こちらの方はポルノチャンネルを含めて有料放送が盛んで近隣諸国でも加入出来る。 これについては特に取り締まりは行われていない。 海外からの外貸収入は香港そして将来の中国の資金源となるからだ。

何かにつけて中国政府と対立をしている最後の総督パッテン氏の閣僚として薫氏がいる。 大手海運業の総師で中国よりと言われる。 江主席との関係も深く、総督としては中国政府への意向をまず、薫氏に聞き、彼は新華社香港支社長に伺いをたてていると言われる。 新華社は中国政府お抱えの通信社であるが、裏面は中国政府の代弁者でもあり、その権力は偉大だ。 当然支社長には要人が配置されているのが普通で、すでに薫氏はパッテンにかわり初代の行政長官に内定している。 (一九九六年十二月十一日、正式に任命された)
パッテン総督は薫氏を中国政府との円滑化を図る意味で起用していたのであるが、実際中国政府もパッテン総督の動きを知る方策として薫氏を利用したとみて間違えは無さそうである。

蟻の隙間もない風景が拡がる香港島、いくたびにビルが増えて行く。 数十万ともいわれるフィリピンメイド、急上昇している物価の中でこの人々を中国返還後も民衆は雇用継続出来るのだろうか。 日曜日になると香港島の中心の街路はすべてこの人々で理め尽くされる。
薫氏の起用は、返還後の香港の安定が最優先とされているが、議会をはじめ立法、行政のすべては中国政府が握る中で二つの中国は円滑に行くのだろうか。
あきらめと期待が交錯する一九九七ホンコン、香港領旗ユニオンジャックから五星紅旗中国国旗にかわる瞬間を世界の人々が注目しており、既に二倍の料金で返還日前後のホテルの予約は満杯との事。 さすが香港商法はあなどれない。 名付け親になっている子供たちも将来を考え日本同様塾通いをさせているが、親は物価や香港経済の安定には不安を持っている。 『利是』と呼ばれる中国の風習のお年玉を託してきたが、香港の現状を考え、チョッピリだが増額せざるを得なかった。 もうすぐ香港が変わる。

(平成十年)
(荒井利治)

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